第二十六話 許されざる喪失
「目標ヲ補足。武力行使ガ適用サレマス」
突然の出来事に、三人はすぐさま身を屈める。ヴァラガンは上から覆い被さるようにしてイーガンを守ると、匍匐で後方の部屋に移動する。それを合図に、ガントレットは壁に向かって自動小銃で応戦し始める。時折、壁の向こうから被弾したような金属音が響くが、小銃ではアンドロイドの体に傷痕を刻むことも叶わない。真の目的は陽動。ヴァラガンがアンドロイドの背後を取るまでの時間稼ぎだ。
やがてガントレットの自動小銃の弾薬が尽きた頃、ヴァラガンは廊下に飛び出す。アンドロイドの橙に光る目を頼りに走り寄り、攻撃手段を奪うべく手探りでアンドロイドの持つ自動小銃の弾倉を引き抜く。弾倉は軽い音をたてて廊下を滑っていく。
対するアンドロイドはヴァラガンの胸倉を掴んで、力任せに壁に叩きつけた。その拍子に壁に亀裂が走る。倒れ込むヴァラガンに拳が迫り来る。そこに銃声が響き、アンドロイドの振り上げた腕部から火花が散る。ガントレットの援護射撃だ。狙いの外れた拳はヴァラガンの頭のすぐ隣の床を穿ち抜いた。白い粉塵が頬を掠める。
続いてアンドロイドは標的をガントレットに変更し、振り向き様に裏拳を放つ。関節部分のみを重点的に補ったような細腕の一振り。一見すると拍子抜けに思えるが、人間の頭蓋を粉砕するに足る重さを秘めている。ガントレットはそれを既のところで躱し、無防備な状態になったアンドロイドの顔面を自動小銃で殴打する。
しかし、当然ながら砕けたのは自動小銃の方。反撃も虚しく、ガントレットは壁へと突き飛ばされて気を失う。標的を戻し、ゆったりとした足取りで近づいてくるアンドロイド。
ヴァラガンは血の混じった唾を吐き、体を起こす。
「優、残り時間は」
「二分!」
ヴァラガンは意を決して、アンドロイドに体当たりを仕掛ける。早計な行動に思えたが、ここで足止めしなければ他の二人に危険が及ぶ。だが、巨木を押しているようでまるで手応えがない。身長こそ同等であるものの、重量に関しては雲泥の差があるのだ。アンドロイドは半歩も後退することなくそれを受け止め、橙の双眸を光らせる。
一人と一体の
アンドロイドは最初こそ力で振り払おうとしていたが、合理性を追求した末に蹴りを繰り出す。そこでヴァラガンは、大振りな蹴りを誘発させるように間合いを開けた。案の定、アンドロイドは力加減を誤り、前蹴りは床を貫通する。咄嗟の機転が功を奏し、足の自由を奪うことに成功した。両足は見事に床に埋まり、腕だけが前へと虚空を掻いている。
「これを!」
この機を逃すまいと、イーガンはパイプ爆弾をヴァラガンに投げ渡す。それを受け取り、ヴァラガンは暴れるアンドロイドの肘関節に捻じ込む。そしてイーガンとガントレットを両脇に抱え、空いている部屋に一目散に飛び込んだ。直後に廊下からは爆音が轟く。
硝煙が漂う中、部屋には千切れたアンドロイドの腕が転がり込んできた。遅れて廊下からは軋むような駆動音が迫ってきたが、ちょうど、ヴァラガンたちの目前で命の灯は消えた。
「よし、止めたよ! 皆、無事?」
「ああ、助かった」
二人を下ろし、溜息をつくヴァラガン。優の支援がなければ、この場所が文字通り墓場になっていただろう。それでも状況は未だに予断を許さない。まだ
屋上に着くと早速、奥に王の姿を認めた。その隣には江が跪いている。嵐を呼ぶような豪雨はいつの間にか小雨に変わり、タイル張りの床と横に並んだ排気ダクトの上に水たまりを作っていた。換気扇の吐き出す熱風に顔をしかめながら、ヴァラガンは静かに告げる。
「江は返してもらう。お前は今日で終いだ」
「図に乗るなよ。てめえは乞う側だろうが」
とはいえ、と言って王は乾いた拍手を送る。
「俺の相棒を潰すとは。大方、ハッカーのガキを味方につけたんだろうが、その心意気には感服するな。そんなに記憶を取り戻したいのか? それとも、そのガキのためか?」
王はイーガンを顎でしゃくる。黒髪は雨に濡れて輝き、入れ墨に覆われた顔には憎悪を
「それ以前に問題はこのカマ野郎か。なあ、ラッキーマン」
「……なにが望みだ」
低く唸るヴァラガンに王は嗜虐的な笑みを浮かべる。
「てめえ、頭に傷があるじゃねえか。それ、抉ってみろよ」
王はナイフをヴァラガンの足元に投げる。クラブでの一件で受けた、側頭部の傷を指しているのだろう。赤松博士に縫合してもらって間もないが、惜しむ暇はない。
「簡単だろ? それで頭を突けば、こいつを取り戻せる」
急かすように、王は空に向けて拳銃を撃つ。
ヴァラガンはナイフを拾い上げて、指で刃先の汚れを拭う。江の命に比べれば安い代償だ。ガントレットがイーガンの目を覆い隠したのを確認して、ナイフを傷痕に差し込んだ。
冷たい刃先が温かい肉を掻き回す。鮮血が頬を伝い、下に着たシャツに染みる。不思議と痛みは感じない。時間の流れとともに、手の震えが増していくだけだった。
「ヴァラガン、ごめん。勝手に、捕まって」
江は俯いて嗚咽を漏らす。その隣で王は破顔した。
「わかった、ラッキーマン。こいつは返してやる」
側頭部の傷がだらしなく口を開けた頃、王は江の腕を引いて立たせた。江は恐怖のあまり足元が覚束ない様子だったが、王に促されるままにヴァラガンの方に駆けていく。坊主頭を輝かせ、顔を涙に滲ませる江。恐怖からの解放による安堵と謝罪の思い。嘘偽りない本心が曝け出されようとしている。そんな表情に、ヴァラガンも思わず顔を綻ばせる。江は抱擁を求めるように腕を広げた。だが、その腕が温もりを抱くことはなかった。
「江!」
「あ、あれ……」
突如として静寂を破った二度の銃声。江は銃弾に胸を貫かれて、床に敷かれたタイルに鮮血で模様を描く。そんな江の背後では、王が卑しげに口から犬歯を覗かせていた。
「誰も生きて返すなんて言ってねえだろうが! まったく、同胞殺しはつらいな!」
ヴァラガンは崩れ落ちる江を抱えて絶句する。目の前で消えゆく命を傍観することしかできない。江は懸命に酸素を吸い込もうとするが、破れた肺はか細い音を奏でるだけだった。それでもなにかを伝えようと、血の滴る口をぱくつかせる。我に返ったヴァラガンは江の口に耳を当て、溢れる言葉を聞き逃すまいと耳を傾ける。
「……ヴァ、ラ、ガン。あのコを、守ってあげ」
最期の言葉も銃弾に引き裂かれ、江は顔に深紅の花を咲かせる。血飛沫が、ヴァラガンの顔を染め上げていく。腕の中の江は再び動き出すことはなく、いつかの笑顔をもう一度見ることは叶わない夢となった。
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