第四十一話 内なる獣
延々と
「理屈をこね回しやがって! さっさと俺の記憶を教えろ!」
ヴァラガンは局長の胸倉に掴みかかる。局長は一切抵抗せず、勢いに身を任せて後頭部を車窓に打ち付ける。その様は、さながら球体関節人形。眉すらも動かさない。手応えのなさに困惑したのも束の間、ヴァラガンは助手席から拳銃を向けられていることに気づく。
「長期記憶の欠落は、口頭説明で解消されるものではない。抽象的な材料から、それらへの理解を示して咀嚼することが必要となる。まあ、今はそれよりも」
ヴァラガンの手を払い、局長は懐から掌ほどの立方体型のプロジェクターを出す。それを軽く振って、一面から光を照射させた。光は後部座席一帯の宙に、横長の映像を作り出す。
「ヴァラガン、これって」
唖然とする優の隣で、ヴァラガンは奥歯を噛みしめる。そこに映っていたのは、赤松博士の喫茶店。損傷がひどく、二階部分が崩れて一階だけになっている。その周りを
銃の発火炎とみられる光は喫茶店と、その周りから断続的に発せられている。戦闘が始まって長いのか、部位欠損した班員の遺体があちらこちらで散見された。
「ドローンの映像だが、君の友人たちは善戦しているようだ」
ヴァラガンは不貞腐れた顔で、局長を一瞥する。
「あんたは随分と余裕だな。このままじゃあ、赤松のおっさんを仕留め損ねるぞ」
「心配には及ばない」
そう言って、局長は映像の端の方を指す。そこには見覚えのあるベージュの髪をした女が映っていた。エストックだ。飛び交う銃弾の雨をものともせず、エストックは他の班員よりも先行して喫茶店の玄関へと迫っていた。
「あれの軍用複製素体は特別でね。修復機能を持ったナノマシンを内蔵している。謂わば、数億人の外科医と医療器具が体の中に備わっているというわけだ」
そこで一度言葉を切ってから、局長は続ける。
「根本原因を考えよう。なぜ、私が君たちに構うのか。今まで、不思議に思わなかったかね? 自分のような人間はいくらでもいるのに、なぜ自分だけ目を付けられたのか」
「俺が延命管理局の人間だからか」
局長は目尻に皺を寄せて、小さく笑む。
「当たらずと
持って回った口調で話を締め括る。その余裕ぶりは、今に至るまでのヴァラガンの行動をすべて見通していたようだった。ヴァラガンは、ひどく落胆した。局長の言った通り、自身は記憶に踊らされていただけだったのだ。王の一件だけではない。思えば道中の出来事も、故意に自身の記憶を暗示させて破滅を誘うものだったのではないか。
今こうして車両に乗っていることも、局長の描いた絵だったとしたら。やはりそこに自我などはなく、糸で弄ばれているだけの操り人形に過ぎなかったのだ。記憶を失う前の自身も同じ境遇から脱しようと、凶行に及んだのか。ヴァラガンは憶測の沼に心を沈めた。
局長は、今さら気づいたか、と言いたげに溜息をつき、立方体型のプロジェクターの出力する映像に視線を戻す。映像の送信元のドローンは、移動して喫茶店の中を映していた。
外壁や天井が崩落して粉塵の漂う店内で、向かい合うガントレットとエストック。その傍らのカウンター席には、左腕をもがれた赤松博士が腰かけていた。それを横目に見ていた優は食い入るように座席から腰を浮かせると、恐る恐る顔を上げる。
「ねえ。さっきの村門って、どういうこと?」
「百聞は一見に如かず、だ。村門のお嬢さん」
車列は大通りから脇道に逸れて、未舗装路に入る。砂や砂利がタイヤと擦れ、車窓は土煙に覆われる。その中を猛進して、廃農場と小高い丘が見えてきたところで車列は停まった。局長は喫茶店の映像を縮小して、手中に収めてから降車する。
「では、実践といこう。君の記憶を呼び起こす。否、過去の清算と言った方が適切か」
複数の護衛に囲まれて先を行く局長。ヴァラガンは優とともに、そのうしろを追う。
「いい加減にしろ。ここで、どうやって記憶を取り戻せる」
「少し待ちたまえ。その間に思考動物の話でもするかね?」
局長は奥に見える丘を顎で指す。人の立ち入りもないのか、廃農場まで続く砂の道の周りには緑が広がっている。丘も例外ではない。青々とした草木の陰からは立派な体躯をした牛が数十頭ほど、こちらの様子を窺うようにしていた。警戒とも怯えとも取れる動きだ。
「ここの住人は肉片のことを牛だと思っているが、君は本物の牛を知っているね?」
「当たり前だ。それがどうした」
「あの丘にいるのは天然牛の複製素体だ。脳に細工を加えて、人間の精神を置換している。一見して、仕草に違いはないだろう? 人間も牛も、同じ思考動物だという証左だ」
牛は、人間ほど複数の情報伝達手段を有していない。逆説的に捉えれば、同じ状況であれば人間も牛と大差ないということ。そう考えた途端に牛たちの行動には警戒や怯えなどではなく、敵意が含まれていることにヴァラガンは思い至った。
一行は、奥の朽ちた牛舎に踏み込む。中は最低限の骨組みと、柔らかな土を残して時間が止まっていた。建物全体にこびりついた糞尿の臭いが、かつての有り様を物語っている。飼育区画を横切る通路の先から顔を出す太陽は、燦々と輝いていた。
「見えるかね? あれが君の記憶だ」
局長が言う。進むにつれて、陽光の先では鉄柵に覆われた広場が見えてきた。当時はここから、牛たちを丘に放牧していたようだ。右手には
「エストックが、君に会わせたかったのは彼だ」
ヴァラガンは立ち止まった局長を追い越して、人影に近づく。自身と背丈の変わらない影は微動だにせず、土煙を全身に浴びている。あたかも、真実をヴァラガンの前から遠ざけるように。人影まで残り五歩ほどの距離というところで、ヴァラガンは体を凍りつかせた。
「なんの冗談だ。どうして俺が、俺の目の前にいる!」
鬼気迫る形相で振り返ったヴァラガンに、局長は首を振る。
「赤松博士の誤算だ。彼は君を村門功輝だと確信していたのだろうが、生憎とそれは違う」
「黙れ、こいつは複製素体だろ! 俺は信じねえぞ!」
激昂するヴァラガンを人影だった男が冷笑する。
「他でもない貴様がそれを言うか」
声まで自身と同質。
「ど、どういうこと? ヴァラガンが二人、村門、ええ?」
「どうだね、村門のお嬢さん。父との再会は」
「違う! あんな人、知らないよ! ヴァラガンが私の」
局長は「単なる自己暗示だ」と一蹴して、懐から一枚の紙を出す。そこには両の拳を頭上に掲げる男を中心に、その周りを動物や人が囲む絵が描かれていた。
「君は虚像に、自身の望む像を投影しているに過ぎない」
とどめだと言わんばかりに放たれた言葉は、優を通り越してヴァラガンの心をも抉った。この絵は初めて記憶を売った際に、今は亡き老人に描かせたもの。それが局長の手に渡っている。その意味を理解する間もなく、死角よりやって来た拳がヴァラガンの脳を揺さぶる。
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