標本

 公民館そばの空き地に、男の人たちが続々とテントを立てていく。よくあるお祭りの風景のような派手な天幕じゃない、ごく普通の白いテント。今年は焼きそばと、かき氷と、くじ引きとヨーヨーすくいだ、って、テンちゃんが磯屋のおじさんと話しているのを耳にした。

「たまにゃこうして違う露店やんのもいいな。なあ天司?」

「そう、っすね」

 鉄パイプを運ぶ手が止まる。覗きこんだテンちゃんの瞳は、また暗い色をしていた。

「天司もそのほうがええやろ?」

 テンちゃんが顔をあげる。

「やっぱな、思い出しちまうしな」

「……、」

 蒼い顔でぱくぱくと口を動かすテンちゃんの言葉は、どんなに近くにいても聞こえなかった。

 やがてテンちゃんは返事を諦めて作業に戻る。

「つらい記憶はしまって忘れとくのがええのよ」

 磯屋さんはそう言うけれど。テンちゃんはどうなのだろうか。忘れないように、覚えておくために、何年も思い出をなぞっていく。

 そうして縫いつけられたこの私は、まるで標本みたいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る