千年堂のお稲荷様②ー6
千年堂の中は薄暗く、外の夏が嘘のように肌寒かった。
庭にいた時にも見えた裸電球が一つだけ、無言で光を放っている。
その光にぼんやりと照らされて、ゴミにしか見えないガラクタ達が所狭しと並んでいた。
壁には白い紙に大きな黒字で「古物買取承ります」の文字。
ふと思い出す、幼い頃に聞いた話。千年堂とはもちろん子供たちの肝試しのために建っているわけではなく、本来、古物売買を行っている商店である、と。
「まっすぐ進んで、上がれ」
頭の中に直接響いてくる声に素直に従う。
身体をかがめたり伸ばしたりしながら、ジャングルのように進みにくい通路を進む。
店の奥にたどり着くと、屋内へと続く上り框があって、そこには草履が一つだけ置かれていた。靴を脱いで上がり、今度は廊下を真っ直ぐ進んでいく。
その頃にはもう微かな霊気を感じていて、どこに向かって進めば良いのかおおよそ見当がついた。
いくつかの襖の前を通過し、ついに霊圧の発生源らしい部屋の前までくる。
躊躇うことなく襖を開けて、部屋の中へと踏み入った。
広い部屋だった。
四十畳くらいあるかもしれない。それなのに灯りは中央付近にある行灯二つのみで、その光に照らされている部分だけが闇から浮かび上がっているように見える。
行灯に挟まれるようにして小さな布団が一組だけ敷かれていて、掛け布団が捲られたままになっていた。その小ささから、腕の中の少女のための布団なのかもしれないと思う。
行灯の向こう。
その灯りに照らされて、一人の老婆が座布団の上に座っていた。左の膝をたて、そこに左の腕を乗せていた。
銀色に変わった髪はボサボサで、顔に刻まれた皺はその歴史を物語るかのように濃く深い。紫色の半纏を着て、入ってきた名雪のことを見上げた。
開いているのか微妙なほどに細い目。しかしその中心には、紫色に輝く不気味な瞳が確かにあって、その迫力に名雪は思わず後退りする。
部屋の暗さも相まって、その辺のミタマより、よほど凶悪な悪霊のように見える。
そして名雪はその目を見て確信した。
やはり自分はこの鬼婆婆に、かつて会ったことがある。
老婆が舌打ちした。
「誰が鬼婆婆だ。失礼なガキめ」
心を読まれたのかと目を丸める。
「いいから早く来てチビを横にしろ。いちいち動きが遅くてどっちが老人か分からんわ」
指示されるまま布団に近づき、少女をそっと横たえる。
呼吸をしているように見えない。既にこと切れてしまっているのではないか。
「どけガキ」
立ち上がった鬼婆婆が名雪を蹴飛ばした。想像以上に強い力に名雪の息が一瞬止まる。
お婆婆は素早く少女の側により、胸元からお札を何枚か取り出した。
両手両足両肘両膝両肩両腰、そしてお腹と胸、最後に額。
身体の全てがお札で埋まる。
鬼婆婆が胸の前で複雑な印をいくつも組み、水桶に浸してあった榊を手に取ると、それで少女を扇いで霧をかけた。
パンパンパン!
いくつかのお札が爆発するように弾けて燃え上がった。
鬼婆婆が大きな舌打ちをして、状況がよくないのだと分かる。
「このバカチビが。一歩歩くだけでも命に関わると、あれほど……」
「そんな……」
一歩、なんてレベルではない。
少女は名雪を守るために、結界を張って強大な怪物と戦ったのだ。
あんなに美しくて強い結界。その実現のために消費される力の大きさはきっと並大抵のものではないだろう。
かはっ。
小さな呼吸音がして、少女が血を吐き、身体が銃撃されたかのように跳ねた。
思わず名雪が布団の近くに寄る。少女の目が開いていた。
赤い瞳の焦点は定まらず、ぼんやりと宙を眺めている。
大量の汗をかき、急に始まったその呼吸は荒い。
「しっかり!」
叫んだ名雪の方に少女が手を伸ばす。名雪がその手をとって優しく握り返した。嘘のように小さな手。指の長さも太さも名雪の半分もない。軽く力を入れれば、簡単に折れてしまいそうだった。
少女が名雪を見て、小さく口を開いた。
「たすけてくれたひと、たすかった?」
まだ舌足らずの幼い声。
「うん。ありがとう。君のおかげだよ」
少女がゆっくりと、満足したように頷いた。
そして少女の両目が再び閉じ、身体からすうっ、と力が抜ける。
「駄目だ! しっかり!」
何度も何度も手の中で少女の手を握り直す。
少女はそのたび、壊れた人形のように大きくゆれる。
「どいてろガキ!」
再び鬼婆婆に蹴飛ばされた。
老体のどこにそんな力があるのか、名雪が畳の上に転ばされる。
起き上がって見ると、鬼婆婆は手に、不細工な木の棒を握っていた。
三叉に分かれたその棒は、先ほど天から庭に飛来し、雷と共に怪物を葬ったあの棒と同じものに見えた。
「顕現せよ――」
鬼婆婆が静かに、そして厳かに言うと、木の棒を中心に部屋の中で紫色の放電が起こる。
畳が爆ぜ、襖が吹き飛ぶ。大地震に襲われたかのように部屋が激しく振動する。
「神格武装・
行灯の火が燃え上がり、眩いほどに輝いて爆ぜた。
そして名雪が気づいた時には、鬼婆婆の手には木の棒ではなく、透けるような薄い紫色をした剣が握られていた。
明らかに尋常の領域にある存在ではない。
そこから溢れ出す霊力はまるで龍神が起こす雷のように周囲に激しく飛び散っている。
家全体が軋むような音を出し、倒壊しないのが不思議なほどに感じる。
鬼婆婆が剣の切っ先を少女の胸に当てた。
「こうなっては仕方あるまい」
名雪がはっとする。なぜ鬼婆婆がこのタイミングで剣を抜いたのか。
少女はもう助からないのだ。だから、彼女を楽に死なせる気なのだ。
「やめろ!」
鬼婆婆に突進する。
その腰に体当たりをしようとして――目の中に電流が流れた。
喉の奥で何かが爆発し、鼻の穴と口から血反吐を吐いた。
上も下もわからなくなってふらつき、頭から畳に落ちたのだけはわかった。
「ぐ、あ……」
顔の右半分が潰れたかのように痛い。
ようやく気づく、鬼婆婆の剣で殴られたのだ。切れてはいないので、剣の横の鎬の部分で殴られたのだと思う。痛すぎて声が出ない。視界もぐにゃぐにゃしていて定まらない。刃で斬られた訳ではなくとも金属の棒で殴られたのである。死んでいてもおかしくない。
バチイッ!
今度は、名雪は何もできなかった。
ぼやけた視界の中で、鬼婆婆が少女の胸に当てた剣から紫色の放電が起こった。
まさか……。本当に殺したのか?
助けてくれると思ったのに。だからここまで連れてきたのに……
痛みと悔しさと訳のわからない混乱とで、名雪の目からボロボロ涙が出た。
少女の元に寄り、その顔を覗き込む。
その表情は安らかで。
……微かに胸が上下していた。
鬼婆婆がよっこらしょ、と名雪の隣に腰を下ろした。
「一か八かだったが……吉と出たな」
そう言ってため息の中に笑みを浮かべ、既に木の棒へと戻っていた剣を名雪に見せた。
「布都御霊は雷を操る。……エージーエーとか言うやつよ」
いや……AGAは男性型脱毛症のことである。もしかしたら
身体から力が抜けていく。
結局鬼婆婆は、最初から最後まで少女を救うために動いてくれていた。自分は何もできなかった。それどころか、ただ邪魔をしていただけだったらしい。
安堵と同時に、泥のような疲れが襲いかかってきて、名雪は畳の上に膝をつき、がっくりと項垂れた。
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