第3話 老い先短いババア

「そこの君。ちょっと待ちなさい」


 王国と平原を繋ぐ石橋を渡り、門をくぐれるかと思った矢先のことだ。ダールは突然、守衛に呼び止められた。


 思い当たることはあるし、たぶんそれだろう。という確信がダールにはある。


 守衛は顔をしかめて、ダールとミルトを交互に見比べる。


「なんだその子は。お前の子か?」


「どこをどう見たら俺の子に見えるんだよ」


 ミルトは白髪、たいしてダールは黒髪だ。ミルトはサラサラな髪が耳まで伸び、ダールの髪はくせ毛だらけ、これまた血のつながりは感じられない。


 ダールは大きなため息をつくと、頭をガリガリとかく。呼び止められたのは、案の定ミルトとの関係だった。


「まさか、いたいけな女の子を売春にかける気か!?」


「売春? 売春ってなんですか?」


 ミルトは言葉の意味を知らないからしょうがないが、人が多い場所で普通の声でしゃべれば注目の的だ。


 ダールは無実だというのに、四方八方あらゆる方向から冷たい視線が突き刺さる。


「お前は知らなくていいし口に出すな。その言葉は悪い言葉だ」


「ご、ごめんなさい」


 ミルトが謝るが、ミルトは悪くない。元をたどれば守衛がよけいなことをした。


 ダールが守衛をにらみつければ、守衛は小さくなる。


「おい守衛、変なことをミルトこいつに吹きこむな」


「す、すまない。つい早とちりをしてしまった……。じゃあ君たちはいったいどういう関係なんだい?」


「保護者と迷子だ。半日だけの間な」


「そうか、分かったよ」


「そうだ守衛、ものはついでに1つ仕事を頼まれてくれねえか?」


「なんだい?」


「迷子を探す親が来たら聞いてくれ。“白髪のオッドアイ”かって。こいつの親かも知れねえんだ」


「もちろん協力しよう。我々の仕事だからね」


「あんがとよ。じゃあ、俺らはもう行くぜ」


「分かった。よい1日を」


 守衛は引き下がり、ダールとミルトは解放される。目指すのはもちろん、ババアの家だ。


 ダールとミルトが大きな石造りの門をくぐればそこは城下町だ。


「すごい……‼」


 ミルトは、たくさんの人が行き交う大通りに目を輝かせる。おおよそ、記憶を失ったミルトには初めての光景なのだろう。


 ダールはというと、1億回と見たゆえになにも感じない。レストランも宿も土産屋も、どれもいつもの店だ。


「いつまで見てんだ。ババアの家はこっちだ」


「ご、ごめんなさい」


ダールがすたこら左の道を歩くと、ミルトは慌てて後を追いかける。


 当然ここも大通りと同じく、見慣れたうえに歩き慣れた道でめぼしいものはない。


 似たような木造の家屋がキチキチに並び、外に出ている住人は知っている顔だ。


 ダールは退屈からあくびをこぼすが、ミルトは違うようだ。


「ダルミスさん。ここ八百屋ですよ。あっちはお肉屋さんだ!」


「知ってる」


「見てください大きい犬です」


「あいつよく噛むぞ」


「あそこの人、ボクたちを見てびっくりしてますよ」


「守衛お墨つきだからな」


「あ、ごめんなさい……つい楽しくて……」


「なにを謝ってんだ」


「迷惑だったかなって、そう思って」


「別にいいんじゃね、年相応で」


 ダールが素っ気ない答えを返すと、ミルトは小さく「はい……」と、どこか寂しそうにこぼしてダールはむしゃくしゃしてしまう。


 冷たすぎたか、言い方が悪かったか。ミルトが黙ったこともありダールはばつが悪い。こんなことを考えながらガキと接するのは、ダールにとって面倒だ。


 やはり、ダールにガキのお守りは向かない。向くのは力仕事とギャンブルだけだ。


「おい、着いたぞ」


「ここがババアさんの家ですか」


「ああ、ここだ」


「パン屋さんですね。すごくいい匂いがします」


「そうだな」


 ダールがドアを開ければ、ベルの音が店に響く。しわがれた声で「いらっしゃい」というのは、ダールにとって久々だ。


 相変わらず白髪頭のお団子ヘアーに、使い古したオレンジのエプロン。ダールが家を出てからもババアは変わらない。店の内装もだ。


 ババアが尖った目をダールに向けると、ダールはゾッとしてしまう。悪いことはしていないのに、なぜか悪いことをした気分になる。たぶん、ずっと尖った目で怒られてきたからだろう。


「よお、ババア」


「なんだあんたかい。珍しいね、いつもは叫ぶくせに」


 ダールは苦笑いをうかべて視線をそらす。ババアの言う通り、いつもなら開口一番は決まって「ババア!」だ。


 だが、今は事情が事情。最低の評価をほんのわずかでも持ち上げるため、丸くなったふりをする。そうすればきっと、ガキを上手く押しつけられるはずだ。


「俺だって成長したんだよ」


「それで何のようだい?」


「ちょっとした頼みだよ。ガキのお守りをしてくれねえか」


「あんたねえ……。酒にタバコにギャンブル。果ては女遊びまで覚えたのかい?」


「いやいや待て待て、そうじゃねえよ。迷子だよ迷子。ほら、似てないだろ」


 ダールは後ろにいるミルトを前に引っ張り出して横に並んでみせる。


 髪の色から質までまるで違う。これだけ示せば、ダールの子ではないと認めてくれるだろう。


 ダールがニカッと笑えば、ババアはでこをおさえてため息をつく。


「はいはい。あんたがそんな大層な嘘はつけないからね」


「腹たつな」


「なんか言ったかい」


「別に」


「ところで、その子の名前はなんて言うんだい?」


「ボ、ボクはミルトです」


「そうかい。いい名前だねぇ」


 ババアは笑い、温もりのある声でミルトに接する。ミルトは名前をほめられて嬉しかったのか、照れていた。


 ダールは、その微笑ましい光景を横目に呆然とする。


 ババアの人柄が明らかに変わった。急に年相応の優しさやゆとりを醸し出して、ダールの時と大違いだ。


 猫かぶりババア、ダールが内心ぼやくとババアの本性がこっちをにらんだ。勘づかれたかと思うも気のせいだろう。人の心の内を読むなど、できるはずがない。


「てなわけでババア、ミルトを頼んだぞ」


「なに言ってんだい。引き受けるなんて言ってないよ」


「俺の家だと狭いんだよ。な、少しの間だけ頼む」


「お断りだよ。あんた私を何歳だと思ってるんだい」


「60」


「あんたがお世辞を覚えたなんて立派だね。で、何歳だい」


「70だろ」


「68だよ!」


「変わらねえよ」


「お黙り!」


「ちっ、すんません」


 2違うだけでなんだと言うのだ。ダールはあまりに理不尽な怒られかたに納得がいかない。ババアの圧に屈したが、内心は不満だらだらだ。


 ババアは声を荒らげて疲れたのか、息をはきながらイスに腰かける。そして、落ち着いた口調で話し始めた。


「ダール、私が死ぬのも時間の問題なんだよ。こんな私に、明日も変わらずお守りができると思うかい?」


「……」


「そういうことだよ。悪いけど、他をあたりな」


 ババアはイスから立ち上がると、店の奥にゆらゆら向かう。ダールも無理強いはできず、ババアを呼び止めることはできなかった。


「ババアさん……」


 ミルトがポツリと名前を呼ぶと、ババアは立ち止まる。


 「あっ」と、ダールが気づく頃には時すでに遅く、振り向いたババアの眉間には青筋がうかんでいた。


「ダール、ミルトに間違った名前を教えたね。私はね、なんだけどね?」


「ミルト逃げるぞ」


「ダール! 次に会ったらただじゃおかないよ!」


 ダールはミルトを抱き上げると一目散に店を出る。ダールがババアと言うぶんには怒らないが、他がババア呼びをするとなぜかダールが怒られる。


 けれど、今回は怒られてあたり前だ。ダールがすっかりと忘れて、ミルトに直すことをしなかったのだから。だとしてもだ、ダールは不満を小さく口にする。


「別に70ババアだろ」


 すっかりと遠くなったソーバには聞こえるわけもなく。困惑するミルトを抱えてダールは颯爽とひた走った。

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