西から来る嵐⑥
「どうだろうか?」
「すごくまずいです」
『精霊の間』でルイスにお茶を振る舞われたオリビアは素直にそう返した。
ミントが霊除けになる云々の話から、裏の温室に植えてあるのを少し分けてもらったらしい。軽く洗ったものをわさっとティーポットに入れて湯を注いだらしいが、入れた葉の量が多かったのか刺激臭がすごいことになっていた。
精霊たちもわーっとテーブルから逃げ出してる。
「そうか……。実は先日、食後に出されたカモミールティーが美味しかったから真似してみたのだが、素人が見様見真似でやっても美味しくならないな」
ルイスも顔をしかめて飲んでいる。
「蜂蜜を入れたらおいしくなるかもしれませんね。あるいは紅茶の茶葉に少し混ぜるとか……」
「ああ、なるほど。あとは菓子もいるな。苺のジャムをたっぷりかけたパイやスコーンがよく合うだろう。残念ながらこの部屋にはないが……」
シュガーポットからルイスが取り出したのは赤いキャンディだった。
勧められて口に含むと苺の味がした。甘いキャンディを含んだ状態でミントティーを啜ると、ほどよく口の中で中和される。
「それで? その様子だと母君と何かあったのだな?」
「…………」
オリビアは母の部屋で起こったことを説明した。
オリビアに反応するようにランプが割れたこと、なぜか遠く離れた家でもポルターガイストが引き起こされているらしいということ。それから、母に憑いていた靄が人型を取ったように見えたこと。
話を聞いたルイスは「とても簡単な問題だよ」とティーカップを置いた。
「母君に憑りついている霊が、母君の感情に影響されてポルターガイストを引き起こしているね。きみの怨念が遠く離れた自宅で悪さをしているというのはありえない」
数式でも解くように簡単に言われたことにほっとする。
――ほら、わたしは悪くなかった。
気味の悪いことが起こったらすべてオリビアのせいだと言い張る母に聞かせたい。
ルイスにわかってもらえたことでオリビアの心は少しだけ前向きになれた。
「その霊は未練がなくなれば消えるんですよね?」
「おそらくは」
「だったら、わたしがその霊をなんとかします」
「……霊と関わるのは嫌ではなかったのか」
「嫌ですよ。でも……、ようするにこの間のドリー・メリー夫人みたいな要領で未練を解決すればいいんですよね?」
ぐいっとミントティーを飲み干したオリビアは解決のための糸口を既に掴んでいた。
「母に憑いていた霊にわたしは一度会っているんです」
「ほう?」
「中庭で倒れてルイスさんに開放してもらったときの、男の子の霊。もやもやが人型をとろうとしたときの姿は確かにあの子でした。あの子は中庭でわたしに『遊んで』って言ったんです」
「ほほう?」
「つまり、あの子は寂しくて遊び相手が欲しいんです。構ってあげて満足すれば消えるでしょう」
あの時は恐怖心ゆえに追い払ってしまったが、今ならばきちんと応対できるはずだ。
「わたしはコンシェルジュです。どんなお客様の要望だって叶えてきたんですから、子どもの霊と遊ぶくらいのことはなんてことはありません」
強面のおじさんが庭先を案内してくれと言ってきたとして「怖いので二人きりは嫌です」なーんて言うか?
クレーマーに理不尽に文句をつけられて「わたし悪くないので謝りません」と言うか?
数々のお客様の対応をしてきたという自負のあるオリビアは胸を叩いた。
ルイスは不思議そうな顔をした。
「きみは母君の事は好きではないのだろう? 別にきみが追い払う必要はないのではないか?」
「この先ずっとおかしなことが起きる度にわたしのせいだって思われるのが嫌なんです。この件が片付けば、母は満足して帰るでしょう」
「ふうん……」
「何か?」
ルイスが不服そうな顔をしているのが少し気になる。
「放っておいたらいいのにな、って少し思っただけ。その少年霊が満足して消えたとしても、きっときみの母君はきみが解決しただなんて思わないだろう? 分かり合えない相手のために頑張らなくてもいいのに」
「意外ですね。ルイスさんは霊相手なら誰にでも優しいのかと思いました」
古城ホテルにいる霊たちとは友好関係を築いているのなら、かわいそうな霊相手なら助ける人なのだと思っていた。
「俺は誰にでも優しいわけじゃないよ」
オリビアが困っているときは大体助けに来てくれるからじゅうぶん優しいとは思うのだけれど……。
ルイスは誤魔化すように笑った。
「まあいいや。きみが心霊トラブルを解決するというのならお手並み拝見と言ったところだな」
「ええ。ぜひともルイスさんはわたしの活躍をお近くで見ていてください。なんなら、仲間に入ってもいいですよ」
「……怖いのなら怖いと言ったらどうだ?」
「いえいえ。精霊師の弟子として師匠を誘うのは当然のことですあはは」
「この間、弟子は嫌だと言ったくせに……。まあいい、付き合ってやろう」
ルイスの協力を得たオリビアは俄然奮起した。
◇
「ええっと、確かこの間はこの辺りで会ったのよね」
城の南側の小路を歩く。
ルイスには少し離れて歩いてもらうことにした。オリビアが霊と遭遇したら話し声でわかるはずだ。
出歩く時間も逢魔ヶ時にした。
昼と夜のあわい。黄昏の時間はこの世ならざるものに遭遇する確率が高いとされている。
もうすぐディナーが始まる時間のはずで、宿泊客も外に出歩いている人はほとんどいない。どきどきしながら歩いていると、黒い靄がゆうらりゆらりと漂っているのが見えた。
靄は地面に降り立つと人型を作る。
「っ」
オリビアは恐怖心を抑え込んだ。
ゆっくりと靄は少年の形に変わり、以前会った、利発そうな七、八歳程度の姿に変わった。
『また会ったね、お姉さん』
「ええ、……こんにちは。あ、あの、この間はごめんなさい。わたし、びっくりしちゃって……」
『ううん、いいよ。今日は遊んでくれるの?』
わくわくとした少年の顔にオリビアは勇気を振り絞った。
「もっ、もちろんよ!」
『えっ⁉ いいの?』
「ええ。何して遊ぶ?」
無邪気な笑顔に少しだけ心が痛む。ごめんね、あなたをあの世に送るためなのよ。こんなに幼い少年がどのような経緯で亡くなったかを思うといたたまれない気持ちもあった。
『うーん、二人じゃかくれんぼや追いかけっこはできないし……。ああ、そうだ。僕、四つ葉のクローバーが欲しいんだ。先に見つけた方が勝ちっていうのはどうかな?』
「わかった。クローバーならあっちの丘にたくさん生えているわよ」
『よぉし、やろうやろう!』
駆けだす少年の後を追う。
いつルイスが現れるかと思ったが、見渡した周囲にはいなかった。
オリビアのお手並み拝見だと言っていたし、どこかの茂みにでも隠れてこちらの様子をうかがっているのかもしれない。
小高い丘にはシロツメグサが群生しており、まだまだ青々としていた。
来月辺りになれば日が高くなり、気温もぐんと上がるので枯れてしまうだろう。
オリビアと少年は座り込んで四つ葉のクローバーを探した。
「三つ葉、三つ葉、三つ葉……。うーん、探すとなかなか見つからないものね」
『お姉さん見て見て、五つ葉!』
「えー、五つ?」
少年が指さしたクローバーは確かに五つ葉だ。四つ葉よりもずっとずっと珍しい。
「すごいじゃない! あなたの勝ちだわ」
『だめだよ。探してるのは四つ葉だからね。これはノーカン』
再び四つ葉探しに戻った少年の顔は真剣そのものだった。
『明日はね、ママの誕生日なんだ。誕生日に四つ葉をあげたいんだ』
「…………」
明日は六月二十六日。
けれど、この少年が亡くなった日がいつで、そこから見た「明日」なのかはわからない。
オリビアは「そうなんだ」と話を合わせておくに留めた。
誕生日に四つ葉のクローバーを母親にプレゼントすること。おそらく、それがこの少年の心残りなのだ。
「どうして四つ葉のクローバーなの?」
『僕ね、もうすぐ妹が生まれるんだ。新しいパパとママと僕と妹。四枚で一つになっているでしょう?』
(新しいパパ……、再婚なのかな)
この少年の手がかりがもう少しわかれば――ご両親に四つ葉を送ることはできないだろうか。だが、なんといって渡すのだ。「お子さんの霊に会いました」なんて胡散臭いことこの上ない。しかし、この少年の気持ちを届けてあげたいと思ってしまう。
「絶対に見つけなくっちゃね」
『うん。僕、向こうの方探してくるよ!』
少年が走り出す。
その背を見送り、地面に視線を戻したオリビアは、「あっ!」と声を上げて地面に飛びついた。
「あった! あったわよ、ほら見て! 四つ葉!」
声を掛けても返事がない。
できれば少年の手で摘ませてあげたかったが、ここを離れると見失ってしまいそうだ。
四つ葉を摘んだオリビアは少年が向かった生垣の方へ駆けた。
そこから飛び出してきた人影は少年よりも遥かに背が高い。ルイスだ。
「うわっ」
「きゃっ!」
正面衝突しそうになったところを支えられる。
「ルイスさん! びっくりした、こんなところにいたんですか!」
ルイスもルイスで驚いた顔をしている。
「きみこそいったいどこにいたんだ? 姿が見えなくてずいぶん探したぞ」
「姿が見えなくてって……シャクヤクの小路からそんなに離れていませんよ。ルイスさんがちっとも出てこないなって思ってたんですから……。ところで、こっちに例の男の子の霊が走って来ませんでした?」
周囲を見渡すもいなくなっている。
「……誰も来ていないよ」
「え……。消えちゃったのかしら」
「それは?」
オリビアの手には四つ葉のクローバーがある。手の熱で既にしんなりし始めてしまっていた。彼の心残りの内容を話したオリビアはハンカチでクローバーを包み込んでポケットにしまう。
「そのうちにまた現れますかね? このクローバーを渡してあげなくちゃ」
「……オリビア。現れるのを持つ必要はない。彼は、きみの母君に憑りついているのだから」
「あ、そうでしたね。こっちから会いに行けばいいのか――……」
――なぜ、彼はオリビアの母に憑いているのだろう。
母親の誕生日にクローバーをプレゼントしたいと言っていた少年。
心残りはその母親のはずで、とり憑いているのはオリビアの母親だ。
ルイスも同じ推論に至ったらしい。
「オリビア、きみにお兄さんは?」
「い、いません。わたしは一人っ子です」
「では、きみが生まれる前の話を聞いたことはないか?」
「ありません……」
けれどオリビアの母の誕生日は明日だ。
長らく忘れていたけれど。
「推測でしかないが、その少年はきみの兄なのではないか? きみが生まれてくる前の話。この世に生まれてくることができなかった魂かもしれない。……そうしたら、実体がないまま母君に憑いていることも、彼が名前を思い出せないことも、きみと遊びたがることも合点がいく」
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