美術室3
「生きてるじゃん」
アリスが言った。
「さっき分かったんです。あの絵……じゃなくてただ色を塗った紙のあれ。あれがはじめて描いた絵なんです。本当に楽しかった……」
カレンは、床に落ちた例の絵を拾い、愛おしそうに眺めた。
「アシュリーが苗字で合っています。でも」
「もう一つあるんでしょう?」
カレンは頷いた。手が震えている。彼女にとって、その秘密を漏らすことはご法度なのだ。
「私、こういうのでもいいからずっと絵を描いてたい。そういうことができる世界に行きたい。私の家ではこういうのは禁止されているんです」
ビンゴだ。
ロイもアリスも立ち尽くした。
本物の拷問師が、しかもこれほど繊細な拷問師が目の前にいるのだ。
「それで、本当の苗字は?」
「それは言えません」
カレンはキッパリと答えた。
「まあいいでしょう」
「隠れて描けばいいのに」
「そうだけど、親が怖くてずっと描けなかったの」
「絵ならあんたが教えてあげたらいいのにねぇ」
アリスは一枚の絵を指差して言った。
「あれ、エリザベートの絵じゃん」
エリザベートとは、ロイとアリスの飼い猫である。モノトーンの繊細なタッチで描かれている。
「……」
ロイは余計なことを言うなとアリスを一瞥すると、小さくため息をついた。
「いい方法がありますよ」
「『いい方法』って?」
「貴女が絵を描ける世界にいられる方法です」
「ちょっと、ま……」
アリスが割って入るも間に合わない。
「我々に協力してください」
「協力……?」
カレンは大きな瞳を瞬いた。
「簡単に言うと、某国政府のためです」
「何言ってんだよ、おまえ!」
「っまさか……!」
エストリエ王国。
カレンは息を呑んだ。
「スパイ容疑」の美術教師の男の拷問、そして失踪……。
「スパイ容疑……」
スパイだった。
彼も、彼女も?
スパイの世界がもうすぐそこまで広がっている。
そう言えば、人形のように美しい彼……。
「そうなんだ」とカレンは力無く笑った。が、すぐに顔を曇らせる。
「でも、あ母さんが……。それに、兄さんも……」
「ご家族が上司であるかのような口ぶりですね」
「……」
「いいでしょう。応じない場合、本当に殺しますよ?」
「っ……!」
「刺客が僕とは限りませんが」
(殺さないくせに!)
アリスはふんと鼻を鳴らした。
「上に掛け合えば、貴女の家族の一掃だってできるかもしれません。そうすれば、お好きな絵なんていくらでも描けるようになりますよ」
「そんな! 殺すなんて」
「確かに、邪魔な家族なんて消せばいいんだよ
「どうしてそんなことが言えるの? 家族を殺すなんて」
「だって、絵を描いていたいんでしょう?」
ロイがサラッと言う。
「それは……でも、家族は殺さない」
カレンもキッパリ言った。そして、少し考え込んだ後、口を開いた。
「次期当主なの。当主になれば、そんなルールは変えられるかもしれない」
「当主? 貴女が?」
「……そうなの。うちは女性の方が優位で、今は私の母が当主なの」
二人は目を丸くした。今時女性優位の一族など聞いたことがない。
カレンは構わず続ける。
「でも、次期当主候補はまだいるし……」
「じゃあそいつを殺せばいいんだよ」
アリスは言う。
「殺す殺さないはさておき、それなら簡単ですね。貴女は我々と協力する。我々は貴女を当主にするのを手伝う。これでどうですか」
「そんな!でも、……なるほど。それなら……」
カレンは二人を見た。およそスパイには見えない彼らのように自分も溶け込めるだろうか。だが、もう彼女の心は決まっていた。
後戻りはできない。突如現れた悪魔との契約のようだ。
「分かった。その代わり……」
彼女が要求したのはただ一つだっだ。
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