第十二章:真に戦うべきは

 残り三体のうち一体、確保。

 シンさんの作ってくれた魔術杖はオリジナルに非常に近い。

 全盛期の力を取り戻したと言っても過言ではない。

 この通り、一人で幻想種を捕獲できるほどに私は強い。

 私は強くなった。



「聞こえますか?ルディア殿」

 ベルンことアンブロイド=ベルンシュタインは、私の幻想種狩りに協力してくれる味方だ。

「以前から少しお疲れの様子に見えます。休まれてはどうです?家にいるときも魔術のことばかりで…」

「大丈夫です」

 加々野未紅との決別から、一か月。

 ベルンは彼女を引き戻せなかった。ことの顛末を聞けば、私でも解決できそうな問題ではない。

 彼女の望みだ。

 だから、せめて未紅がここに戻ってくるまでに、何かを進めておかないと。

 この時間を、無駄にはできない。

「ルディア殿、休暇も戦術です。いずれ来たる決戦の日のためにも、ご一考を」

「そうですね。そこまで言うなら、そうしましょうか」

 來さんの家に、未紅がいなくなった代わりに、ベルンが泊まっている。

「やっぱりお疲れみたいです。今日はもう寝てはいかがでしょう?」

「その前に、一度行きたい場所があるんです」

「拙も同行致しましょうか?」

「いえ、ひとりで」



 最初に未紅と一緒に来た、この花園。

 曇り空の下、私はここに座り、漠然と景色を眺めていた。

 思えば、私たちの関係は浅く短かった。

 お互い何も知らない。お互い何もできない。

 誰かに言われるがまま、何かに流されるがまま。

 そんな生き方をしていた。

 弱い二人だ。

 未紅の姉が死んでいることを知った。

 彼女にとって人の死が、ありふれたようで残酷なものだと今更気づかされた。

 私も同時に罪人なのだ。

 かつての世界で魔術師として、殺人に手を染めた私は。

 思い出すだけで嫌だ。

 あのとき、私が誰かを助けようと皆殺しにしていた幻想種も、私が助けたかった人に違いなかったのに。

 どうすればよかったんだろう。

 杖を握るときに、手が震えるようになった。

 人が死ぬところなんていくらでも見てきたのに。

 どうして今更、こんなことで苦しんでいる自分がいるんだろう。

 頭が回らない。

「あれ」

 遠くから、私を呼ぶ声が聞こえた。

「どうも…英雄さん」

「そんな呼び方しないでよ。僕だって呼ばれたくて呼ばれてるわけじゃない。隣、いいかな?」

 私の返答を待たずに、トオルさんは私の隣に座った。

「お疲れかな?」

「……」

「やっぱり。ベルンは一緒じゃないんだ」

「はい。どうしてもひとりでいたくて」

「それは悪いことしたな。今、ちょうどここを出発するところだったんだ。それでもう一回だけここを見たくて」

「トオルさんもここに思い出があるんですか?」

「たくさんね。とってもたくさん。僕と社長、シンさん、他にもたくさんの仲間が、ここで戦った。幻想種の大規模侵攻、最終決戦地はここだった」

「そうだったんですか」

 私は、意図してもいないようなことを口に出した。

「戦うのは辛かったですか?」

「僕にそれを聞いていいのかな?僕は辛くなかった」

 どうして?と尋ねた。

「目の前に困ってる人がいると、何も考えずに体が動くんだ。だから辛いとか、悲しいとか、救えてよかったとか、嬉しいとか、幸せとか、そういうものはないんだ。ただ、守るために戦っていたから」

「そういうものですよね。私もそう思います。でも……」

「ルディアさんが今悩んでいるのは、戦うことじゃないよ。戦う相手のことだ。戦う者同士、お互いに正義はあるんだ。どちらかが負けて、どちらかが勝ってしまうと、勝者は敗者の行く末について考えることになる」

「それが今の私なんですね」

 トオルさんが驚いた表情で私を見ている。

「自己分析の鬼だね。自分の窮状って、そう簡単に客観視できないんだ」

「慣れてますから」

「それなら、ルディアさんはきっと自分だけの答えを見つけられる。僕は会う人すべてにこうやって言うんだ。『自分が絶対で在り続けなさい』って」

「あ」

「昔僕を助けてくれた師匠の教えでね。僕の能力の根源にある思想だ。何もかもが変わっていく世界の中で、絶対的な軸で在れるのは、自分自身しかいないんだ。自分の中に、動かない正義を見つけるからこそ、世界の相対的な変化を観測できる」

「その言葉、私も聞いたことがあります。私の師匠も言ってました」

「…おや、なんという偶然」

 私の師匠が、私に水銀魔術の使い方を教えるときも同じことを言っていたっけ。

「それじゃあ、僕はもう行くよ。旅をするのが好きだから。あ、今までの話は、決して他言しないようにね。頼むよ」

 トオルさんは自分の口元に指をあてた。

「トオルさん、私は助けてくれないんですね」

「そういわれると困っちゃうなぁ。うん、僕もできることなら、今ここで君を助けてあげたい。実際、何か手を貸すことはできるかもしれない。でもそうすると社長の目的を邪魔することになるから」

「私、社長さんのことがだんだん嫌いになってきました」

「そう言わないであげて。社長は誰よりもみんなを大切にする人だ。僕たちみんな、社長に救われたんだ。彼女の笑顔が僕たちの励ましだったんだから」

 友達になりたい、と言われた。

 あれには目的があるんだろうか?

「社長は意味のないことは言わない人だからね。彼女を信頼してあげて。それじゃ、みんなによろしく」

 トオルさんは立ち上がって、後ろを振り向いた。

 歩き出すのかと思った数秒、彼は足を止めていた。

「トオルさん」

「ルディアさん。これは僕も想定外だったよ」

 私もトオルさんが見据える先に目を向ける。


「未紅?」


 未紅が立っていた。その隣には見慣れない長身の男がいる。

「ルディアさん、君がやるべきことは二択。ここから逃げるか、この花園を守り切るかだ」

 ここで逃げ出せるわけがない。

 私が今戦うべき相手。

 それは、ここに全て揃っている。

「アー、嬢ちゃん、お前があの魔術師とやるんだろ?じゃあ、俺はあっちの坊ちゃんと、ってわけだ」

「ええ。それでいいわ」

「ルディアさん、男は僕が対処します。未紅さんを頼みました」

「はい」


 実に一か月ぶりの再会だった。

「ルディア、調子はどう?」

「あんまり。それで、何の用ですか?話したいことがあるんじゃないですか?」

 そうだ。今まで未紅を信頼して待っていた。

 彼女の中で、何か踏ん切りがつくのを待っていたんだ。

 未紅。お願い。

 もう一度、私と共に戦おう。

 たとえあなたが辛かったとしても、私が救ってみせる。

 友達だから。

 私が心の底から信頼できる、不思議な力を持つ人は、この世界であなただけだから。

 だから…。

「未紅!」


「あたしのほうに来なさい、ルディア」


 私は杖を手放す。

「え?」

「あんたがあたしのほうに来るのよ。あたしはそっち側にはつけない」

 何を返せばいいのだろう。

 未紅、私はあなたを…。

 信頼していたのに。

「あたしはもう…彼女を裏切れないの。夜波藍端を。そして椎奈も」

「どうして!」

「もしも椎奈を、元の生活に戻したいのなら、ルディアを味方につけろって。それか、それか、それができないのなら……」

 やめろ。

 言うな。


「ルディアを殺せって」


 ダメだ。こんなところで泣いては。

 情けない。

 情けないにもほどがある。

「ごめん、ルディア。あたしにはもう、何もないの。自分を大事にすることも、友達を大事にすることもできないの」

 未紅の顔が見えないんだ。

「もう、なにもかも忘れて……椎奈に、幸せになってほしい」

 周囲が燃え上がる。

「もう、なにもかも、なくなってしまえばいい」

 未紅は何を思って、こんなに……。




「ルディアさん!」

 私はトオルさんに抱きかかえられ、ただ熱波を感じる。

 トオルさんが私を庇ってくれているんだ。

 振動と灼熱が私たちを焦がす。どこかへと投げやる。

「ルディアさん、正気を!男と未紅さんは逃げました、ルディアさんも早くここから!」

 違う。トオルさん。

 あなたは逃げないのか?

「もう火は山全体に広がってしまっている。未紅さんの炎、一瞬で広がったんだ。もうここから脱出することはほぼ不可能だ。でも、助かる方法がひとつだけある。ルディアさんが助かる方法が。僕はどのみち無理だ。だから、僕の全てを使って、あなたを逃がす」

 やめてくれ、もう失いたくないのに。

 もう、もういきたくない。

「ルディアさん!君は生きなければいけない。君に今から、この世界で生きる目的を授けます。僕は今、君に“命を授ける”。だから、僕の分まで、代わりに生きて。世界を救って。その責任を、あなたが全うするんだ」

 トオルさんの周囲の光が、歪み始める。

「僕の能力の本質は、“変化”。触れたエネルギーを別のエネルギーに変換する能力。ですが生憎、これだけの傷を負った今では変換は使えない。でも、僕の命のエネルギーを君に授けるくらいならできる」

 トオルさんは私を抱きしめる。

 そのとき、はじめて気づいたのだ。

 トオルさんの言葉、トオルさんの動作。

 その全てに覚えがあり、懐かしさを感じた理由。

 それは、彼自身が、私がかつて追い求めた姿に他ならないからだ。

「違うよ、ルディアさん。僕は君の師匠じゃない。でも…そのように思ってくれるなら、それでもいいんだ。僕は確かに、“彼”の奇跡を受け継いだとも」










 燃える花園を見ながら。

 燦然と輝く彼の姿に守られながら。

 私は世界の全てに、涙した。

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