第十話・締め茶漬け
♢♢♢
「あっ、あのぅ…………」
調理場で目まぐるしく動くひよりの後ろから、声をかける者がいた。
「あのう……」
「はい?」
振り向くと、藍染の羽織と灰色の袴。
濃い茶色の柔らかそうな髪。
そして丸眼鏡の小柄な男子が立っていた。
年の頃は自分と同じくらいだろうか。
「あなたは?」
「ぼ、僕は第六班隊員で、
「えぇっ⁉ でもそんな」
護闘士さまに……は、なんだか見えないけど。
「ここは大丈夫ですから、どうぞ寛いでいてください」
「……僕、お酒飲めなくて。お酒の匂いとかもダメで……。気持ち悪くなるんです。それにこのまま手ぶらで帰ったら串刺しに」
「串刺し⁉」
「あいえ、八つ裂きに」
「八つ裂きっ⁉」
な、なんか怖過ぎ。
「と、とにかくいろいろヤられたり、叱られたりするので。何か手伝わせてください」
「はぁ……。それじゃあ、すみません、お願いします。あ、でもホントはとても助かります。突然だったから、何も準備してなくて」
「これ、運ぶやつですか?」
「はい。お皿やお箸にお酒も。足りなかったら言ってくださいね」
「じゃ、持って行きますね」
わあ……。笑うと女の子みたいに可愛い。
にっこりと笑った福之助を見て、ひよりは小さく感動した。
助っ人として来た福之助は、意外とキビキビ動いてくれてひよりの役に立った。
♢♢♢
「わあ。これも美味しそうですね!」
大皿の上の料理を見て福之助は声をあげた。
ひよりがパパッと作り、福之助に運ばせたツマミは四品。
イカの生姜醤油焼き。
小松菜と厚揚げの煮びたし。
トマトと玉ねぎの和え物。これは胡麻油風味の酢醤油味だ。
そして次に運んでもらう大皿には焼きあがったばかりの鶏手羽先の塩焼きが乗っている。
ほかにも焼いてほぐした塩サバに細切りにしたきゅうり、たくあん漬け、ミョウガに大葉を混ぜ、鰹節からとっただし汁にみりんと醤油を加えた自家製の付け汁を少々加え、胡麻を適量振りかけてささっと混ぜた和え物も用意できた。
……やれやれ。
今日、食材の買い置きがあってよかったと心から思うひよりだった。
「あ、それから味噌煮込みうどんも好評で、もうないのかって」
「ああ……それは二人分しか作ってなかったので、もう終わりなんです」
「わかりました。あとは白菜のお漬物、もっと欲しいそうです」
「はい、それならすぐ用意するので、先にこの二皿を運んでおいてください」
「了解です!」
配膳を福之助に任せ、ひよりはふと思う。
味噌煮込みうどんも酒の肴になっちゃうものなの⁉
不思議に思いながらも、予想外のおかわりは嬉しい。
再び戻った福之助に、白菜の浅漬けが乗った皿を渡した。
「ほかにも注文あるか聞いてからまたこっちへ戻ります」
「はい、お願いします」
福之助が調理場を出て行ってから数分。
使用済みの食器を洗いながらふと思う。
味噌煮込みうどん、私も試食くらいはしたかったなぁ……。
こう思った途端にきゅるっとひよりのお腹かが小さく鳴った。
私もお腹空いたなぁ。
それに、相楽さんにも少しは何か食べてもらわないと。
時計を見ると、あれからもう二時間が経とうとしている。
余りご飯でお茶漬けでもしよ。
ひよりが二人分のお茶碗を用意したときだった。
「───ご馳走さん。これ、どこ置いたらいい?」
調理場に戻って来たのは福之助ではなく、盆と皿を手にした黎紫だった。
「隊長。相楽さんは?」
「福ちゃんにも向こうで食べてもらおうと思ってね。その後は彼に接待をしてもらう。ふふっ」
黎紫が浮かべる謎の含み笑いが気になるひよりだった。
「あの、隊長はいいんですか?席外して」
「も~そろそろいいだろ~。解放してほしいよ、まったく。どんだけ呑むんだッつうの!ひよりちゃん、もう酒出さなくていいからね。あれ、もしかして昼飯今から?」
卓の上に置かれた少し大きめのご飯茶碗に黎紫の視線が向いた。
「はい、結局食べ損ねちゃったので。お茶漬けでもと思って」
「……そっか。じゃあ俺も貰おうかな。締めは茶漬けだ」
「え、隊長も?」
「だって二人分の用意してあるよ?」
「これは手伝ってくれた相楽さんにと思ったんですけど」
「あいつは向こうで食ってるから大丈夫。お茶漬け頂戴。お茶漬け欲しい。お茶漬け食いたい!」
言いながら、すでに席に着いているあたり……。
黎紫は目の前の空のお茶碗をじぃっと見つめていた。
「わかりました、用意しますね」
ひよりは茶碗にご飯をよそう。
おかかとシラスと海苔と梅干し。
ほうじ茶を注ぎ、刻んだたくあん漬けを添える。
「どうぞ」
「いただきま~す!」
「いただきます」
「んん~~!ひよりちゃんの作る飯はやっぱ美味いなァ」
「……これでも一応、仕事ですから」
「みんな褒めてたよ」
「そうですか。よかったです」
「あのさ、ひよりちゃん……」
お茶漬けを食べる手を休め、黎紫が言った。
「……海苔」
「海苔? もっとかけますか?」
「いや、そうではなくて」
黎紫は目を細め、苦笑いしながらひよりへ手を伸ばす。
黎紫の人差し指がひよりの上唇につんと触れた。
「───⁉」
痺れるような感覚がそこから伝わり、熱を帯びる。
「海苔が付いてる」
一瞬で、その指は離れていったのに。
その熱は唇にいつまでも残った。
「ぇとっ……ま、まだ付いてますか……?」
割烹着のポケットからハンカチを取り出して、ひよりは口元を押さえてから黎紫に聞いた。
「取れたみたいだよ」
こう言って黎紫は微笑んだ。
ひよりを見つめる黎紫の瞳は、どこかトロンとしていて。ほろ酔い気分のようだ。
闇色の瞳に灯る不思議な緋色が、いつもよりゆらゆらと定まらないように見える。
そのせいだろうか……。
なんだか隊長……いつも以上に不安定で。
なんだか……とても妖しすぎ。
「……ないとな、ひよりちゃん」
「え?」
黎紫の瞳に見入ってぼんやりし過ぎていたせいか、ひよりは黎紫の話を全く聞いてなかった。
「気をつけないとって言ったの。いろいろとね」
何をです?と訊き返そうとしたそのとき。
「嵯牙隊長殿ぉ~っ!」
ドタバタと廊下を走る音と一緒に声が響く。
この声、相楽さん⁉
「たっ───助けて! ぼ、僕もう限界ですぅっ!」
福之助が半泣き状態で調理場に飛び込むようにやって来た。
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