魔法少女
「あとは花壇か」
畑の手入れを済ませたアオバは、温室の端の区画へと向かう。
ここだけ雰囲気が異なり、石畳が敷き詰められた休憩場になっている。脇にはティーテーブルまで設置され、ボール遊びをしている子ども達を眺めながらアフタヌーンティーに興じることが出来る。
すぐ横にある花壇はバーバラの趣味が高じたものだ。わざわざジーランディア大陸には自生しない花を取り寄せているあたり本気度が伺えた。
特に荒らされた様子も無い。
水やりをしようとBCDからカードを取り出す。
「≪タイニー・エレファント≫!」
「ぱおーん」
ファンファーレのラッパを吹くように長い鼻を突きあげて鳴いて見せる。しかし、その体格は子どものゾウよりも更に小さい。まさに、生きたジョウロのようである。
「水やり開始!」
「ぽお、ぱお、ぱおーーん!」
丁寧にやるなら倉庫からホースを引っ張り出してきて、ちまちまと水を与えていくのだが、雨が降り注ぐように大雑把にまき散らし始めた。
畑は食糧事情に直結するので真面目に手入れをするが、花壇は趣味の範疇なので多少雑になっても枯れなければ文句は言われない。
「ひゃッ!」
「す、ストップ、≪タイニー・エレファント≫。今、声が聞こえなかったか?」
「ぱお?」
確かに絹を裂くような高い声が花壇の中から聞こえた。
恐る恐る近づき、葉をめくる。
「あ~びしょびしょです」
長い白髪を雑巾ように絞る少女が、木の葉を座布団代わりにしてペタンと座り込んでいる。
「…………おい」
彼女が振り向くと水滴が宙を舞う。熱帯地域に不釣り合いな白い肌。整った顔立ち。大きな黄玉色の双眸と目が合った。
「あー‼ あなたですね。なんてことするんですか!」
羽も無いまま魔法のようにふわりと浮かび、アオバの顔の前まで飛んで来る。まるで手のひらサイズの妖精であった。
「分かりましたよ。あなたが森の中でずっと追いかけ回して来たストーカーさんですね。いつまで付いてくる気ですか!」
顔をさされたアオバは、両手を上げて無害を強調した。
「ストーカー? 何の話かさっぱりなんだが」
「とぼけたって無駄です。その外套と端末には見覚えがあります」
自信満々に講釈を述べているが、この外套はバーバラがまとめ買いした大量生産の市販品である。BCDも、ごくありふれた腕時計型だ。
「こんなのどこにでもあるだろ」
「それはおかしいです! 何度も強引に契約を迫って来たじゃないですか!」
「契約……? カード化のことか」
もしかしたらという淡い期待が、確信に変わった。
彼女はアバターだ。
しかも、人とコミュニケーションまで取れる。そこまで出来るアバターはかなり希少だ。
何としても手に入れたいが、既に警戒されている様子。BCDを起動しようものなら逃げ出してしまうだろう。
まずは誤解を解くのが先決だ。
「オレはアオバ。すぐそこのアオホシ園っていう孤児院に住んでいる。ほら、早朝にスコールがあった割には外套も汚れていないだろう」
「確かにガラス張りの家があるくらいですから、近くに人が住んでいても可笑しくないです」
家ではなく、温室なのだが訂正はしなった。
「…………では、水をかけてきたのは?」
アオバは≪タイニー・エレファント≫のほうに目が泳ぐ。
「ぱお⁉ ぱおぱおぱおーん」
「僕⁉ 言われたとおりに水を撒いただけなのに、と仰っています」
「通訳出来るのかよ」
「もしかして、この子に擦り付けようとしていたのですか?」
彼女はそっと≪タイニー・エレファント≫に抱き着く。
「いや、それは……。こっちは水やりをしていただけで、君がこの花壇にいるのが悪いというか……」
「あんな雑な撒き方では、お花が可哀そうだと思わないのですか⁉」
「今、花壇の手入れの仕方は関係ないだろ! ええい、もういい!」
我慢の限界に達したアオバは勢いよく飛び掛かる。しかし、その手に彼女の姿はない。首を締められた≪タイニー・エレファント≫が苦しそうに声を絞り出すだけだった。
「馬鹿にしやがって!」
意地になって追いかけ回すが、三次元的に飛び回る妖精を捕まえるのは至難の業。あざ笑うかのように、するりと股の間を抜けていく。ブランクカードを投げたところで掠りもしないだろう。
ヘロヘロになるまで追いかけていると、水浸しになった石畳に足を滑らせ、大の字で叩きつけられた。
「いってえ‼」
「頭は冷えましたか?」
よほど逃げ切る自信があるのか、アオバの近くを漂いながらクスクスと笑っている。虫が顔の周りを飛んでいるようで苛立ちが募る。
「あー、もう体力の無駄だ。しっしっ、どっか行け」
ずぶ濡れになった外套を脱ぎ捨てる。
「あれ? んんんん? 追ってきた人は、もっと筋肉質だったような。それに身長も違う?」
「だから、人違いって言っただろ」
アオバは外套にしみ込んだ水を力任せに絞る。陽があるうちに洗濯場に干しに行こうとすると引き留められた。
「あ、あの! ごめんなさい。私の勘違いで」
「なんだよ。急に改まって」
「自己紹介が遅くなりました。私の名前は、≪ねもね≫――≪
「魔法……少女…………?」
「そうです! ≪
「……………なんか胡散臭いな」
「そんなことないです!」
頬を風船のように膨らませる姿は、アオホシ園の子どもたちを思わせた。どこか愛おしく憎めない。だんだんと笑いがこみ上げてきた。
「何がおかしいのですか!」
「ごめん、ごめん。なんだっけ?」
「夢です! 将来なりたいものとか無いんですか!」
例の動画が脳裏をよぎる。それを掻き消すと少し冷静になれた。
『――――ピロン』
BCDの通知を確認すると、温室の入り口を振り返った。
「どうしたのですか?」
「≪ムーン・ウルフ≫がやられた。誰か来る……!」
すぐさま≪タイニー・エレファント≫をBCDに仕舞い、温室に入って来る人影を待ち構えた。
背丈からして男、外套着用。≪ねもね≫の証言とも一致している。
アオバはそこでハッとする。
こんな森の奥地まで足を踏み入れ、アバターを追いかけ回す人間など限られている。
「やっと見つけたぞ…………! ≪
フードを下ろした男の顔には、ドス黒いクマが染みついていた。体格はがっしりしているが、頬はコケ落ちて無精髭が伸びている。少なくとも数日は、森の中を彷徨っていることが伺えた。
「ハンター…………‼」
ありえないと勝手に決めつけていた。なにせ、街から来たハンターと会うのも初めて。それほどまでにアオホシ園は秘境に位置している。
「悪いけどソイツは俺の獲物だ。大人しく渡してくれないか?」
「それはできない相談…………ってわけでもないのか?」
助ける雰囲気になっていたが、カード化できないアバターを庇うメリットはない。
≪ねもね≫がアオバの耳を引っ張る。
「痛って! ババアと同じことすんな」
「助けてくださいよ!」
「そう言われてもだな」
「私は話し合いたいだけなんです。≪
縋りつくように≪ねもね≫は訴える。涙を浮かべる姿は、再び子ども達の姿を想起させた。
こうなるともどかしい。アオバは髪の毛を掻き毟った。
「あー、もう分かったよ! 助けてやる。その代わり、オレと契約しろ」
「え?」
「心配するな。後から契約は解除できる」
「それは……」
「相手が一人とは限らない。仮に仲間がいたら、オレはどうしようもできない。だが、契約している間は
アオバはBCDからブランクカードを取り出した。
「オレができるのはここまでだ。この手を取るかは、お前が選べ」
≪ねもね≫は少しの逡巡を経て、小さな手をゆっくりと伸ばす。自らカードに触れ、体の端から分解されてカードへと取り込まれていく。
「オイオイオイ、渡してくれるんじゃないのかよ」
「ハンターに横取りはつきものだろ?」
「ハハッ、それがどういう意味か分かっているんだろうな」
ハンターにはいくつか暗黙のルールが存在する。
争いごとが発生した場合、力が強いほうの総取りとなる。
ただし、力とは純粋な腕力ではない。
アオバはハンターにカードを突きつける。
「もちろん、DIVEで決着をつけてやる――――」
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