第十九章:友達①
俺は誰だっただろう。
いつ生まれたか?
どこで生まれたか?
男だったか?女だったか?どちらでもなかったか?
趣味は何だった?恋人はいたか?
友人はいたか?家族はいたか?
何を愛していて、どこに住んでいたか?
今まで何をしていたか?
…何も思い出せない。
名前さえ思い出せないのだ。だからこうして、自分の特徴を名前として使っている。
私なのか僕なのか、俺なのか。
分かるだろうか。
私は世界を旅してきた。
他人に変装する能力というのは、正確には異能力ではなく、自分で身に着けた生きる技、本当にただの変装なのだ。
だが世界を越える能力は生まれつきあった。
世界を旅して知った。
自分はある人間の影法師だったのだ。
並行世界論が無理やり辻褄を合わせるために生み出した、「都合上の人間」。
世界のどこかにいるはずの、「世界を越える能力者」は、世界渡航を行使しすぎた結果、並行世界論に致命的な不具合を引き起こした。
そのために全ての世界は、同じ「世界の渡航者」を各世界に設えた。
それが、自分の正体だ。
「こんにちは!」
…眩しい笑顔があった。
「あなたは…元気そうじゃないですね。家来ますか?」
「家はない」
「いや、僕の家に来ますか?お茶ならいっぱいありますよ!あと……お酒」
彼女に出会ったのは、何年か前。
彼女は呪術師と言った。
強かった。
自分では相手にならないくらいに。
そのくせ、彼女はなぜか自分を尊敬していた。
「ドレスさんが師匠で、僕が弟子!あ、勝手に決めちゃいました、ごめんなさい……」
元気になったりおろおろしたり忙しい奴だが、一緒にいる分には心地は悪くなかった。むしろ、自分にとってはそこが安息地であるかのような、そんな幻想さえ感じた。
今の自分の変装の精度は全て彼女のおかげだ。彼女の術を少しだけ借りて、声や身長まで操作している。
彼女がなければ、今の自分もない。
それくらい彼女は強力だ。
世界を旅する中で知ったもう一つの真実。
それは幻想種のことだった。
幻想種の世界侵略がじきに始まる。
彼女と共になら、それか他に幻想種を集めれば、どうにかなるかもしれないと知った。
彼女は快く引き受けた。
「任せてくださいドレスさん師匠!全部とっ捕まえてやりますよ」
さんと師匠は一緒に使うなと言っているのに……。
でも、師匠か。
良い響きだ───。
「師匠、か」
ドレスさんは來さんの遺体を眺めた。変装はいつの間にか解けている。
「魔術師。俺はもう死ぬ。この出血量じゃ治らないし、治す必要もない。俺の役目は全て終わった。俺はここで死ぬ」
そのとき、奇跡は起こった。誰もが目を疑う真実として、その眼中に顕現された。
來さんが目を覚ましたのだ。
ゆっくりと、吐息のように声を漏らす。
「ドレス…さ………」
「どうした」
「ごめん……な…さい………これからも……」
「未来のことを謝るな。俺にだって未来は見えない」
來さんは微かに笑った。
流れる血なんかものともしない、優しい微笑だった。
「…未練とは、こうあるべきものだな」
ドレスさんの頭に何かが刺さった。
骨のナイフが。
「聞き飽きた」
「アンタ…人の別れくらい、邪魔するんじゃないわよ」
次にまた、有裏は姿を消した。
消したのではない。未紅の中に入り込んだのだ。
未紅が、彼を触ったから。
バキバキバキと骨が折れるような音がする。
「未紅!」
「耐えるのには慣れてる…から……」
耐えるとか耐えないとかの問題じゃない。
それでは死ぬ。
未紅の胸が弾けた。
「加々野未紅、スクラッド=ル=ディア。残念だったな、この能力による不利益など最初からなかったのだ。貴様は”直接触れられてしまうことに何かデメリットがある”、そう呼んでいたに違いない。だが、そう見せかけていただけだった。人は不利益を回避しているのではなく、回避の目的に不利益を照応しているだけだ。......ああ、そうだ。今までの全てが計画通りだったのだ。夜波藍端が死に、幻想種として転生し、復讐に燃え、加々野未紅を陥れ、魔術師が転生され、出会い、呪術師と合流し、アンブラ共と協力して幻想種を倒し、ここに向かい、全員が死ぬことを、知っていたからこそ行動できた。真に全てを操っていたのは夜波藍端ではなく、“夜波藍端の人生を操っていたこの自分”だった」
何故知っている?
操るのと知るのは別のこと。彼は何らかの手段で、未来の情報を入手している。
いや、解析しているのか?
解決した、とはどういう意味だ?
「あ......」
未紅が、倒れた。
嫌だ、と右目を閉じる。
開けたら分かってしまう。
さっきとは違う。
軌道が、だんだん...。
分からなくなっていく。
「受け止めたくはないか」
未紅の体が二つに避け、彼はその中から這い上がってきた。
「無理もない。友人の死はいつだって苦しいものだ」
「あなたに......何が...」
「こちらのセリフだ。友人もいない貴様に何がわかる?」
殺人に慣れた瞳が、冷たく見つめる。
「過去のモノだろう?貴様が生還して地上に戻っても、頼れる人間はいない。元の世界に戻る術もない。尤も、帰りたいとは思っていないかもしれないが」
「何故私が、向こうの世界から来たことを知っているんですか」
「……TREE SPIDERを知っているな」
「ジャニクルムの言っていた箱のことですか」
「そうだ。クラウディオが生前密かに開発していた情報装置だ。全てが入っている。人造のアカシックレコードと呼んでもいいだろう。この脳は今、TREE SPIDERに直結している。あらゆる能力も、記載されている情報を組み合わせて解決できる。敵はない。あらゆる異能に対する対処法は必ず存在する」
「そんなもの、作れるはずがありません。魔法は人の数だけあるし、人はこれからも生まれ変わり続ける」
「だから、その全てが載っているというんだ。やろうと思えば全能を手に入れてしまう、そういう男なのだよ。クラウディオという男は」
有裏は続ける。
「だがTREE SPIDERの解析は常人には不可能だ。ただの箱にしか見えないし、電気で動いているわけでもないからな。限られた者しか解析できないんだ。心当たりがあるだろう? そうだ。クラウディオ=アルフィエーリの家系に伝わる全能の能力者だけが、あの中を垣間見ることができる」
「だから、社長の能力を奪ったんですね」
「そうさ。私の本来の能力は“他人の能力を奪う能力”だったのだ。私の持つ力のほとんどは、他者から簒奪したもの。ああ、しかし...全能を用いてもなお解析は難航していたがね。時間がかかったんだ。先ほどの戦いでも、解析のほうに能力を割きすぎて、戦闘に全能を用いることはできなかった」
「道理で」
「ああ。だがもう貴様一人ならば、解析も必要ないな。全能の力をもって捻りつぶしてくれよう」
彼は命じた。
「この世界に終わりを、運命よ」
世界が、ガラスのように砕けていく。
守るとか救うとか、そういう概念を無視して進んでいく破壊。
「さらばだ。自分はこれからも永遠に真実への探求を続ける」
ぱん。
手が鳴った。
めまいがする。
急激に夢から現実へ戻ったときのような。
幻想を強引に引き剥がされたような。
全ては空想の出来事だったかのような。
起こされたときに差す朝日のような眩しさ。
「私の傍観はここまでです」
誰かがいる…。
誰かが……いや何かが……?
「貴様は……いや、在り得ない。そんなことは”そもそも出来ない”はずだ。貴様が能力を使えば、それこそ世界は終わってしまうだろうが」
有裏が声を荒げる。
「強く果敢な命が戦っているのだから、私も手助けしないと。後輩に顔向けできません」
彼女は、すごく前に会った。
あの東京の公園で会った。
ジャニクルムの幻覚の中でも、唯一の人間として会った。
緑色の髪の少女だ。
私は、ようやく彼女に尋ねる。
「あなたは...誰なんですか?」
少女は振り向く。
太陽のような、救いのような、なんと言えばいいかもわからない明るさの笑顔が、私を不思議と落ち着かせる。
呪いのような安心感があった。
「私はエト。日本に伝わる画霊師の血筋を引く華狂家五代目の能力者。かつて社長やトオルさんたちと共に幻想種と戦った人間のひとり。遅れてごめんなさい、でも大丈夫。あなたにとっては辛かったかもしれないけど、ほら。みんなここにいるもの」
私は振り返る。
そんなはずはなかった。
幻覚か?
夢でも見ているのだろうか?
社長?
シンさん?
ベルンさん?
來さん?
未紅?
どうしてみんな、ここにいるんだ?
「やあやあ、どうもどうも」
いつもの飄々とした社長が戻ってきた。
「ルディア、問題だ。ででん」
社長は指を立てる。
「私の遺言を覚えているかな?死んでないけど」
「相手の能力は、能力を“ひとつ”奪うのと…」
「そうそれ!」
そうだ。私は途中まで考えていたはずだった。
あのひとつが、何を意味するのか。
あの三文字の中に、なんの意味が込められているのか。
「分かんなかったの?やーい」
社長は嬉々として答えを発表する。
「まあ、分からないからといってどうにかなるわけじゃないんだけどね。うん。私はひとつ、って言った。問題は、どうしてそれを私が知っているかだ。答えは簡単、私は元々能力を二つ持っていたから、一つしか奪われていないことに気づいたんだ。じゃあ私のもう一つの能力が何か、気になるよね?」
「はい、気になります」
「うんうんその調子。元気出してこう」
社長は笑っている。
「貴様、何を言い出したかと思えば...」
「君、私の能力のうち、”全能のほう”を奪ったよね、まあ確かにもう片方の能力は君じゃどうしようも…あ」
社長の内側が切り裂かれた。
だが誰も動こうとしない。
喋れなくなった社長に代わって、冷静にベルンさんが話し始める。
「つまり、お姉様はこう言いたいんです。“私が全能である所以は、受け継がれてきた全能の能力だけじゃない”。実際、幻想種との戦いの際には、お姉様はまだ全能たる『楽園賛歌』の能力を発現していなかった。にも関わらずお姉様は、どうしてあの大戦を勝ち抜いたのか。それは、全能以前にお姉様が強かったからに他なりません。そして、その能力は…」
「おっと、それは私に言わせて」
いつの間にか社長が復活している。
「ずばり、私の能力は…」
「私の”友達”を死なせない能力だ」
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