第四十三話 俺を殺す
村門の指が、ヴァラガンの首に刺さるほどにめり込む。胴体から首を引き千切らんとする勢いだ。酸素の運搬が断たれて、朦朧とし始める意識。その中に、村門のひどく歪んだ顔が浮いている。自身が便器に沈む糞になったような気分になる。
そう思った瞬間、全身の血が沸き立った。自身の首を絞める手に、力なげに添えていた手の血管が浮き上がる。ヴァラガンは目を血走らせつつ、先の格闘時に砕いた村門の拳の突出部分を上から指で押し込む。指の腹に歪な感触が伝わる。次第に生温い液体が指を伝い、朧げに広がっていた視界が色を取り戻していく。焦点が定まってきたのを機に、ヴァラガンは村門の薬指と小指を五指で包み、手の甲側へと力任せにへし曲げた。
唸りに近い叫びが聞こえ、首から手が離れる。その隙に胸倉を掴んで村門を自身の隣に投げ飛ばすと、ヴァラガンは咳き込みながら仰向けの体を起こした。
「……娘を誑かすだと? お前、優と顔を合わせたことがあるのか? 会おう思ったことすらないんだろ。さっき優がやめてくれ、って言ったよな。お前、あのときどうした?」
大きく咳き込み、唾を吐く。
「ガキの声も聞こえてねえ。ただの人殺しが」
あけすけにものを言い、ヴァラガンは土にまみれた顔を拭った。無言で立ち上がる村門を正面に捉え、一呼吸おいてから右手にいる局長と優を一瞥する。局長の掌の立方体型のプロジェクターの映像内では依然、ガントレットとエストックの闘いが続いていた。
銃を失い、エストックは劣勢のはずだったが、体術を駆使して巧みにガントレットと攻防を続けている。優の話では五分と待たず死ぬとのことだったが、それ以前にガントレットが殺される可能性も十二分にあった。ヴァラガンは局長に猜疑の目を向ける。
「取引はどうした。さっさとエストックを撤退させろ!」
「ああ、指示を下したとも。撤退とね。どうやら今なお戦闘を続けているのは、彼女の意志のようだ。私の意志は介入できそうにない。村門のお嬢さんには悪いがね」
のっぴきならない状況だ、と言いたげに局長は両手を挙げる。空々しい言動に、舌打ちをこぼすヴァラガン。今は局長の詭弁に付き合っている暇はない。村門をなんとかすることが先決。その考えに至ったとき、ヴァラガンの思考の先が雲隠れする。
村門をどうすればいい。拘束する、重傷を負わせる、それとも殺す。相手は複製素体。殺しても心は痛まない。本当にそう言い切れるのか。殺せない。殺したい。俺が本物だ。
せめぎ合う思考を置き去りに、ヴァラガンは村門に体当たりを仕掛けた。本能が、獣性が思考を断ち切った。脳内麻薬が溢れ出ているのか、痛みも疲労も薄れている。そのことを最大限に活かし、渾身の一撃を食らわせた。村門は衝撃に片足を浮かせる。
ヴァラガンはその足を掴み、後方に押し倒す。対する村門は仰向けのままヴァラガンの髪を掴んで、自身の頭側へと投げ飛ばした。二人は揉み合いになりながら、広場の隅まで移動する。ヴァラガンは村門を鉄柵に叩きつけ、馬乗りになって顔面に殴打を繰り返す。
鉄柵を挟んで向こう側にいる数頭の牛が、退屈そうに間延びした声で鳴く。構わず鉄柵を背に座り込んだ村門に、拳を振るうヴァラガン。拳と指が使い物にならないためか、村門は目に見えて手数が減っている。防戦一方のところに、ここぞとばかりに畳み掛ける。
しかし、ヴァラガンはそのあとが未だに見えていなかった。半殺しにするのか、殴殺するのか。両腕で顔を守る村門に、ひたすらに拳を叩き込む。この行為に、意味があるのか。雑念が頭を掠めたと同時に、拳が宙を切った。慌てて振り抜いた拳を戻そうとするが、腕が動かない。あろうことか村門を捉え損ねた右の拳が、腕ごと鉄柵の隙間に挟まっていた。
脇ではいつの間にか村門が起き上がり、中腰の自身を見下ろしている。ヴァラガンがそれに気づいたときには、挟まった腕の関節めがけて蹴りが叩き下ろされていた。
湿った音がする。それが激痛に変わった瞬間、ヴァラガンは絶叫していた。腕はあらぬ方向に曲がり、未だに鉄柵の隙間に囚われている。鉄柵越しに、牛が不思議そうに首を傾げていた。ヴァラガンはすぐさま村門の方を振り返るが、顔面に蹴りを受けて側頭部を鉄柵に強打する。その首にシャツを巻きつけられて、気道が狭められていく。
ヴァラガンは咄嗟に首の間に左手を挟んだが、気休めにもならない。さらには手前側へと引っ張られて、鉄柵に挟まった腕を鋭い痛みが襲う。村門の吐息が後頭部に触れる。
「死ね。俺は娘のためなら、お前も局長でさえも殺してやる」
うしろを向け、というように首を引っ張られる。ヴァラガンは、肩越しに村門の顔を捉えた。言葉とは裏腹に、顔には愉悦の色を浮かべている。先ほどと同じく、嬉々としていた。優の存在など、この男にとっては安っぽい大義名分と同然なのだろう。
——過去は逃げるものではない。殺すものだ。
かつての赤松博士の言葉が脳裏に甦る。自身が過去なのではない。村門こそが過去なのだ。なによりも、ここで死にたくない。抵抗する力を失う前にヴァラガンは、痛みを奥歯で噛み殺して鉄柵から右腕を引き抜いた。その反動で、村門に後頭部で頭突きをかます。
首と手の間に余裕が生まれる。すかさず首に纏わりつくシャツを払い、ヴァラガンは振り向き様に左手で村門の目を抉った。二本の指が眼窩にまで達する。
地を転げ回る村門。ヴァラガンはその上から執拗に蹴りを浴びせる。最初は腹部を狙っていたものが顔面に移り、動きが鈍くなる頃には村門の顔面は大きく陥没していた。
「クズが! 俺が本物だ、ふざけやがって! 俺が」
途端に、食道を針で刺されたような痛みがせり上がってきた。ヴァラガンはそのまま、横たわる村門に吐瀉物をぶち撒ける。牛たちが一斉に低く鳴く。喉が焼けるように熱い。意識を他に向けるべく、ヴァラガンは赤黒くなった村門の顔にもう一発蹴りを入れた。
靴裏に脳漿の湿っぽい音を聞き、ヴァラガンは半歩後退る。あり得ない。湿っぽい感触など、あり得ない。複製素体なら頭蓋や脳よりも先に、チップやサイバー・インプラントを埋め込む装置があるはず。それらを踏み潰した覚えはない。チップはまだしも、その他の装置はそれなりの強度があるはず。ヴァラガンは村門の前に屈みこむ。
「だ、誰が信じるか。探せ、探せ、探せ、探せ。クソ!」
地面に目を這わせ、村門の頭を持ち上げて右に左に動かそうと、どこにも複製素体である証拠はなかった。それがわかったとき、血で赤く染まった両手が独りでに震え始める。
「ようやく理解したかね。君の鈍重さには驚くばかりだ」
「黙れ! 俺が、優の親父を殺しただと! そ、そんな、俺が。やめろ、嘘だ」
気の動転しているヴァラガンに、局長は
「村門功輝の複製素体が、村門功輝本人を殺したというのは覆せない事実だ。さて、エストックの方も片付いたらしい。取引に則り、君の生命は延命管理局が保証する。村門功輝の娘が複製素体に肩入れしたのは誤算だったが、禍根は除かれたというわけだ」
局長は「車を一台残しておく。餞別だ」と言うと、護衛を連れて足早に広場から去っていった。それからしばらくして、牛たちが鼻で鉄柵を開けて広場に雪崩れ込んできた。次々とヴァラガンや村門の死体に群がってくる。さながら老人の描いた絵の通りの構図だ。
ヴァラガンは茫然と辺りを見回す。すぐに優と目が合ったが、あちらが反応するよりも先に視線を外す。自身を囲む牛たちの目は、なにかを訴えるわけでもなく明後日の方を向く。
それが今は幸いだった。ヴァラガンは土を被った村門のシャツで手についた血を拭き、弱々しく立ち上がる。赤松博士の言葉を借りるなら、内なる獣が自身を生かしたということになる。皮肉な結果を
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