第29話 ハエを殺すのに剣は要らぬ

 三人で車の外に出るとシンシアにカタリストの入った瓶を渡す。


「エルドランダーの燃料分は別にストックしてある。派手に行け!」

「お任せくださいまし! ほっ!」


 瓶を振って打ち塩のようにカタリストを窪地に放り込むシンシア。

 それらが地面に落ちるより早く彼女の指が鳴る。


「【マジェスタ】」


 瞬間、宙を待っていたカタリストが茶色い液体に変わり、窪地に注がれ池のようになった。

 だしの芳しい香りが鼻腔をくすぐる……と、俺が釣られてどうする。


「エルドランダー! 【サルフェートポイズン】をここにぶち込め!」

『……ああ、なるほど。了解しました』


 エルドランダーの排気管からドロドロと何やら怪しい黒い液体が吐き出され、池の中に放り込まれる。


「よし! 全員車内に戻れ! あの液体から出るガスは吸うなよ!」




 車内に戻って数分後。

 俺は窓から向こうに見える黒い空、ハエの大群の動きを注視している。

 ジワジワとコチラに向かってきているようだ。

 ランスロットが訝しげな表情で尋ねてくる。


「なあ、一体なんだよ。あのエルドランダーから吐き出されたのは毒だと分かるがあの茶色いのはなんだ?」

「ああ、アレはめんつゆって言ってな。そうめんとかの漬け汁に使う者なんだけど、俺の世界ではコバエ取りにも使うんだ。名付けて『めんつゆトラップ』」


 俺が一人暮らしを始めて最初の夏。

 部屋の中にコバエが大量発生した。

 市販のハエ取用のアイテムを使っても数匹取れるだけで焼け石に水だった。

 だけど、ネットでたまたま目についためんつゆトラップを試してみると紙コップの表面に夥しいほどのコバエの死体が浮かび、問題は解消した。



「俺の時はめんつゆと洗剤を使ってたんだけどな。毒があるなら使わない手はない」

「ちょっと待て! そんなおばあちゃんの知恵袋的なのでウジドクバエがやれるもんかよ! ノウス教の聖典でもウジドクバエの大量発生は飢饉や嵐に並ぶ厄災のひとつで————」

「きゃーーーーー!! おハエどもがこちらにキマシタワー!!」


 シンシアの悲鳴に釣られてランスロットも窓の外に目を向ける。


 何十万、何百万……天文学的な数のハエがコチラに向かってくる。

 その目的地を息を呑んで見守りつづけた。




 数時間後————


「まさかこんなことに…………」


 ランスロットがめんつゆトラップの池を見て絶句している。

 結論から言うと————大成功だった。

 池の表面はびっしりとウジドクバエの死体で埋め尽くされ、底にも無数の死体が沈んでいる。

 空を覆っていたウジドクバエは全滅したのだ。


「アンゴさん、これをハエが大量に発生しそうな地域に作れば民草は大助かりじゃありませんの?」

「だろうなー。別にめんつゆじゃなくてもアルコールや果物のカスとかでもいいって言うし。ランスロットー。このネタパクっていいぞ」


 ケラケラと笑うとランスロットは引き攣った笑いで返してきた。



 さてと、そんなことより経験値はと……


 ウキウキした気分でカーモニターを覗き込む。

 しかし……


【ウジドクバエを2138924匹倒した。

 経験値を6416772獲得した。

 エルドランダー・エクスはレベルが15に上がった。

『フォームチェンジ』が可能になった。

 以降は単体経験値が100未満のモンスターを倒しても経験値が獲得できなくなります】


「は…………はあああああああああああ!?」


 レベル差による経験値調整!?

 た、たしかに虫ケラを倒したからと言って経験が積めるわけじゃないだろうが今更そんなリアリティ持ち出すか!?


『アテが外れましたね。これがなければ無限にレベル稼ぎできたのですが』


 まさかこんな落とし穴があるとは……取らぬ狸のなんとやらで考えていたからガックリきてしまう。

 一気にレベルを上げてエルドランダーを強化できればそれだけ旅の安全が保障されるというのに……


 落ち込む俺を心配してか、シンシアが語りかけてきた。


「どうなさったのかしら? お腹が痛いのかしら?」

「めんつゆ一気飲みした君に心配されてちゃ立つ瀬がないな……あー、もっと荒稼ぎできると思ったからなけなしのカタリストを大盤振る舞いしたのに無駄になっちまった」


 大きなため息を吐いた。

 だけどシンシアは屈託なく笑う。


「良いじゃありませんか。ここらのおハエどもを全滅させられたのですから。うっかり訪れた旅人や動物たちが餌食にならずに済むなんて素晴らしいことですわ。カタリストなんてクローリアに辿り着けば幾らでも手に入りますのよ。惜しむことじゃありませんことよ」


 彼女の言葉には澱みがない。

 心の底から世の中を少し平和にしたことを喜んでいる。


 ランスロットの言ったとおり、シンシアみたいな貴族令嬢、いや人間は珍しいだろう。

 俺は損得勘定が先に立つ人間だし、たまに正義感ぶって行動しても後でネチネチ恨み言を吐いたりしてしまう。

 育ちの良し悪し……なんて言葉で片付けるのも失礼だな。


 彼女は善い人だ。


 だからこそ、世界を揺るがすようなとんでもない能力を神様から託されたのかもしれないな。


 俺たちの会話を聞いていたランスロットが話に入ってくる。


「そうだそうだ。さっきのめんつゆトラップとかいうので害虫駆除の歴史が変わるって。オッサンのことはこれから『ハエ殺しのアンゴ』と呼んでその功績を語り継ごう」

「ばら撒いたカタリストの代金は経費として上乗せするからな」


 俺の言葉にランスロットが目を剥いて


「カーッ! ガメツイ! これだからオッサンは!」

「こっちもお嬢様を食わせてやらないといけないんだよ。お前さ、勇者なんだろ? 有力貴族の義弟なんだろ? ケチくさいことすんなよ。めんつゆトラップの特許とハエ退治の手柄やるから。コバエとりの勇者様」

「俺に恩を着せつつ、面倒臭いこと丸投げて金までせしめようとかやり手が過ぎるんだけど……」


 フフン♪ あー、ランスロットをやりこめて少しは気が晴れた。


 とりあえずそこそこレベルは上がったみたいだし、無双化したエルドランダーの戦闘テストもできたし前向きに考えようか。

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