沈黙を貫く画廊の魔女

夢の跡

「いつまでニヤついているんだ」


 サバサキに指摘され、アオバと≪ねもね≫は顔を見合わせた。互いに表情が緩み切っていて思わず笑ってしまう。


「だって見ろよ、これ!」


 アオバが見せたホログラムスクリーンには、『AOWアドバンスドオープンウォーターダイバー』のライセンスが輝いていた。


「記念すべき『七つの海を統べる者ワールド・ダイバー』への第一歩だぞ!」


「そうです。そうです!」


 DIVEの後、マーシュから賛辞が送られた。


 『MSDマスタースクーバダイバー』に同等と評していたが、規定通り『AOWアドバンスドオープンウォーターダイバー』が授与された。


 ディープソートの奇行によって視線は鋭いものの、野次を飛ばしていた客も一目置いて拍手を送る。


 それ以上のDIVEは時間の都合上、叶わず退店を余儀なくされた。


 バミューダトライアングルを後にした一同は、昼過ぎの大通りを抜けて出口へ向かっている。まだ陽はあるものの、あと数刻も過ぎれば、森から引き上げてきたハンターで街はごった返す。そうなる前に帰路に着かなければならない。


「そうだ! これ、マーシュから貰ったんだ。すごいだろ!」


 アオバは思い出したようにスクリーンを見せる。


 バミューダトライアングルの三角形のロゴが大きく描かれ、名前が刻印されていた。


「なんだ。会員証か。俺も持っているぞ」


「なんでサバサキも持っているんだ⁉」


「会員証なんだから配るだろ。そりゃ」


「ちぇ、みんな持っているのかよ」


 道端の小石を蹴る。


 マーシュが袖の下を渡すものだから、特別なものだと勘違いしてしまった。


「見送りはこの辺までかな」


 塗装が剥げたアーチの下でサバサキは立ち止まった。その向こう側は、草原に挟まれた野道が続いている。


「間に合いそうですね。マスター」


「ああ、日が落ちる前には到着するだろう」


 早朝と同じくアオバは≪ムーン・ウルフ≫の背に跨った。悪夢が蘇ったサバサキは吐き気で口を押さえる。


「じゃあなサバサキ」


 長いようで短い二人の協力関係もこれで終わり。


 アオバは最後に一言付け加えた。


「また、DIVEしようぜ」


「お前とは二度とやりたくない」


「なんでだよ~」


 アオバの背中はスピードに乗ってどんどん小さくなっていく。


 一人取り残されたサバサキは、握る手が汗ばんでいることに気が付いた。これもアオバのDIVEを目の当たりにして、あてられてしまったせいだ。


 同じ夢を追っていた一人として、もしもと考えられずにはいられない。


 どうすれば結末を変えるが出来たのか?


 数年前、サバサキがまだ大会に参加していた頃。安定した勝ち星を挙げ、乗りに乗っていた。


 今年こそはと息巻いていた大会の一回戦で当たったのは、小学生ほどの赤い髪の少女。凛々しく大人びた印象を受けたが、相手ではないと侮っていた。


 たった一匹の龍に蹂躙されたことが脳裏に焼き付いている。蛇に睨まれた蛙のように体が動かない。いつものパフォーマンスを発揮する間もなく惨敗を喫した。死ぬはずのないDIVEが終わった時、生きていることに安堵していた。


 それ以降、大会に挑むのを辞めた。


 敗北の記憶を消し去ろうと酒、女、煙草に溺れ、転落の一途を辿る。金が底をついてからはハンターとして日銭を稼ぐ日々。


 救いはハンターの中では、御山の大将を気取れたことくらいだ。


 圧倒的なまでの才能は実在する。プライドを捨て、勝利に執着し、やっとの思いでたどり着いた境地をやすやすと超えていく。努力をあざ笑うかのようなスタートラインの違い。プロになる者は器からして違う。


 少女からすれば、サバサキのことなど道端の石ころほど印象は残っていないだろう。それが救いなのかは分からない。


 サバサキの夢は誰にも語られることなく、ひっそりと幕を下ろした。


 誰しもいずれは大きな壁にぶち当たる。その時、真価が試されるのだろう。


 アオバの背中はいつの間にか見えなくなっていた。


 立ち尽くしていると草原がざわめく。遠くから雲が近づいていた。







「『七つの海を統べる者ワールド・ダイバー』になったら?」


「はい。『七つの海を統べる者ワールド・ダイバー』になると、好きな願いを一つ叶えられる。世界中のダイバーの夢です」


 道中は≪ムーン・ウルフ≫の背に跨っているだけなので、≪ねもね≫の素朴な質問に応じる。


「う~ん、ちゃんと考えたことなかったな」


 例の動画に憧れてDIVEに染まった身としては、『七つの海を統べる者ワールド・ダイバー』という称号が最終目標になる。他に欲しいものがあるかと言われても頭を悩ませてしまう。


 ――――『強い奴らとDIVEできれば満足ですけど、そうだな…………もっと、世界を面白くしてみせます』


「…………そうだ、ブラフト!」


「ブラフト……さん?」


「憧れのダイバーなんだよ。一度、戦ってみたいよな」


「良い夢ですね」


「ワウッ」


 ≪ムーン・ウルフ≫がコーラル大森林へ踏み込もうとすると、急に立ち止まって吠えた。


「チィ、気付かれたか」


 ガタイの良い男たちを引き連れて姿を現す。リーダー役のふくよかな男には見覚えがあった。


「よう、さっきぶりだな。アンノウン」


「ああ! バミューダトライアングルにいた奴らか!」


「わざわざ人気の少ない森に来てくれるとは手間が省けた」


「オレに何の用だ?」


「なに、簡単な交渉だよ。そのアバターを渡してほしい」


 指差す先にいるのは≪ねもね≫のみ。金銭目的なのは間違いない。


「断ったら?」


 おもむろにBCDを取り出す男たち。


 だが、アオバにとって交渉になりえない。


「オレとDIVEしてくれるのか! おもしれえ」

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