第22話 誘惑

 

「ねえ、白銀さん」

 

 ほおに米粒をつけながら水筒を受けとる白銀しろがねを、青葉は潤んだ目で見る。

 こういう目をした時の彼女はだいたい身体を密着させてくるので、白銀は身構えた。

 案の定、腕に自分の胸をぐいぐい押し付けはじめる。

 

「私の事、どう思う?」

 

「え? ……どうって……」

 

 青葉は白銀の手を握ると、それをそのまま自分の胸元にあてがった。

 

「!?」

 

「私……初めてあなたに会った時から、この辺りが苦しくて」

 

 胸元の着物を少しはだけさせ、白銀の手を着物の中に入れる。

 初めて触る柔らかな感触に、白銀はどうしていいのかわからない様子だった。

 

 ────ふふ、初心うぶなんだねえ。

 

「な、何してんだお前……」

 

「女はこうするとよろこぶんだよ」

 

 白銀の手を、更に着物の奥へと誘導しようとした時だった。

 

「白銀に妙な事を教えないでもらいたい」

 

 凛とした声が辺りに響いた。

 ふたり、声の方へ顔を向けると桔梗ききょうが怒りを露にして立っていた。その後ろで勇太が不安そうに顔だけ覗かせている。

 何か気まずい気がしたのか、白銀は青葉の胸元からパッと手を離した。

 

「何だい? 邪魔しないで貰えるかい? 私は今この人と大事な話をしてるんだ」

 

「腹を空かせた自分の息子を放っておいて、男を誘惑することが大事な事か?」

 

 眉間の皺をいっそう深くし、桔梗は続ける。

 

「母親なら、まずは自分の子を優先で考えるべきだろうっ!!この子には貴女あなたしか居ないんだから」

 

 勇太は、桔梗の着物をぎゅっと掴む。「かあちゃん……」という小さな声が聞こえた。

 

「勇太にはちゃんと用意してたさ。食べてなかったのかい?」

 

 青葉はきつい口調で勇太を見ると、勇太は桔梗の後ろにサッと顔を隠した。

 

「用意しただけか? こんな小さな子に独りで食事をさせて、自分は男と食事? 貴女は子供より自分の欲求の方が大事らしいな」

 

「……小娘が偉そうに……」

 

 青葉は憎らしげにそう呟くと、立ち上がる。

 大股で桔梗まで歩みより、ジロリと睨み付けた後「行くよ」とその足にしがみついている勇太に声をかけ再び歩き始めた。

 桔梗は青葉とその後を追う勇太の背中をため息まじりに見ると、白銀に目をやる。

 彼はじっと自分の手を見つめていた。

 

「白銀?」

 

「女って柔らかいんだな」

 

「は?」

 

 白銀は真面目な顔で桔梗を見る。

 

「お前の胸もあんなに柔らかいのか?」

 

 唐突な質問に桔梗は一瞬ぽかんとするが、みるみるうちに怒りの表情に変わった。

 

「馬鹿者っ!!」

 

 桔梗の怒鳴り声は、遠くの家まで響いたとか。

 

 

 

 

 

「ああっ!!ほんとに気分が悪い!!」

 

 桔梗に説教まがいの事を言われて気分を害され、青葉は乱暴な足取りで歩いていたが、後ろを歩く勇太をちらりと見てため息をついた。

 

「何で用意した昼御飯食べなかったんだい?」

 

 目線を勇太に合わせるようにしゃがむと、その顔を覗きこんだ。

 

「母ちゃんと一緒に食いたかったんだ」

 

 青葉はもう一度ため息をつくと、勇太の頭の上に手を置いた。

 

「今母ちゃんはねえ、あんたの父ちゃん探しで忙しいんだ。お前だって父ちゃん欲しいだろ?」

 

「うん」

 

「だったら、母ちゃんの言う事きいとくれよ」

 

「…………」

 

 黙ってうつむく勇太の頭をぽんぽんと優しく叩いて、青葉は立ち上がる。すると、進行方向から沢山の野菜や山菜を乗せたかごを抱えて男達が歩いて来ていた。

 

「あらあ……」

 

 青葉はいつもの上目使いで彼らを見ると、猫なで声で髪の毛を耳にかけながら歩み寄る。

 

「いつも悪いねえ。こんなに沢山、食べきれるかしら」

 

 男達はそんな青葉に驚いた顔をしたが、途端に気まずそうに笑った。

 

「あ、ああ。青葉か。……いや、これは庄屋さんとこの桔梗さんに届けようと思ってな。ほら、色々と世話になったし……」

 

「…………」

 

 言葉を失う青葉に男達は「じゃあ」と言うとそそくさと歩いて行ってしまった。

 そういえば最近、男達からの貢ぎ物が無い。態度も前と違ってそっけなくなった気がする。

 村中の男達の人気は、桔梗に集中しているという事を嫌でも肌で感じた。

 

 ────あんな小娘のどこが……!!

 

 ギリリと歯を食い縛ると青葉は自宅へと戻っていった。

 

 

 

 

 ※

 

 

 

 

「わかったか? もう、あの青葉という女とは関わるな」

 

 庄屋の家。白銀と玄が借りている部屋で、桔梗は白銀に説教をしていた。

 白銀は黙ってそれを聞いている。

 

 別に青葉と一緒に居たい訳ではない。それどころか、少し苦手意識が最近芽生えつつあった。

 だが、強引なのだ。

 腕を引かれたら、それを振り払うのは気が引ける。何より、力ずくで振り払って怪我でもさせたらと思うとそれも出来なかった。

 

 でも、それで桔梗を怒らせるのは不本意だ。

 

「わかった。桔梗が言うならそうする」

 

 白銀の答えに、大きなため息をついた桔梗に、それまでの一部始終を見ていた玄がニヤニヤしながらからかうように言う。

 

「嫉妬?」

 

「なっ……。そ、そうじゃない!!あの女は白銀にとって、悪影響すぎる。近づけさせたくないだけだ」

 

 慌てて否定し、そっぽを向く桔梗の耳は紅く染まっているように見えた。

 その様子に玄は肩を揺らして笑う。

 

「ふうん。何だかまるで白君のお姉さんみたいだね。桔梗ちゃん」

 

「…………」

 

 そうかもしれない。

 無意識のうちに、自分の弟と白銀を重ねていたかもしれない。

 

 だが、今はどうだろう。

 

 青葉と一緒にいる白銀を見たとき、一瞬よぎった不可解な感情。

 

「桔梗ちゃん?」

 

 動きを止めた桔梗を怪訝けげんに思った玄に声をかけられ、ハッと我に返った。

 

「あ、ああ……何でもない。後で薬湯を持って来よう。少し疲れたから隣で休む事にする」

 

 部屋から出ていく桔梗に、白銀と玄は顔を見合わせた。

 

 

 

 

 自室に入り、後ろ手にふすまを閉めた桔梗は思い詰めた顔で天井を仰いだ。

 

 ────“嫉妬? ”

 

 玄の言葉が耳に残る。

 

 青葉が白銀の手を掴み、強引に自分の胸元を触らせたのを見た時に沸き上がった怒りは……。

 

 ────あれは、嫉妬だったのか?

 

「まさか……な」

 

 拳で額を軽く叩きながら苦笑いをし、桔梗は薬を煎じる準備を始めた。 

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