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 夕陽が山の稜線に沈みゆくと、空の色合いは紫紺へと変化していく。夜空に浮かぶ星の密度は日本もの比べて桁違いに明るい。


 街灯もスマホのライトも必要がないほど地上は明るく照らされていた。職業柄、赴く機会が多い山奥でスコップ片手に見上げる夜空とは比べるべくもない。

 

 数倍、数十倍の輝きに柄にもなく目を奪われていると、いつの間にか隣を定位置に決めたアイリスが好奇心を抑えきれずに話しかけてきた。


「サカナシさんって、見た目はとても怖いんですけど、なんだか側にいると心が落ち着くんですよね」

「薄気味悪いこと言うな。実は良い人でしたなんてオチはないから安心しろ。正真正銘の極悪人だからな」


 歩き続けてかれこれ二時間以上は経っただろうか。車での移動が当たり前だった日本では、こんなに歩かされる日が訪れるとは夢にも思っていなかった。


 平然とパーソナルスペースに踏み込むアイリスの馴れ馴れしさに、いくら追い払っても離れない小蝿コバエに通じる鬱陶しさを感じながら視界に移り続ける〝異物〟について尋ねた。


「お前の首についてる、その趣味の悪いはなんなんだ」


 握れば折れてしまいそうなほどの華奢な首に、不釣り合いな堅牢な作りの首輪が気になっていた。断りもなく手を伸ばすと、顔を強張らせたアイリスは後退って距離を取った。


「無理にでも外そうとすると、首から上が木っ端微塵に爆破する術式が組まれてるのです」

「爆破か、それは随分と物騒な代物だな」

 

 伸ばした手を引っ込める。どうやら首輪を外すには決まった手順を踏まなくてはならないようで、首輪をかけた張本人の口から直接に必要な呪文を唱えさせなければいけないらしい。


「あの……気になってたんですけど、サカナシさんはどうしてこんな時間に、しかもお一人であのような危険な場所にいたんですか? この一帯には緩衝地帯ですし、ご覧の通り徒歩で簡単に立ち入れる場所でもないです。それに先程から視界に映るもの全てに驚かれてる様子も妙ですし、魔法をご存知でないというのもにわかには信じがたいです。失礼ですが、サカナシさんの生まれはどちらなんですか?」

「一気に訊いてくるな。なんだってそんなに知りたがる。鬱陶しい奴め」


 みるもの全てに驚いていると言われると、いい年してガキにガキ扱いを受けているようで業腹だったが、指摘された内容を真っ向から否定できないのもまた事実だった。


 アイリスの指摘どおり、山道を歩き通していた道中では、これまで培ってきた常識を根底から改変させられるような光景に啞然あぜんとさせられた。それも一度や二度では済まない。


 ――人外の生物をこの目で見るまでは、本当にこの世界が地球とは異なる異世界だとは信じられなかったからな。


 なんせ地球上ではお目にかからないような姿形の動植物が、そこかしこにうごめいているのだ。獲物を待伏せして強靭なツルで捕獲する肉食植物だったり、やたら好戦的な性格の一本角の兎と出食わしたり、その他にも夜行性の動植物たちと頻繁に邂逅かいこうした。


 驚かないほうが無理がある話だが、そのような摩訶不思議な生物を一括りにして、アイリスは「モンスター」と呼んでいる。この世界には凶暴なモンスターが跋扈ばっこし、地球上とは似て非なる独自の生態系が確立されていた。


 本来であれば食物連鎖ピラミッドの頂点に立つべきはずの人間の地位は、この世界では下に位置する。夜間はモンスターに襲われる危険度が増すので、通常移動を控えるのが常識だという。滔々とうとうと語るアイリスの話を無悪は適当に聴き流していた。


 真の意味で怪物モンスターというのは、幹部の一人を蚊を潰すほどの無関心さで粛清してみせた本宮のような男を指す言葉である。それに無悪もまた怪物の一人である――引鉄を引く動作も、匕首を振るう動作も、余計な感情は必要ない。


 自らに牙を向く相手に取るべき対応はただ一つ。人間だろうがモンスターだろうが、ただただ眼の前を塞ぐ障害物は〝死〟を持って排除するのみ。


「サカナシさんがお強いのは理解してましたけど、まさかここまでだとは思わなかったです。やっぱり有名な魔法使いではないのですか?」

「別に大したことない連中ばかりだったぞ。なんなら拳銃も必要ないくらいだ」


 エペ村までの道中――襲いかかってきては殺し、襲いかかってきては殺しの連鎖で積み上げた死屍累々の山道を振り返ると、アイリスは気が抜けたように溜め息を漏らした。


 匕首ドスで切り刻み、グロックで撃ち抜く。対象が「人間」か「それ以外か」だけの違いであって、ひたすら襲いかかってくる敵を機械的に排除するのは存外に退屈な作業だった。


 新たな死体が作られるたびにアイリスは絶命したモンスターに近寄ると、刃物を貸して欲しいというので貸し与えた匕首で皮膚を切り裂き、体内に躊躇な片手を突っ込むと親指ほどの大きさの石の欠片を手にして笑って見せた。


「それは一体なんだ。粗悪品の宝石みたいだが」

「魔石も知らないんですか? まさか、その歳で子供でも知ってる常識を持ち合わせてないなんて……」

「おい、俺を貶めるような台詞は吐くな。ガキだからって容赦はしないぞ」


 憐れむように視線をそらして言葉を濁すアイリスは、頼んでもいないのに魔石について懇切丁寧に説明を始めた。薄々感じてはいたが、とにかくお節介な性格らしい。


「仕方ないですね。私が教えて差し上げます。魔石というのは、モンスターの体内に必ず存在する魔力の源、核となる石のことです。心臓は別にちゃんと存在するのですが、魔石を抜き取られたモンスターはその場で生命維持に欠かせない魔力が尽きるので死んでしまうのです」

「なるほど。それは全てのモンスターに当てはまるのか」

「ええ。強力なモンスターほど体内に含む魔石の大きさと魔力の純度は増していくので、その分希少価値が上がります。当然入手難易度も跳ね上がるのですが、一定の大きさに達した魔石は一財産を築けるほどの価値を持つのと同時に、武器や装備類、魔法道具全般の希少素材として重宝されます」

「ほお……これが〝金〟になるのか」


 武器や防具の制作のくだりは聞き流していたが、金に関する部分のみ反射的に聴き取った。アイリスが手にした欠片を奪いとると、夜空に透かしてしげしげと眺めてみたが特に価値がありそうにも思えない。


 返してくれと喚くアイリスの胸元に、魔石を押し付けるといい案を思いついた。これから先、生きていく以上は金を稼ぐ必要に迫られる。ヤクザである自分がちまちま日銭を稼ぐような真似はポリシーに反するが、エペ村に到着するまでの間はストレス発散も兼ねて魔石狩りを継続して行うことに決めた。


 少しでも金を稼ぎたいと乗り気なアイリスに魔石の採集は全て任せ、道中は無悪の手によって葬られたむくろの山が築かれていく――。


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