10

 アイリスの実家は比較的大きな部類に相当した。ロッジ風の建物で扉を軽く叩くと、出迎えたのは憔悴しきっていた白髪のジジイだった。


 蝋燭の火が仄暗く照らす室内には、加齢臭と辛気臭い空気が満ちて足を踏み入れるのもはばかられる。深い影を落とすジジイの顔には、地獄に叩き落された人間が見せる絶望の色がハッキリと浮かんでいた。

 


「ア、アイリス!? 無事だったのか!」

「心配かけてごめんね、お爺ちゃん。僕はこの通りどこも怪我してないよ」


 口を戦慄わななかせ、膝から下の粗悪な作りの〝義足〟をずるずると引きずってアイリスに近づくと、咽び泣きながら抱きついた。滂沱ぼうだの涙を流す顔は体液にまみれて醜いが、身も心も消耗するほど心配していたことは想像に難くない。


 もし自分が、アイリスと同い年の頃に姿を消したところで、十中八九誰にも心配されることはない。むしろ邪魔者が消えたと清々されるに決まっている。


「よくぞ無事にワシのもとへ帰ってきてくれた。こんなに嬉しいことはない」

「僕一人じゃ、きっと帰ってこれなかった。サカナシさんが助けてくれなかったら今頃どうなっていたかわからないよ」


 ひとしきり涙したのち、ようやく気分が落ち着いたジジイは玄関先で立ったままの無悪の姿にようやく気がつくと、命の恩人に対して胡乱うろんな眼差しを向けてきた。


「そういえば、お主は誰だ?」

「俺は無悪斬人。そこのガキが山賊に襲われかけていたところをたまたま助けて、この村までたまたま送り届けてやっただけだ」

「あんな危険な場所で、たまたまなんてことがあるもんか。並の人間なら身ぐるみ剥がされて殺されるような治安の悪い場所だぞ」

「別に危険でもなんでもなかったがな」


 珍しい生き物で眺めるように、ジジイは無悪の爪先から頭の天辺までしげしげと視線を這わした。抱きしめられたままの姿勢が苦痛だったのか、「お茶を淹れてくるね」とジジイの抱擁から上手く逃れたアイリスは、部屋の奥にある台所に小走りで姿を消す。その背中を見送ったジジイは再び会話を続けた。


「疑り深くてすまんな。ただでさえこの村に訪れる者はおらんうえに、お主の外見は明らかに堅気には見えんかったからな。山賊が雇った殺し屋かと案じて、ヒヤヒヤしたわ」


 ジジイは自らをガランドと名乗り、アイリスとの関係性を説明した。二人には血縁関係がなく、赤ん坊の頃に両親を亡くしたアイリスを縁あって引き取り、現在まで面倒を見ているという。


 わざわざ得にもならないことに自ら首を突っ込むようなやつは、思い出そうとしてみたが無悪の周りには一人もいなかった。


「サカナシ殿。あの子を救ってくれたことを心から感謝する。ワシの老い先短い人生、あの子だけが生きる希望だったんだ。しかし……お主は見たところ装備の類も身に着けていないが、一体何者なんだ」

「いちいち説明するのも煩わしい」


 仕方なくアイリスに説明したことを改めて繰り返し伝えると、ガランドは口を半開きにし呆けて聞いていた。


「なんと……それではまるで勇者召喚ではないか。お主、本当は王都で目を覚ましたと違うか?」


 勇者召喚。またしても現れた意味不明な言葉の意味を訊くと、このエペ村が属する国家――グローリア王国を含めた列強諸国が、異世界から強制的に勇者を喚び出す儀式を指し示す。


 勇者? 召喚? 最初は何を言ってるのか理解できなかったが、だいたい自分が別世界に飛ばされてる時点でなんでもアリなことに気が付き、深く考えることを早々に諦めた。


 ようは各国の軍事バランスの調整を図るための一つの手段である。一個人に出来ることなどたかが知れてると思いきや、異世界から喚び出された者は通常の人間と比較にならない程の魔力や、〝恩寵スキル〟といった特殊な才能を有して別の世界から召喚される。


 力の使い方次第では、国同士の軍事バランスを傾けてしまうほどの戦闘力を秘めているとジジイは説明した。なんとも胡散臭い話が出るわ出るわ。かつてモンスターの頂点に君臨する存在だった〝魔王〟を倒した勇者は、各地に石像が建てられ神と同列に崇拝されているという。


 無悪自身はその魔力や恩寵とやらを感じたことはなく、ただ理解しがたい構造の武器を所持しているだけにすぎない。ガランドに勇者召喚の儀式とやらは、なんのリスクもないのか訊ねるとやはりというべきか、何事にもリスクやデメリットが付き物なのは勇者召喚の儀式も例外ではない。


 そもそも召喚が成功する確率は、相当低いうえに呼び出せる勇者の質もピンキリだという。儀式に必要な魔法を一度発動させるだけでも、王国が抱える有能な術師数十名分の魔力を必要とする。運良く召喚に成功できたとしても、勇者の能力が規定に満たない場合はその場でするのが決まりだと苦虫を潰すように吐き捨てた。


「処分とはどういうことだ」


 詰め寄ると、ガランドは眉をひそめて答える。


「殺害するんだよ。より良い勇者を召喚するために」

「ガランドさんは昔、王家直属の騎士団団長を任されていたエリートだったんですよ」


 お茶を運んできたアイリスが補足説明を付け加えると、「遠い昔の話だ」と湯呑を受け取りながらガランドは呟く。


「何故召喚をした人間を殺す必要がある。それほどの労力をかけたのなら、使い道はいくらでもあるだろう。使えなければ新たに召喚とやらを行えばいいだけの話じゃないのか」

「それは無理なんです。勇者召喚を一度でも行うと、再度召喚の儀式を行うには現勇者が亡くならない限り、再び執り行えない制約があるんです」

「それは、なかなか鬼畜な所業だな。勝手に呼び出しておいて、役に立たなそうだと判断するや殺してしまうとは。まあ俺には関係ないことだがな。それよりも別に話がある――」


 無悪はガランドに直球の質問をぶつけた。


「この村は、どうやら違法薬物の製造売買に関与してるようだな」


 別に薬物に手を出そうが無悪自身にはなんの関係もなかったのだが、問い質されたガランドはというと額に汗をかき、観念した様子で洗いざらい打ち明けた。


「既にアイリスから聞いていたのか。全く、己の身の危険も顧みずに問題トラブルに首を突っ込むのは、両親の血を引いてるとしか思えんな」

「聞かなくても気付いたのは時間の問題だった。俺の住んでいた国でも名前こそ違うが、似たような薬物は数多く出回っていたからな。それに、アイリスの身柄が拐われたのもたまたまだとは思えない。おおかた、外部にエペ村の真相が漏れることを恐れた一部の住民が、厄介な人物厄ネタを山賊に引き渡しでもしたんだろうよ。どうだ、俺の見立ては間違ってるか」


 住民が寄越してきた視線は、邪魔者に向けられる類の視線であることをかつて散々似たような視線に晒されてきた無悪はすぐさま看破した。理由はどうあれ、再び戻ってきたアイリスに降り掛かる災難も想像がつく。重い空気に支配される空間を破ったのは、扉を力任せに叩く音だった。

 

「ガランドさんッ! あのガキを匿ってるのはわかってんだぞッ! さっさとそいつの身柄を俺たちに引き渡してくれないか」

「あんたらのせいで責任を取るつもりは一切ないからな!」


 恐怖に駆られ、切迫した大勢の声が玄関の外から響く。カーテンの隙間から外の様子を伺うと、数十はあろうかという松明の明かりと武器を手にした住民が家の周りを取り囲んでいた。


 弱者は常に生殺与奪の権利を強者に握られ、命を乞うには強者におもねるか満足させなければならない。ガランドから質問に対する答えを聞かずとも、住民の態度で裏は取れた。


「つまり、住民どもはこう考えたわけだ。アイリスが無事に戻ってきたことで村を支配している山賊どもに変な勘ぐりを受ける前に、自らの潔白を証明するため再びガキの身柄を拘束しようというわけだ」

「ああ。奴らは超越草を売り物にするような真似はするなと、反対していたワシの目を盗んでアイリスをアキツ組の連中に売り渡したんじゃ。あやつらは自らも超越草がないと生きていけない体になってしまってな、人でなしどもの使い勝手のいい駒に成り下がっておるんだよ」

「サカナシさん……」


 傍らに立っていたアイリスが、魔石やら硬貨の数々を手に頼み込んできた。


「大した額にはなりませんが、これで僕とおじいちゃんを王都まで連れてってください。おじいちゃんも僕を匿っている以上、捕まったら無事で済むとは思えません」

「なるほど、たしかにこの状況はガキにジジイでは荷が重い。そこで改めて俺の力を金で買うというわけか」


 ガキのくせに金の使いどころがよくわかってる――密かに感心したが、そう簡単に頷くのはヤクザの沽券に関わる由々しき問題だった。


「これで足りないと仰るならなんとかしてお金は作りますから、どうか僕達を助けてください!」

「いいのか? 吐いたつばは飲めないぞ。それを覚悟の上で俺に頼むんだな」

「はい」


 敢えてドスの利いた声で訊いたが、返ってきた言葉に嘘は感じ取れなかった。


「わかった。その依頼、受けてやろうじゃないか」


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