赤ずきんと狼さん
「狼さん、右目の調子はどう?」
『一体いつの話をしているんだ』
年老いた狼は琥珀の左目で美しい少女を映し、低い声で答えた。
体長一六〇センチ、体重六〇キログラムと大柄で、足元は白く胴体にいくにつれ濃い茶と灰の毛が混じる。
テント一式が入るリュックを背負ったままお座り。
「たまには聞いておかないとね」
優しい笑みを浮かべる。
フード付きの赤いコートに細身のパンツとブーツ。
ボルトアクションライフルを背負い、腰ホルスターには四五口径のダブルアクションリボルバーが収まっている。
狼の顎や横顔を撫で、閉じた右目にリップ音をつけて口づけ。
「さて、そろそろ行きますか」
準備が整い、少女が歩くと狼もゆっくりと歩きだす……――。
長閑な小さな町に到着した。
狼は町の外で待機する。
塀も門もない町にやってきた少女を、住民は興味深く観察している。
「なんちゅう美人だ」
「ライフルなんか持って、狩人か、軍人かぁ?」
ひそひそ話す。
住民達の会話を聞き流し、少女は食品雑貨店に入ると真っ先にカウンターへ。
「何でも屋をしているのですが、何か困りごとはありませんか?」
店主は一瞬驚いたが、すぐに何もないと首を振る。
少女は残念がることもなく、淡々と頷く。
干し肉と赤ワインを購入して立ち去ろうとした少女を、店主は呼び止めた。
「お嬢さん、名前は? 何者?」
「家の掃除から人食い狼の駆除までこなす何でも屋です。名前は、みなさん赤ずきんと呼んでるみたいですよ」
自らを『赤ずきん』と仮称した。
店主は不思議な少女に傾げつつ、腕を組んで考え込む。
ふと思いついた、意地悪を含めた質問を投げる。
「何でもってのは、その、体の相手とかも」
「去勢なら手伝いますよ」
冷ややかに鋭く返ってきたので、店主は「じょ、冗談さ」、と苦笑う。
「そうだ、隣の家にシェリアっていうおばあさんがいる。ここ最近塞ぎ込んでいてな、俺達が声をかけても『なんでもないわ』ってはぐらかされるんだ。一回声をかけてみてくれないか」
「なるほど、試してみます」
赤ずきんは情報を元に、隣の小さな家をノックする。
少し遅れて返事が聞こえたので、そっと扉を引く。
暖かい照明がついたリビングで、ロッキングチェアに腰かけたシェリアがいた。
見知らぬ訪問者に、目を丸くさせている。
「ど、どなた?」
少し警戒した口調で、立ち上がる。
「いきなりすみません。私は何でも屋をしている赤ずきんと申します。町の皆さんがシェリアさんのことを心配していまして、偶然町に立ち寄った私に様子を見てきてくれと頼まれました。仕事としては家事手伝いから人食い狼の駆除まで請け負っています。報酬は食料、弾薬、医療品等々を頂戴したいのですが、どうでしょうか」
「こんなに綺麗な子が、人食い狼の駆除を……」
シェリアの返事を待つ。
物騒な武器や風貌に警戒したまま、続けた。
「主人のペンダントを、森の小屋に置いたままなの。取りに行きたいけど……森は危険でしょ、誰にも頼めなくて」
棚の上に飾られた写真立てに写る、誇らしげに微笑む男性を、愛しく眺める。
「分かりました。主人のペンダントですね、探してきます」
「え、そんな簡単に、森は人食い狼がいて危険よ」
心配するシェリアに対して、にっこりと微笑む。
「報酬を用意してお待ちください」
家を出て、早速町の外に向かう。
外で待機していた狼は、赤ずきんの姿が見えたので、茂みから体を起こして近寄っていく。
『森に行くのか?』
「うん、森の奥に小屋がある、そこに依頼主の探し物があるんだってさ」
『森か……』
「おやおや、森は怖いかい、狼さん」
茶化すような言い方をされ、狼はそっぽを向いてさっさと森に進んでしまう。
「ふふ、冗談だってば」
赤ずきんは笑顔でついていく。
明るい時間帯でも、森に入れば薄暗く、ほとんど日の光は感じられない。
狼の弱々しい足取りを追いかけ、森の小屋を目指す。
すると、草が何かに擦れる、騒がしい音が鳴る。
リボルバーを抜き、周囲を見回す。
『人食い狼の臭いがする。気を付けろ』
「了解」
警戒して進み、人工的に伐採され陽の光が大量に差し込む広い場所に到着した。
小屋があり、寂れて、窓が半分割れている。
『見張っておく』
ドアノブをひねってみるが、びくともしない。
「かったい、劣化してるのかな」
『割れた窓から入ればいいだろう、破片に気をつけろ』
狼の助言に、笑顔で頷く。
「その通りだね、賢い狼さん」
窓枠に残っている破片をグリップで壊し、グローブで取り払う。
乗り越えると、室内は外から差し込んだ光以外なく、電池式の小さなランタンをカバンから取り出した。
ランタンの明かりを頼りに、埃まみれの家具から目的の物を探す。
棚、ベッド、クローゼットの中をこれでもかと探ると、クローゼットの引き出しから黒い細長い箱を見つけた。
手に取って開けてみると、シルバーの指輪がついたペンダントが入っていた。
柔らかい布に包まれて、丁寧に保管されている。
扉を内側から開けて、狼を呼ぶ。
「見つけた、あったよペンダント」
『そうか、こっちは厄介なのが来ている』
涎を垂らす二足歩行の人食い狼が複数現れた。
薄汚れた茶色の被毛と大きな口、琥珀の瞳孔は人間をエサと捉えている。
鋭い爪と牙が、じりじりと近づく。
「まぁまぁの数だね、ちょっと撃つよ」
赤ずきんはリボルバーを空に向けて発砲。鼓膜を刺激するには十分の破裂音が響いた。
『うるさい!』
狼はよろけて転んでしまう。
「撃つって言ったよ。邪魔だからじっとしてて」
二、三匹が音に怯み、草むらの奥に逃げていく。
残りは赤ずきんを狙って襲い掛かる。
大きな口を開けた人食い狼の頭や胸に、弾丸を撃ち込んだ。
連続した破裂音と的確な射撃精度で、動きが止まった。
草の上に落ちる。
土に染み込んでいく赤。
動かなくなった人食い狼のなか、一匹が荒い呼吸を繰り返し、横たわる。
お腹が膨れ、ドクンドクン、脈打っていた。
シリンダーを横に振り出し、六発詰め込んだ。
銃口を向け、人差し指を引き金の上に添えて止まる。
瞳孔が赤ずきんを睨み、必死に唸っていた。
殺意が込められている琥珀に、指先が動かない。
『撃て、赤ずきん』
「……そうだね」
森に、寂しい破裂音が響いた。
『それでいい。お前は正しいことをしている』
「うん。狼さんは平気?」
『何も問題ない』
「それは何より、行こう」
町に戻ると、家の前でそわそわしながら待っていたシェリア。
赤ずきんを見つけると、早足で歩きだす。
「アナタ、無事だったのね! 森からすごい音がしたから心配したのよ」
口を手で押さえて、ホッとした表情で迎えた。
「見つけましたよ、ペンダント」
箱に入ったシルバーペンダントをシェリアに見せると、瞳を潤ませて呼吸を微かに乱す。
「あぁ、これよ。良かった……結婚指輪なの。主人は狩人だったのよ、でもある日……いいえ、本当に良かった」
ペンダントを大事に抱え、再会を噛みしめるシェリア。
「ありがとう。これでいつでも主人と一緒にいられる。報酬になるかどうか分からないけど、作り過ぎて余っちゃったご飯と、主人が使っていた弾があるの、良かったら貰って」
食料と銃弾を受け取り、赤ずきんは笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます、シェリアさん」
「森は危なかったでしょうに、こんなものでごめんなさい。本当に感謝してるわ、アナタ、お名前は?」
首を横に振り、赤いフードを指した。
「赤ずきんです」
自らを仮称し、立ち去る。
平坦な地形を探し、ワンポールテントを立てた。
ライフル銃を置いて、赤ずきんは折り畳みイスに腰掛けた。
ミニテーブルに細長い葉巻用の灰皿、小さな容器から取り出した葉巻を乗せ、マッチで火をつけると、少し窪んだ先端から煙と甘い香りが漂い始める。
「はぁーいい香り」
『吸わないくせに、なにがいい香りだ』
「香りを堪能するのが乙ってもんだよ、狼さん」
『真似はやめろ、全く良さが分からん』
「もったいないなぁ」
目を細め、狼の顎下を撫でた。
『シェリアという人間は、どんな奴だった』
「親切で素敵な人だよ。凄く喜んでた、愛し合ってるんだろうなって思う」
『愛し合ってる?』
狼は疑問を浮かべる。
「そう、不思議な感情なんだ。きっと胸がギューッとなる、かもね」
『意味が分からんぞ』
「ふふ、難しいね。難しい話はここまでにして、夕食をとろう」
辺りは薄暗くなり、夕食を取るには問題のない時間帯。
干し肉をナイフで薄く切って、赤ワインをコップに注ぐ。
狼には余った干し肉と、赤ワインを皿に注ぐ。
「それじゃ狼さん、乾杯」
にっこり微笑む赤ずきんに、狼は呆れた鼻息を出して、
『……乾杯』
干し肉に頑丈な顎で食らいついた。
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