第十章:世界を救う責任①
電話の相手は誰かと、アインさんが尋ねた。
「トオルからだ」
「トオル!?トオルから電話来たの?いいな~なんで私には寄こさないんだよっ」
アインさんは勢いよくソファーから立ち上がると、突然元の冷静さを取り戻した。
「それで、ベルンはどこにいるの?」
「トオルのとこ」
「それがどこだって聞いてるのさ」
「宇気比町」
宇気比町。來さんの家があるところか。
「あ、トオルについては話してなかったね、二人には」
「トオルさん、ですか」
「神崎亨、っていう男さ。私とシンたちと志を同じくした仲間で、かつて世界を救った英雄…って感じ?」
「世界を救った...んですか?」
「あたしそんな話聞いたことないわ」
「人知れず戦っていたからね。数年前、この世界は幻想種による大規模な侵攻があった。その侵攻の阻止に大きく関わり、最終的に勝敗をつけたのも彼。たった一人で、惑星規模の幻想種侵攻を食い止めた大英雄だ。私やシンよりも、ずっと若いながらにね」
「まさか…そんなことができるんですか?それも、魔術もない文明世界の人間が」
「そうだな…彼は君が言うところの魔法使いによく似ている」
「なるほど。それでもすごいことです。単騎で星を守るとは…優秀な戦士なのですね」
「ああ。それで、彼のもとにいるということは、君たち二人が直接ベルンに合流したほうが良さそうだね。トオルのところに行ってくるわけだ」
「はい。とても楽しみです」
「そうか…でも、気をつけなければいけないことが一つある。彼は優しい人だから」
「…?」
「いいかい。決して『彼のようになりたい』と思ってはいけないよ。彼の正義感は人を超え、優しさは星を救うほどだ。この世界で最も、“聖人に近い人間”だろう。しかし一方で、彼はあまりにも強く優しすぎる。誰もが彼に憧れ、彼と共に戦い、彼を超えようとした。だがその全ては、優しさに耐え切れず心を砕かれ、未来に絶望していくばかりだった。それから彼はひとりで旅をするようになったんだ。誰とも関わらないように、誰も傷つけないように、とね」
そんな話、今まで聞いたことがなかった。それは恐らく、この世界に真の聖人が実在してこなかったからだろう。静かに息を呑んだ。
「そんな危険なやつに会いに行くわけだ。シンが私をどう説明したかは分からないが、私はある事情で多くを語れず、力を使えずにいる。かつては神の御業、全能と称された私の得意技も使えない。だから、直接戦力が欲しいなら、彼らのところに行くべきだろうね」
「分かったわ。ありがとう。それともうひとつ、あたしからの質問」
「どうぞ」
「夜波藍端について、何か知っていることはある?」
すると、アインさんは急に真剣な面持ちになった。心当たりがあるのは確かだろう。
「…ノーコメント、というのはずるいかな?」
「アインさんは、あたしたちの味方なのね?アインさんがルディアのためにいろいろ準備してくれたこと、いろんなことを話してくれたこと、この場であたしとルディアを捕えたりしないこと、それらを信じてあなたの言葉に従うわ。でももし、アインさんが敵なら…」
「申し訳ない。さっきの事情というやつだ」
「大人って、そういうことばっかり」
「ごめんね。もしも話せることがあったら話そう。君が気になっている、夜波藍端のこともね」
関係者か。
一瞬、全身に血が迸った。悪い癖だが、今この場で拘束してもいいと考えてしまったのだ。
アインさん、心が読めない時点で危険因子ではある。この魔術杖に何か細工を施している可能性もある。完全に信じきるには、まだ足りない。
でもまずは、行ってみるしかないか。彼女が言う聖人から、何か分かることがあるかもしれない。
「はあ~疲れた~」
「頑張ってください、未紅」
「もう、一日中あっち行ったりこっち行ったり…もう夕方だし、ご飯も食べてないし、誰を信じればいいか分からないし」
「大丈夫です。私がいる限りは、私を信じてもらえれば」
「そうね。ルディアも安心して。あたしがいるから」
さて、帰ってきた。宇気比町。
彼とは宇気比山のお寺に集合、となっているが、宇気比山とはあの花園があった山のことで、どこかにお寺があるらしいのだが…。
「ルディア、あそこになんか見えない?」
「あれがそうなんでしょうか」
木々の奥に隠れた建物が見える。道は舗装されておらず、人気も感じないが、行ってみる価値はありそうだ。
枝や葉に絡まりながらもなんとか辿り着くと、確かにそこにあるのはお寺だった。
「本当ですね。建物自体はかなり新しいようですが」
「あっちにはお墓があるわね。あれは古そう」
お寺とお墓が別々に建てられたのか?
ともかく、中に入ってみることにした。
「すいませーん!誰かいますかー!」
未紅が叫んだが返事はない。
「いないのかしらね。ここじゃないのかも」
「まあ…疲れましたし、とりあえずここで休んでいきませんか?」
「待ってルディア、足音」
言われて耳を澄ます。
確かに、誰かいる。
「トオル殿…と、おや?お客様ですか?」
人がいた。
私やアインさんと似た銀髪。だが私たちと違って短く切り揃えているので印象は全く違う。和服を身にまとい、瞳はアインさんと同じ緑色。
ということは、間違いない。彼女は…。
「すいません、名前をお伺いしても?」
「はい。正式名称はアンブロイド=ベルンシュタイン。皆様からはベルンと呼ばれております。あなた方は...」
「私たち、あなたとトオルさんを探しに来たんです。アインさんとシンさんに言われて。お二人なら、私たちの力になってくれるかもしれないということで、ここに来たんですけど、その様子だと…」
「はい。実はトオル殿がいなくなってしまい、困っていたところなのです」
「いるよー」
うわっ、と未紅が飛び上がる。
「ごめん。屋根の上にいた。夕焼けが綺麗だったから」
彼は微笑し、私たちを静かに注視していた。
彼がトオルさん。世界を救った大英雄。
…にしては、その。
「さて、夜ご飯食べようか。二人も一緒にどう?」
「は、はい。ぜひ。お話も伺いたいですし」
その、彼はあまりにも普通だ。
どこにでもいそうな、若い男性。
まだ子供の青年といった雰囲気が抜けきっていないほどに。
「え…これだけ……」
夜ご飯は、お茶碗一杯分の米。
「ダメですよ、未紅。食べさせていただいてるのですから、ありがたく頂戴しましょう」
「ごめんごめん。僕が少食なものだから、普段からこれくらいなんだ。二人は忙しかっただろうし、これだけじゃ足りないかもね。お米ならまだあるから、好きなだけどうぞ」
「ありがとうございます」
黙々とご飯を食べ進める四人。
なんだか聞きにくい雰囲気になってしまった。まずは何から話し出せばいいものか…。
「トオル殿。お二人は貴方に御用があるそうですよ」
「そうなの?ぜひ聞きたい」
ありがたやベルン様。
「私たちは今、幻想種という種族を追っています。あ、トオルさんは既に…私たちよりも遥かに幻想種について詳しいと思いますから、この説明は不要ですね」
「うん。続けて」
「今、來さんという呪術師、聖飾者という謎の男に依頼されて、十三の強力な幻想種を捕獲しているんです」
「捕獲?」
「はい。未紅」
未紅がCDを取り出す。
「これを使って」
「へえ。不思議な円盤だ。それで、僕たちに協力を仰ぎたいということかな?」
「その通りです」
「……少し、関係のない話をしていいかな?」
「え、あ、どうぞ」
トオルさんはお茶碗を机に置いてから、ゆっくり話し始めた。
「団…いや、今は社長と呼ぶべきアインについてだ。彼女の能力については知っているかな?」
「いえ、まだです。ただ、シンさんが“最も全能に近い”と呼んでいましたが」
「その通り。彼女の能力を最もよく形容した例えだ。でも、今彼女はなんらかの事情でそれを使えない。僕はね、彼女が何かに縛られてるんじゃないかと思っているんだ」
「あたしも思ったわ。アインさん、たくさん隠していることがあるわよね。でも悪い人じゃなさそうだし」
「そうだ。彼女には全幅の信頼を置いてもらっても構わない。彼女はかつて全能に近しい能力、それに加えて世界で唯一“時間に干渉する”能力も持ち合わせていた。君たちの来訪を予期した彼女は、ルディアさん用の魔術杖、そして未紅さんに対してもしっかり手を回していた」
「あたし?あたしは何もしてもらって…あ、コーヒーもらったわ!」
「はは、それとはまた別さ。まあ……なんとも、残酷だけどね」
トオルさんが目線を逸らした。
トオルさんにも魔術眼を使おうか、と思ったが、アインさんの忠告を素直に受け入れよう。彼の心を読むには、私の精神は未熟すぎる。
「でも、いかにも社長らしいとも言える。彼に似たんだ」
「彼とは、初代社長、アインさんのお父上のことでしょうか?」
「その通り。彼もまた…いや、話がややこしくなるからやめておこう。彼は数年前に死んでしまったんだけど、性格は確かに現社長に受け継がれている。良い人だったよ...」
含みありげな言葉の裏には、ただならぬ因縁を感じずにいられなかった。
ここまで話を聞いて、私はますます疑問が増えていく。
彼は何を言おうとしているんだ?
「ああ、何を言おうとしているんだみたいな顔をしてるね。僕は語ることができるんだ。アイン社長やあの場にいたシンさんと違って。あの人たちは会社というものに縛られてしまっていて、話せることが少ないんだ」
「会社?それは社内での規則とかのこと?」
「いいや、違う。社長が全能を振るえない理由、何もかもを話せない事情。その全ての原因が、あの社内にいるということだ」
いる。
あるではなく?
「君たちが追っている夜波藍端という人間も、あの会社、SPIDERに何らかの形で関与していると思われる」
「そうなの?でも会社で一番偉い人は社長さんでしょ?社長さんでも逆らえない人がいるの?」
「見て分かったかもしれないけど、彼女は地位とかルールとかに縛られる人じゃない。自分が気に入らないものは自分の手で変えてしまう、そんな人だから。つまり彼女を縛っているものは、地位や決まりじゃなくて、単純な力」
全能であるはずの彼女が勝てない?
そうか。分かった。全てが繋がった。
「アインさんは、“能力を奪われている”ということですね?」
「そうだ。僕も同じ結論に至った。シンさんも社長も、何者かに力を奪われ、行動を制限されている。でも一方で、僕はそんなことはまったくない。だから意図的に社長たちとは距離を置いているんだ」
「トオルさんは全て知っているんですか?」
「全てではない。知っていることだけだ」
彼の言っていることはおそらく本当。私も同じ考えに辿り着く。
「そして今から、君たちに伝えなければいけないことがある。もしかしたら、これを聞いて君たちの目的が大きく変わるかもしれない。特に未紅さん。未紅さんはルディアさんと違って、まだ戦うことに慣れてない」
「そんなことないわ」
「…そうか。さすが、社長が試練を課すべきと見定めた人だ。強さがある」
「試練?」
「さっき言った、社長から君への手回しの話だ。では、結論から言おう」
トオルさんの目の色が変わった。雰囲気が一変した。
口が開いた。
それだけで、背中に尖った何かが走った。
本当は、聞いてはいけないもののような気がして。
でも、聞かなくてはいけないことのような気もする。
そうか、確かに私は魔術師だった。しかし、強さを手に入れるだけではそれを知ることはできなかった。
人は強くなるために、その真実を受け入れてはならなかったのだ。
彼の言葉が、少しずつ理解されていく。
彼はこう言ったのだ。
「君たちが殺してきた幻想種の正体は、生きていた人間だ」
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