16◆天野加々禰という少女

「それでは、この前やった数学Aの小テストを返します。30点中10点以下は赤点ですからねー!それでは、アミディさんから」


この学校は、一般教養の成績を授業態度と小テストの結果のみでつける。実質、小テストが定期試験と言ってもいい。

答えがある試験は確実に点をとっていけるから好きだ。神通力の方も筆記だったら楽だったけれど、流石にそうはいかないわね。


「あちゃー…僕11点…ギリギリだ…」

「だいじょうぶ、ぼく、ちゃんと赤点」

「さ、3点じゃない…意外と数学って苦手な子が多いのね」

「ラティーファちゃんったら28点!?さっすがインド人っ!好きになっちゃうっ!」





「次、天野さん」

「はい」


席の間を割って、教卓にいる先生まで歩くこの時間。コツ、コツと革のローファーが鳴る音。

これも好きだ。憂鬱に思ったことなんて、今まで一度もない。


「満点です!良く頑張りましたね!」


先生の満面の笑み。嬉しそうなところ悪いけれど、私にとってはごく当たり前のこと。

今までの学校生活で、先生という存在からは笑顔と称賛だけを貰って来たもの。


真棒素晴らしい!やっぱり彼女はすごいね」

「今までやった小テスト、全部満点とってる…!」

「成績優秀ちゃんなんだねぇ~」

「あいもまげれのん!」

什么なんて?」

「えっとね、「私も負けられない!」って言ってるよ~」


負けられない?寝言はお布団で言ってほしい。

私は私の為に、私を削って努力し続けてる。あなたたちみたいな生半可な気持ちで居る訳じゃないの。仲間内で馴れ合って、そのまま衰えていかないよう気を付けることね。


「サンティスくん!」

「はい」

「サンティスくんも満点だよ!素晴らしい!先生やる気でちゃうな~」


クリストファー・サンティス。アメリカ人で、父親がカトリック教会の神父だとか。

彼はライバルとして見てもいい。彼も今のところ全テスト満点だし、神通力の授業も優秀な成績だと聞いている。私と同じくらいの実力だろうから、今後バトルの相手として宛てられる可能性が高い。ひょっとしたら、私たちで1位2位を争うかも。

…ただ、一人だけ気がかりな子が居る。


「アイナちゃん、テストどうだった?」

「バッチリ畑で大収穫祭~」

「うわっ26点じゃん!?かしけぇ~!」


…木屋根 桜。

悪魔と契約を交わした愚かな少女。



『正しい、善なるものを使役できるのは、当たり前だと思うんだよね』

『つゥワケでウチの主人がテッペン取るから、お前らは精々2位以下目指して頑張りなァ』



思い出すだけで、お腹の辺りが熱くふつふつと沸き立つ。顔をしかめそうなのを必死に抑えた。

最初は目もあてられないような状況だった癖に、いつの間にか友達出来てるし、彼女のせいでクラスの全体が志気を上げてしまった。面倒だ。皆が腑抜けていれば、少しは楽に戦っていけそうだったのに。ま、どちらにしろ結果は変わらないけれど。


「木屋根さん」

「はい!」

「うんうん、木屋根さんも心配いらないね。これからも頑張って!」


嘘。

もしかして、あの子も満点?

不穏な予感に、彼女の方へと耳を澄ませる。


「さくさく、どだった?」

「に…24点だった…!理系苦手な私にしては快挙だよこれは…!」

「ゃったぢゃん。おっつっつ」

「おっつっつー!!」


なんだ。やっぱりそんなものか。

今のところ、彼女の一般教養での成績は大体上の中。霊能力の方は知らないけれど、きっと同じくらいでしょう。ライバルにはならない。

1位になるなんて悪魔共々大口叩いたこと、後で悔やんだらいいわ。












「天野さーん!」

「かっがねちゃん!」


移動教室の為に準備していると、女子2人が話し掛けて来た。

一人は、焦げ茶色の髪を一つに三つ編みして、青と金色のフェイスペイントを塗った褐色の生徒。もう一人は、よく目立つショッキングピンクのボブカットをハーフアップにした生徒だ。


「…何か用?」

「良かったら次の教室一緒に行かない?天野さんとずっと話してみたかったの」

「わたしもー!あっ、わたしフィオナ・アミディ!よろしくねんっ」

「私はラティーファ・アーメド・アリ。よろしく、天野さん」


ラティーファさんから、優しく色の濃い手が差し出される。

私はその手を暫く見つめた。


なんて友好的で、親切な手なんだろうか。きっとこの手は、今までも私のような人に沢山差し出して来たんだろう。

でも、この手はとれない。私はそっち側には行けない。


「…私、誰とも馴れ合う気はないの」


それだけ言って、私は席を立ち去った。鞄を肩にかけて、コツコツと足早に革靴を鳴らす。


廊下に出ると、風に乗ってどこからか声が聞こえてきた。


《加々禰。何故あのようなことを》


ナナの声だ。ナナと言っても可愛くない、厳かな低い男性の声なんだけれど。


「決めたの。私は飛び級して、この学園を1年で卒業する。その為に余計な時間は取りたくない」

《だからと言って…他者を蔑ろにして良いと思うのか》


うるさい。

ナナは黙って、私に従っていればいいの。私のやり方に口出ししないで。

私は絶対に、これを叶えなきゃいけないんだから。


《…そのやり方は、長くは続かんぞ》

「いいえ、続けてみせる。私は、宮司になる女だもの」


過去にもこの学園を1年で卒業した生徒が1人だけ居る。私もそうなれば、かなりの箔が付くだろう。

その為には、全てにおいてトップクラスの優秀な成績を修める必要がある。私なら、出来る。


「もう、誰にも文句は言わせない」











私の実家である日本天野大神宮は、天照アマテラス大神を主祭神とする神社だ。天皇家が代々神前結婚式を行う場としても知られている。

最高責任者である宮司を務めるのは、私の父である天野 禰之助ねのすけ。母の加奈絵かなえは、ごん宮司としてその補佐をしている。

実は“神主”というのはただの職業名で、どんなに階級が低くとも神職に就いている者は皆神主だ。大体の人がこれを知らないので、あの男子にはわかりやすく神主になると伝えてあげた。

正しくは、私は宮司になる。

神社のトップを務める2人の間に産まれれば、それは必然のことだった。


「禰之助さん…貴方に似て、鼻が高くて綺麗な子に産まれたわ…!おめめの色もお揃いね…!」

「…」

「ほら…手を握ってあげて」


父は、産まれたばかりの私にそっと人差し指を伸ばした。

その骨ばってごつごつとした武骨な指を、私は小さな手のひらで緩く包んだそうだ。


「まぁ…!ふふ」

「…加奈絵」

「なあに…?」

「有難う」

「…はい…!」


父は、寡黙な人。一見近寄りがたい雰囲気を纏っているし、不器用な人だ。

口数が少ないせいで誤解されがちだけれど、父は一つ一つの言葉をとても大事にしてくれていると、母は毎日のように言っていた。









「加々禰、起きなさい」

「…うーん…おとうさん、まだ4時だよぉ…?」

「お前ももう四つの年になる。これからは毎朝4時に、私と一緒に滝行をしよう」


父は厳格な人でもあり、幼い頃から私に修行を強いた。

当時は反抗して泣いたり愚図ったりもしたが、父は声を荒げることもなく、ただひたすらに私を連れ出して、隣で滝に打たれていた。


「ひふみ よいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか」

「ひふみ、よいむなや、こともちよらね、ひきる、ゆみつわう…」

「違う。こともちろらね、しきる ゆゐつわぬ」

「…こともちろらね、しきる…ゆゐつわぬ、そをかはくめ…」

「違う。そをたはくめか だ」


子供相手に容赦もない人だ。

でも、そんな父に憧れた。

歴代最高の神通力を持ち、人々に頼られるその背中は、誰よりも格好いいものだったから。








「天野様…!ようこそおいでくださいました。こちらへどうぞ」


小学3年生の時、父の仕事を見学するために、無理言って名古屋まで付いて行かせてもらったことがあった。

着いた先は、白根しらね神宮という名古屋の神社。

父は忙しい宮司業の傍ら、たまに依頼を受けて仕事をすることがあり、この時は父の知り合いの山貫やまぬきさんという神主からの要請で、名古屋まで来ていた。


「実は、ここから少し離れたところに“黄気おうけ神社”という小さな神社があるのですが、先日近隣住民から「夜中に神社の方から怖い声が聞こえてくる」と相談されまして…」

「そこで、以津真天イツマデンが現れたと」


以津真天は、建武元年に初めてその存在を報告された怪鳥。疾病や飢餓、戦乱などで死んでしまった人間の死体を放置していると現れ、“いつまで放っておくのか”という意味を込めて「イツマデ、イツマデ」と延々に鳴き続ける。

その鳴き声は女とも男ともわからないくらいに掠れたがなり声で、聞けばたちまち恐怖に捕らわれるという。


「黄気神社は、何年か前に参拝客が途絶えてしまってから、誰にも世話をされず放置された為に、ひどく廃れてしまったみたいなんです。恐らく、今回はそのせいで以津真天が現れたんじゃないかと思いますが…」


山貫さんは俯いた。額には薄く冷や汗をかき、その視線はどこか不安げに揺れている。

その様子を見て、父は少し深刻そうに眉をしかめ、表情を険しくした。



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