掃除中なので、お願いだから近づかないでください

よひら

第1話

 東京某所


 寒い冬の昼下がり。右手には洗剤とスポンジが入ったバケツ、左手には箒とモップを持ってセンパイの指示を待っている。


「お~い。そろそろ始めるぞマシロ」


 センパイが面倒そうにこちらに手を振るのが見えた。


「足元気を付けろよ~」


 もしかしたらあの時、やめとけばがよかったかも知れない。でも、後戻りできない。だって、今の方が幸せと思っているのだから。


 

         ❖ ❖ ❖ 



 わたしにはお金がない。毎日バイト三昧。大学に行くお金は親が出してくれているが、必要最低減の額しか出してくれない。アパートの家賃、食費、光熱費、諸々の事は自分で何とかしないといけないのだ。


 ここのところ物価が上がって食費や光熱費にお金がかかるし、わたしは一人しかいないのでバイトの数も限られてくる。


 朝早くから夜遅くまでバイト。昼は大学に通い、時間があればバイトに入る。こんな毎日を続けてはいるが、正直収入は良い方ではない。ほとんど必要なお金なので、手元に残るのほんの少し。


 こんな毎日を二年間過ごしてきたが…。


「家賃払えないのなら出ていけ!」


 とうとうこの日が来てしまった。ここ半年、家賃を滞納してしまっていたのだ。


 大家さんも待ってはくれてはいたが、さすがに半年はまずかったか。


「荷物まとめて今すぐ出ていけ! 二度と来るな!」


「え。明日までとかには…」


「夜になっても居たら警察に突き出すからな!」


「そ、そんな」


 わたしの今の気持ちは崖から突き落とされたような感じがしたが、荷物をまとめて出ていくことには変わりない。一つのカバンに必要最低限のを入れた。やる気が出ないと思いつつも、すべての荷物をまとめ終わった。さすがに大型家具は持って行けないのでそのままにしておくことにした。


 少し歩いたところのにバス停があるので取り合えずバスに乗り二年間住んでいたアパートが遠く離れていくの感じながら遠くの景色を眺める。空がだんだん暗くなり街に明かりが灯る。


 夜なのに街は昼間の様に明るく、人が集まって密集していた。


 取り合えず、今夜はどこでもいいから泊まれるところを探さないと。野宿だけは避けたい。昔一回だけ野宿したことあるけど散々だったのを覚えている。目が覚めたら荷物を盗られたことがあったからだ。それに、雨が降ったら服と荷物が濡れる。そうなれば全は急げだ。


 賑やかな通りを抜けて少し速足で歩いて勢いずくのはよかったのだが、部屋の空きのある店がどこにもなかった。調べても電話で聞いてもダメだった。


 途方に暮れ路地の電柱にもたれ掛かる。


 家から追い出され、泊まれるところもなく、ただ一人淋しく呆然とするしかない。何か都合のいい事が起こらない限りこの状況を変えられない。


「…ん?」


 もたれていた電柱にアルバイト募集のチラシが貼られた。内容は何とも怪しいものだった。チラシを剝がしとり、しっかりと内容を見る。


「高額なバイト代、それに住み込みバイトも可能」


 ここまで旨いバイトはこれまでにない。ただ...掛け持ちバイトはダメみたいだけど、大学を行く時間以外をバイトに使えば今まで以上の収入が入る。生活に困らずに済む。それにわたしにピッタリのバイトだ。ここから近いみたいだから今すぐにでも行ってみよう。


 るんるんで新しいバイト先に向かったのだが途中で酔っ払いに絡まれてしまった。


「なぁ~んで置いていくんらよぉぉ」


「…離してください」


 わたしを誰かと勘違いしているのか肩を組んできた。その時にお酒の臭いと、体臭が合わさって何とも言えない臭いになり、鼻の奥がツンとして気分が悪くなる。


「まらまら飲むぞぉ~!...ヴっ」


「やば」


 彼女は酔っ払いを投げ飛ばしたのだが、どこかに引っ掛かったのか服が裂け汚れが付いてしまった。


「…結構気に入ってたのにこの服」


「ヴッ。オェェェェ」


「わたしはアナタの連れではありません。それと...汚いから近づかないで」


 冷たい目線と普段出さないような低い声。彼女は怒っていた。酔っ払いに絡まれたこともあるが、服が裂け、汚れたことが怒りの原因である。


 意味もなく汚れるのは嫌。大事にしているモノを壊されるのは嫌。


「…ッ」 


 昔の事を思い出す。嫌な記憶。もう、戻りたくない。


 歩く足が速くなる。早く早くと心の中で急かし、いつの間にかわたしは走っていた。人がいない中、息を切らしながら目的地に着く。そこは商店街の中にあるクリーニング店『徒桜あだざくら』。建物自体は新しそうだが、名前からして最近できた店ではないのだろう。

 

 店の明かりが窓から外に漏れていて、夜になっても空いているクリーニング店は珍しかった。店内に入るとレジカウンターでうつ伏せになっている金髪ハーフアップの店員が一人。その横でスマホを見る髪を一本の三つ編みで束ねる真面目そうな店員がもう一人。だが二人ともこちらに全然気付いてない。


 わたしの存在感が薄いのかもしれないけど、流石に扉の開いた音には気付くだろうと考えるのだが、一向にこちらに気付く素振りすらない。   


 仕方ないのでこちらから話しかけることにした。


「あの。こんばんは」


「…」


「…」


 話しかけても返事がない。もしかして声が小さかったのかもしれない。次は先ほどよりも大きな声で、そして二人の目の前まで行き声を出す。


「こんばんは!」


「…んぁ。あ~いらっしゃいませ~」


 二回目にして気付いてもらえた。眠たそう返事をしたのは、さっきまでうつ伏せになっていた金髪ハーフアップの店員。寝ていたのか口からよだれが少し垂れていた。


「よだれ。垂れてますよ」


 ポケットからティッシュを取り出し拭いてあげた。


「ん~ありがとう。いや~うっかりねっちゃってたよ。おーい、お客さん来たよ」


「あっ、ちょっ。今いいとこだからジャマしないで」


 三つ編みの店員は耳にイヤホンを着けており、こちらに気付かなかった様。そして、そのイヤホンを取られ不機嫌そうに声を出していた。


「また変な映画みてたんだろ」


「変とは失礼ね!この作品は…」


「はいはい、わかったよ。それよりもお客さんだ。ごめんねぇ~待たせちゃって」

 

「い、いえ」


 こちらとしては気付いてもらえてよかったのだが、先ほどからこの店に入ってから少し違和感を感じていた。店の中はそこらのクリーニング店と変わらないのだが、時折奥からなのか変な臭いがする。


「今回はどの様な件でしょうか?」


「クリーニング。それとも服の修繕?もしかして、ハウスクリーニングの予約?」


「ええっと、違います。…その、このチラシ見てきたのですが、今から面接をして雇ってもらえないでしょうか。お願いします!」


 深々と頭を下げお願いをするのだが、また返事が返ってこない。その代わりではあるがコソコソと話す声が聞こえる。


「雇って欲しいって…」


「自分たちではどうしようもないからなぁ」


「これって店長に言った方がいい感じよね」


「だよな。お嬢さんついて来て」


「はい…」


 案内されたのはカウンターの向こう側。細い廊下を歩くといくつかの扉があった。外で見た時は小さい店かと思ったが縦に広いことが分かる。カウンターの横には階段があったから上の階にも何かあるのかも。


 奥に進むにつれ、変な臭いが強くなる。錆びた鉄の様な臭い、何かの薬品なのか個性的な臭いもする所もあった。


 廊下の一番奥に扉があったが、案内されたのはその手前の部屋。壁のプレートには『事務所』と書かれていた。


「てんちょ~。バイト希望の子が来たよ」


「入れ」


 ギィィィィと錆れた鉄の扉。外装だけは綺麗だったが内装は古い。これも違和感のひとつではあるがそこまでは気にしていない。


 部屋に入ると、目の前に優しそうな中年男性が座っていた。  


「こんな時間にバイト面接をしたいなんて…キミ、訳アリな感じだね」


 彼女を見る目は優しいのだが、何処かしら見定める感じもある。


「…はい」


 この時に気付いた。面接もう始まっているんだと。


「それにしても、今すぐ面接をしたい子なんて初めてだよ」


「もともと住んでいたアパートを追い出されてしまいまして、行く当てもなく迷っていたら、こちらのバイト募集のチラシを見つけてここしかないと思い来た次第です」


「なるほど。…キミは何か特技はあるかい」


 特技…。これと言って何もない。強いて言えば掃除、それと幼い頃にやっていた護身術。他はそれなりにできるぐらいだ。


 他に何か言えるものといえば――


「特技とは言い難いかも知れませんが、…でしょうか」


「鼻が良い?」


「昔からニオイに関しては敏感で一度覚えたら忘れることはないと思います」


「ニオイを嗅ぎ分けることもできるのかい」


「それはやったことがないので分かりません。ですが、練習したらできるかと」


「……」


「…」


 迷っているのか口元に手を当てて考えている。時折こちらを見る目は不安そうだった。


「キミ、歳はいくつだい」


「20歳の大学生です」


「大学はここから近いのかい」


「ここからだとバスで行けます」


 何でそんなに不安そうな顔をされているのだろうか。もしかして、わたしの信用が足りなのかもしれない。突然来て面接をしてほしいなんて怪しいと思をれても仕方がない。次の部屋が見つかる少しの期間でもいいから、ここで働きたいと意思を見せないと。


「せめて一ヶ月でもいいので住み込みで働かて下さい!どんな雑用だってします!…お願いします。他に行くところがないんです」


 徐々に弱々しくなる声。今にも泣き出しそうな不安そうな顔。彼女の意思はその人達に届いているのか不安だった。


 これでもダメなら明日不動産屋に行ってしばらくは…野宿か隠れて大学に住み込むこともできなくはない。


 心の中で少し諦めていた。


「心配しなくても大丈夫。店長は困っている子を見捨てるほど酷い人間ではないよ」


 そう声を掛けてくれたのは、イヤホンを取られて不機嫌だった三つ編みの店員さん。


「そうそう。俺らだって店長に助けられたんだから、きっとお嬢さんも助けてくれるよ」


「それに、もうこいつと二人は嫌なの。やる気のない男より、アナタみたいな素直そうでかわいい子がいい」


「言ってくれるね~。気のキツイ子よりも、おおらかな子がいいなぁ」


「はぁ!それどうゆうことよ!」


「別にお前とは言ってない」


「なんですって!」


 二人は励ましてくれているが、途中でお互いの愚痴を言い合っている。そして、その愚痴がエスカレートしていき喧嘩までいきそうになったときに。


「こらこら君達、そこまでにしなさい」


 店長が優しく注意をするが目は笑ってない。


「「す、すみません」」


 二人は店長に怒られてシュンとしてしまい、何も言わなくなってしまった。


 やれやれと言いたげに頭を抱えている。視線をわたしに戻した。


「明日からよろしくね」


「え、良いんですか?」


「泣きそうな顔されたら断れないからね。今日から君の部屋は105号室だから。はい鍵。案内よろしくたのむよ二人とも」


 優しい店長が鍵を手渡してくれた。先輩である二人と一緒に事務所から出て、後ろを追いかけて歩こうとしたとき――


ドン!


 後ろから大きな音が響いた。何か重たいモノでも落ちたのかと思い気になって振り向こうとしたら腕を引かれた。


「部屋案内するから。もう時間も遅いし、それに疲れてるでしょ?」


「今の音大丈夫ですか?」


「たまにあるから、店長が対処してくれるから気にしな~い、気にしな~い」


 そう言いながら、わたしの後ろに回り背中を押して急かしてくる。早くこの場から離れようと言わんばかり。


「さあさあ、行きましょう」


 優しく腕を引かれ着いていく。 


 廊下を抜け、カウンターまで戻ってきた。


「ここの階段を上ると部屋に行けるから」


 カウンター横の階段は居住階に上がる階段のようで、関係者以外は入らないように注意が必要のこと。


 戸締りはしっかりしないと。


「ここがキミの部屋ね」

 

「何かあったら俺に言って。部屋は106号室だから」


「私は104号室よ。何かされたらすぐに呼んでちょうだい」


「はい。ありがとうございます。…すみませ。今更なのですが、お名前聞いてもいいですか?」


 ここまで一緒に居たのに、名前のひとつも聞いていなかった。


「そうだったわね。 じゃあまずは私、音野瀬葉玖おとのせはくよ。ここではお姉様って呼んで」


「俺は木枯千夜こがらしせんや。センパイって呼んでね」


 ここではあだ名で呼び合うのがいいのかな?


 「センパイ」は分かるが、「お姉様」はよく分からないけど、親しみがあっていいのかもしれない。


「わたしは、一条小雪いちじょうこゆきです。これからよろしくお願いします。センパイ、お姉様」


「よろしくね、小雪ちゃん!」


「ふえ…」


 お姉様、もといい音野瀬おとのせさんはスキンシップが激しい人なのか、ぎゅっと抱き着いてくれるが、この時はどうすればいいのかわたしは分からなかった。


「えっと、その…」     


「こんの時は、抱き返すのがいいわよ。腕を後ろに回して」


「こ、こうですか」


「そうそう、ぎこちない感じがカワイイ」


 お姉様は女性にしては背が高く170センチほどはある。わたしの頭の乗上に顔があって、先ほどから不気味な笑い声が頭上から聞こえてくる。


「年下の女の子カワイイ。ふ、ふふぅ」


「せ、センパイ」


 この状況は危険と感じたがどうしたらいいのか分からずセンパイに助けを求める。 


「後輩が困ってるからはなれなさーい」


 センパイはやれやれと言いたげな顔で慣れた手つきだ引きはがず。


「あぁぁ…癒しが」


「カワイイものが好きなのは分かるけどそういうのは控えろ」


「センパイのけち」


「お前にセンパイ呼びされたくな~い」


 喧嘩するほど仲が良いと言うが、まさにこのことを指すのだろう。これを言うと別で言い合いになりそうなのであえて言わないでおくのが正解だろう。


「言い合いはここまでにして早く仕事に戻りますか」


「そうね、もそろそろ戻ってくる頃ね」


「てことで、明日からよろしくね」


「おやすみ。小雪ちゃん」


「お、おやすみなさい」


 二人が階段を下りる足音が聞こえなくなるまで部屋の扉の前で立っていた。


 今日からここが新しい部屋。ゆっくりと扉を開け中に入り探索を始める。部屋は1LDKになっており、洗濯機や冷蔵庫が付いているなんて想像していなかった。


 他のものを明日買い足せば普通に生活はできる。必要そうなものをメモでまとめ上げた。それから持ってきた荷物を一旦出してみた。


 一週間分の着替えと大学の教材。最後に一枚の写真。


 写真に写るのは一人の女性。落ち着きのある笑顔でこちらを見つめる瞳は優しくて懐かしい。


「…」


 写真は見やすい位置に立てかけ、今日はもう寝ることにした。


 いろいろな物事がトントン拍子で起きて解決したのは良いが、疲れた。明日からはここで働くことになるし、今やっているバイトは辞めることを言わないといけないけど最悪今出ているシフトは出ないといけない。


 しないといけないことはまだまだある。その為には早く寝て明日に備えよう。


「おやすみなさい…お母様」


 瞼をゆっくりと閉じて眠りについた。 


 


 




               




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