序章02 一五八二〇六〇二

序章02 一五八二〇六〇二

1582年 6月2日


--京都 本能寺ほんのうじ--


 目が覚めた。というよりも夢にうなされ、そのまま跳ね起きたという方が正しいだろう。布団から跳ね起きたこの男こそ、尾張国の一大名、織田おだ信長のぶながその人である。

 今では天下に名を轟かせる武将となり、その活躍ぶりと否や、最近では、本願寺が援軍に加わった毛利水軍をも打ち負かす程で、あの武田家をも討ち滅ぼしてしまった。

 後は中国の毛利もうり、四国の長曾我部ちょうそかべ、九州の島津しまづ大友おおともなどを残すのみとなった。信長は、中国で毛利攻めを行っている、家臣の羽柴はしば秀吉ひでよしの軍に加勢し討ち倒すべく、今は此処、京の本能寺にて一時休息をとっていた。その最中での出来事であった。

 背中には寝汗がぐっしょりとしているのが、白装束からも伝わってくる。いかんいかんと首を左右に振り、一息落ち着かせる為、すーはーと深呼吸をした。

 その時であっただろうか、左の障子から何やら声が聞こえてきた。何かの声であろうか、その声は一人、二人と重なり多くの声となり、みるみる大きな声へと変わっていく。それらの声と同時にドタドタと囲炉裏いろりを大急ぎで此方へ向かってくる音がする。そして障子しょうじから人影が見え、此方へと迫っていく。そして人影は自分の前で止まるとこう告げた。

『お休み中の所、失礼致します。』

 その声と共に、スッと障子が開く。そこに立っていたのは年半ばもいかない青年である。

「如何した、蘭丸よ。こんな夜更けに何事じゃ。」

 信長は、落ち着きつつ且つ冷静に、目の前で立膝をし、屈んだ青年--もり蘭丸らんまるに述べた。

「殿、落ち着いてよくお聴きくださいませ。」

そう言いながらも、蘭丸はハァハァと息を吐き、額には汗が微量ながらも滴っているのが、真向かいにいる信長には分かっていた。

「落ち着け蘭丸。そなたがそんなにも息を荒げているのは急な様だからであろう。一旦落ち着き、息を整えてから申せ。」

はい、と言いながら、蘭丸は呼吸を整えた。信長は、蘭丸が呼吸を整えている間に布団から出ると、その場で立ち、着崩している寝巻きを整えて蘭丸に向き直った。蘭丸はスッと落ち着いたところで、信長に申した。

「殿、謀反でございます。敵の旗は見えたのですが、色の方は暗くてよく見えておりませんでした。しかし旗に掲げている紋章は桔梗ききょうの紋と見たところ。そしてその旗が示す者の名は----」

「光秀、じゃな。」

蘭丸が名を述べようとしたところで、信長は先にその名を述べた。

蘭丸は、左様で御座いますと申し、信長の申した名に仰る通りと言わんばかりに頭を下げた。

「して、今の状況は?」

「はっ、それが--------」

蘭丸が状況の報告をしようとしたその時だった。ガラガラと蘭丸の後ろで屋根瓦やねがわらが落ちていった。信長が見ると、本能寺の真上に火矢が一斉に此方こちらへと向かっているのが分かる。

「っ!蘭丸、避けろ!」

信長がそう申すと、蘭丸は信長の真後ろにへと逃げ込んだ。すると、木屑きくずがガラガラと落ち、信長の真正面に落下していった。

(このまま此処に居座るわけにはいかぬ。先ずは移動をせねば。)

信長はそう考えると、後ろに隠れた蘭丸に申した。

「蘭丸、状況報告はよい。この場を移動するぞ。此処もいつ崩れ落ちるか分からぬ。」

「はっ!」

 信長と蘭丸は崩れ落ちた木屑を跨ぎながら先へと進んだ。広間に辿り着く頃には、目の前の光景に呆気を取られるしかなかった。ひしめき合いながらも刀を持ち雪崩れ込んでいく者、その者らを迎え撃つかの様に信長を守るべくして刀を交えていく者。

 呆気に取られていた信長だが、すぐ正気を取り戻し蘭丸に指示を与えていく。

「蘭丸、今本能寺にいる者らを避難させるよう、逃げ道を確保せよ。わしの事はその後で良い。それから----」

 信長がその後に何か言おうとした瞬間であった。信長の後ろから何者かが斬りかかるのを蘭丸は見た。

「殿!後ろに!」

 蘭丸の言葉の意図を汲んだ信長は咄嗟とっさに、近くにあった槍を持ち、後ろにいる明智軍の兵士の斬撃をスッと交わし、右手に持った槍で敵の懐を突いた。

斬りかかろうとした兵士はそのまま倒れ、信長は突いた槍を抜いた。槍の矛先には、じっとりと血が滲み、矛先から血がポタポタと縁側に滴っていた。

 その槍を矛先を見ていた時であった。何かが信長の左胸に突き刺さるのが分かった。左胸に突き刺さったもの、それは射抜いた矢であった。そのままよろけて信長は倒れた。

「殿!!」

 倒れる信長に、蘭丸は直様すぐさま駆け寄る。しかし信長は、矢を撃たれていながらもゆっくりと壁に寄りかかりながら何とか立つのであった。

「蘭丸、わしの事は良い。それよりもこの奥には誰も入れるでない。狙いはおそらくわしの首であろう。なら敵に首を取られなければ良い。」

「つまりは、本能寺に立て篭もると?」

「そうではない。いずれはこの本能寺も持たぬであろう。なればこのまま自害するしかあるまい。」

 信長の言葉に、蘭丸は息を呑んだ。

「蘭丸、良いか。この奥には誰も入れてはならぬ、絶対じゃ。そうしなければ織田家も滅んだも同然。何が言いたいかは分かるな?」

 蘭丸はその言葉に深く頷いた。その反応に、信長はフッと笑い、こう言った。

「ならもう行け。敵はすぐそこまで来ている。何としてでも死守せよ。」

 ハッ!と涙ぐみながらも、蘭丸はその場を去り敵を迎え撃ちに行った。

 信長は、敵を迎え撃つ蘭丸を見送ると、背を向け、近くに落ちていた、鞘にしまっていた刀を取ると、本能寺の奥へと進んだ。矢を射抜かれた所は心臓とは少し離れた箇所ではあった為、命を絶つことは無かったが、血がポタポタと滴っていた。片足でずるずると引きづりながら、信長は前へ前へと進む。

 その時であった、奥の方からガラガラと兵士が倒れ込むのが見える、その兵士は何やら右向こうに見える物に怯えているようでもあった。そして右向こうからガシャガシャと鎧を纏った武士が倒れ込む兵士に迫る。

『ば・・・化け物っ!く・・・くる・・・っ!』

 その声と共に兵士の胸に武士の右手にある刀が突き刺さる。兵士は口から多量の血を吐き出すとそのままゴロンと障子にバタリと倒れ込む。

 呆気に取られていた信長であったが直様、3、4歩先にいる武士に向き直る。

「貴様、一体何者だ!」

 信長は武士にそう声を掛けると、武士はぐるりと首を信長に向ける。首を向けた武士の顔を見て、信長は悟る。そう、その武士の顔こそ、謀反の主導者、明智あけち光秀みつひで、その人であった。

(み、光秀・・・。やはり、わしの首を狙いに来たかっ・・。)

 そう悟った信長は、もう一声、武士に声を掛ける。

「光秀!狙いはわしの首であろう!なればわしだけを狙うのが筋というものであろう?何故本能寺に火を放った!こういう無謀な策は、お主は絶対にやらぬであろう。何故だ!答えよ!」

 武士は信長の言葉を聞いていないのか、そのまま信長のいるところへと刀を構え、突っ込んでいく。信長は、ぜえぜえと息を吐きながらも左手に持っていた鞘から刀を右手で抜き、両手で構える。

 ドタドタと武士が迫ってくる。

 武士を信長は迎え撃つ。

『はあああああああああああ!!!』

信長と武士の言葉が重なり、両者は刀を交えた。


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「はっ!」

 気がつけば、自分の声と共に、少年は手を伸ばしていた。

 よく見ると、自分の身体は布団に覆われており、自分の真正面には屋敷など無く、白い天井があるだけだった。そして自分の身体は立っておらず、仰向けになっていた。つまり先程までのは夢で、ずっと寝ていたということである。

 ムクっと布団から身体を起こすと、少年は自分の身体を確認する。服は白装束ではなく、灰色の長袖と長ズボンのいわゆるパジャマである。

 背中にぞわっとする感覚があり、右手で後ろを触るとヒヤっと冷たい感覚が襲った。おそらく寝汗が、長時間かけて冷たくなったのだろう。

(くそっ・・・またこの夢か。何だって昔の夢を・・・)

 そう考えながらも、少年はベッドから起き上がる。辺りを見回すと、そこは和風な作りの屋敷ではなく、扉に机、天井には丸型のシーリングライト(直付の照明器具)がある、いわば普通の部屋の作りであった。向かいのカーテンをシャッと開ける。そこから大窓の鍵を開け、ベランダへと向かう。

 外は冷たい風が吹く中、少年の目の前には昔懐かしい武家屋敷が並ぶ風景ではなく、ビルや住宅が立ち並ぶ、現代の日本の都会の風景であった。少年は大きな乾いた欠伸をした。

(ふうっ・・・・、まだ慣れないもんだな。この時代の日本にも。)

 そうふと心の底で思ったこの少年こそ、戦国時代を駆け抜けた武将であった織田信長、その転生した姿であり、今では進藤しんどう長仁ながとという名を持つ、一人の男子高校生である。

 

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