第8話 一緒に行こうよ

 見慣れたドアを開けて、ウィルは自宅にトロワ達を招き入れた。

 

 家と呼ぶにはあまりにも狭いワンルーム、かろうじて煮炊きは出来る程度の炊事場、簡素なベッドと窓辺の机、後はいくつかの本や小物が並ぶ棚。これがウィルの部屋の全てであった。


「これがおにいさまのおうち……!? すごぉーい! ちっさくて可愛いねぇ!」

「悪かったなぁちっさくて!」


 何故か感動しているトロワに、思わずウィルは大声で言い返す。そしてはっとし、急いで声を潜めた。

「ここ、結構声が響くんだよ。あんま騒ぐんじゃねえぞ、近所迷惑だからな」

 ぼそぼそとそう言うと、トロワはぱっと両手で口を塞ぎ、うんうん、と頷いてみせた。


「おにいさまに迷惑かけないように、僕ちゃんと静かにするよ」

 言葉通りに小声で話すトロワに、ウィルは仕草で室内へと促す。基本的に他人を入れる部屋ではないため、椅子は一つだけしかない。やむを得ず、トロワとクレシアをベッドに座らせ、ウィル自身は窓際の机の椅子を引いて腰を下ろした。クレシアも座るように促したが、慇懃な礼で固辞された。


「普段は俺しかいねえんだから、このぐらいで充分なんだよ。……たしかここに、あった」

 徐に棚の方へ手を伸ばし、ウィルは折りたたまれた紙を引っ張りだした。広げたそれを、ベッドに腰掛けるウィルにも見えるように広げてやる。


「これなあに?」

「地図だよ。この辺の地域までしかないけどな。この町がここだ」


 ウィルはそう言って地図の上の一点を指す。大きな山の麓にある町は、地図の中で見ると本当に小さい町なのだと分かる。

「この道をずっと行けば、隣の町に行ける。ここから行くなら、ヨナの町かカモカの町が妥当かな。この森を越えればコベルコっていうでかい都市があるんだが、歩いていくのは流石に厳しいからなぁ。うまく乗せてくれる荷車でも通れば……」


 地図を指でなぞりながら、ウィルはぶつぶつと呟く。トロワに周辺の地形を教えている、というよりは、ウィル自身の次の拠点を探しているという方が正しかった。

「ここが僕達のいるところ? そういえば、おっきな山が見えたねぇ」

「あれな。ハクホウ山って言うんだ。かなりデカい山だから、この辺の町ならどこに行っても見えるぞ」

 ウィルがこのタイゼーンに移り住む時も、あの山を目印に町を目指して移動してきたのだ。懐かしいな、とウィルが思い出に耽っていると。


「おにいさまは、どこに行きたいの?」


 トロワにそう問われて、俺は、とウィルは答えかけて、口を噤む。

「……俺、どこに行きたいんだろうな」


「えっ?」

 逆に問い返されて、トロワはきょとんとする。ベッド脇に佇むクレシアは相変わらず無言だった。

「おにいさま、どうしたの……?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるトロワに、ウィルはようやく我に返り苦笑いで取り繕った。

「いや、悪い……俺、仕事クビになったんだ。辞めさせられたんだよ……ここに居ても次の仕事はなさそうだし、思いきって別の町に行こうかなって思ってたんだ」

 喋りながら、何でこんな話をこいつに聞かせてるんだろう、と冷静に自分を見るもう一人のウィルがいた。

 片やメイドを連れ歩くお坊ちゃま、片や仕事を失くした貧乏人。トロワにこんなことを話したって、どれだけ内情を察してくれるのやら。


(……察してほしいのか、俺は)


 ふと自身の本音が聞こえて、ウィルは苦い気持ちになった。この間会ったばかりの、何も知らないトロワに自分の現状を伝えて、可哀想な自分を慰めてほしかったのか。なんて情けない、甘ったれた感情だろう。


「悪い、こんな話されても迷惑だよな。ははは、忘れてくれ」

 無性に恥ずかしい気持ちになって、ウィルは誤魔化すように笑ってみせる。トロワはじっとウィルを見ていたが、あのいつものぽやっとした笑みではなく、やけに真摯な表情を浮かべていた。


「おにいさま、辛かったんだね……お仕事、頑張ってたのに、残念だったね」

 トロワは心から労わるように、そう言ってくれた。その言葉が、ウィルの胸の奥にじわりと染み込んでいく。


「……うん、頑張ったんだけどな、俺」

 ぽつり、と本音が零れた。いきなりクビを言い渡してきた職場への怒り、先行きが見えない現状への焦り、それらを受け止めきれなくて、必死に強がっていた。だけど、本当は。


「悔しいんだ……俺がどれだけ頑張ったって、世間はいつも俺を放り出しちまう。俺、まだガキだし頭もよくねえし、生意気だって言われるけど……仕事だけは、本当に一生懸命やってたんだ」


 栓が抜けたように、胸の奥に隠していた弱音が口から零れ落ちていく。どれだけ当人が頑張ったと自己評価を高くつけても、それが世間の評価に繋がるわけではない。全ては実績を残すこと、それはよくわかっている。分かっているから、言いたくなかった。


「頑張ってるんだけど……何でかなぁ」

 頑張ってる。頑張ってるんだから、認めてほしい。それはただの、子供の駄々と同じではないか。


「おにいさま……」

 トロワがそっと手を握ってくる。柔らかい掌は、今まで何の苦労もしていなさそうな肌だった。


「ねえ、おにいさま。それなら、僕と一緒にいかない? 修行の旅に、おにいさまも一緒に行こうよ」

「えっ?」


 言われた言葉を上手く受け止められず、ウィルはぽかんとしてトロワを見る。トロワは勢いづくようにさらに手を握り、語気を強めてウィルに迫った。

「この町を出るなら、おにいさまも僕達と一緒に旅をしようよ! きっと楽しいよ! 見たことない景色や、行ったことのない町に行って、いろんなことを勉強するの! ね、クレシア。おにいさまも一緒でもいいよね?」

「トロワ様の、ご要望であれば、私に異論は、ありません」

 クレシアからもそう言われ、トロワは同意を促すように見つめてくる。


「いや、それは遠慮する」

 しかし、ウィルはきっぱりはっきり、断った。


「えぇ~!? どうしてぇ?」

 心底がっかりしたように、トロワは眉を下げて食い下がる。弱音を吐露してやや持ち直したウィルは、そんなトロワの前で腕を組んでみせた。


「俺は遊んでる暇なんかねえの。さっさと次の仕事見つけて、金を稼ぐんだよ」

「そんなぁ……おにいさまが一緒に来てくれたら、きっとすっごく楽しいのにぃ」

 トロワはしょんぼりと項垂れた。何やら自分が意地悪をしたようで、ウィルは妙に居たたまれなくなる。

「ま、せいぜい修行の旅とやらを頑張るんだな」


 その後、ウィルは部屋にある食材をかき集めて食事を作り、トロワ達に振舞った。トロワはてきぱきと料理をしていくウィルの様子を、まるで見たことない景色を前にしたかのように、口を開けたままぽかんと眺めていた。

 コストパフォーマンス最優先、味より量、だけど決して味も妥協しない。そんな料理を出されても、トロワは大喜びで食べてくれた。

 クレシアにも出したが、本人は『私はメイドロイドですので、摂食は、必要ありません』とのことで、一口も食べなかった。なりきりも大変だな、と思いながら、ウィルは結局彼女の分も平らげた。


 夜、客人にベッドを明け渡したウィルは予備の布団を床に敷いてそこに転がった。トロワは床に寝ようとするウィルに困惑したようだが、ウィルは気にしなくていいと言ってやった。お坊ちゃん育ちであろうトロワに、そっちが床で寝ろというのは酷であろう。自分から招き入れた以上、客として最低限の持て成しはしてやるつもりだった。クレシアは、やはり『私はメイドロイドですので、』と言って、部屋の隅にしゃがみ込むと、そのまま目を閉じて無言になった。ここで寝るということらしい。


 部屋の灯りを消して暫くすると、トロワはすぐに眠ってしまったようで、小さな寝息が聞こえてきた。子供だなぁ、と小さく笑い、ウィルは固い床の上で枕の位置を整える。

 無邪気にごっこ遊びをしているトロワは、子供だから許されるのだ。ウィルはもう子供ではない、遊んでばかりはいられない。きちんと働いて、金を稼いで、それで。


(それで……その先は、どうしたらいいんだ)


 いつもと違う位置の天井をぼんやりと眺めながら、とろとろと溶けていく意識の奥で、ウィルは誰にでもなく問いかける。

(ずっと、早く大人になりたかったけど、何がどうなったら『大人になった』って言えるんだ……?)


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