閑話 エリオット・グレイ

 〘ダンジョン黎明期〙


 カオスになると思われた世界は、静かに新しい秩序の世界へと移行した。


 暴動を起こす人間は結晶化され世界から消えた。

 人類はその光景を目の当たりにし、異星人の能力に驚愕しカルマの意味を身をもって知ることになった。

 刑務所の多くの受刑者は結晶となり、結晶化しなかった者は冤罪とされ家族のもとに帰った。ニューワールドは刑務所の必要が無い世界が生まれた。


 試験構造体の顕現は何の予兆もなく現れた。他の建物の影響を与えることなく、インフラも壊さず気が付くと黒い構造体が現れる現象が世界各地で起こった。

 昔からその場所に試験構造体があったと思わせる、違和感のない佇まいに顕現したことも気が付かない者もいた。


 エリオット・グレイは審判の日に大学院を辞める事を決意した。

 

「エリオット、ホントに辞めるのか?もう少しで学位取って修士だろ?」


 数少ない友人のルーカスが話しかけてきた。


「あぁ、ルーカス。俺、試験構造体に挑もうと思うんだ」

「試験構造体に?ハイスクールの連中がライブ配信で自分の死にざまを見せてるあそこか?」

「そうだな、お金欲しさに命をささげる場所さ。俺もこの街に試験構造体が出来なければ辞めてはいなかったと思う。運命を感じたんだ」

「運命?そうか、金欲しさで挑むとは思えん、お前が試験構造体に挑む意味も分からんな、修士資格が取れるのに大学を辞めてまで挑戦する意義がお前にはあるのか?」

「ある!俺の研究テーマ知ってるだろ。どうだルーカス一緒に行かないか?」

「遠慮しとくよ、俺は親父の農園を継ぐ約束があるんだ。俺は自分の知りたいことの為に我儘いってここに来たようなもんだからな」

「そうか、お前の親父さんもいい年だもんな、俺も頑張るからお前も頑張れよ」

「エリオット死ぬなよ、そうだ十年後あのバーで一緒に飲もう。約束だ」

「おぉいいね、十年後の今日俺たちが通ったあのバーで落ち合おうぜ、そうだな時間は二十時でどうだ?」

「分かった、生き残れよ。じゃなきゃ十年後、俺一人で飲む羽目になる」


 二人で目を合わせ大声で笑った後、ルーカスは右手を出し俺もその手を握り替えし、その後熱いハグで別れた。


 大学のキャンパスは静かだった。図書館の明かりは夜遅くまで灯り、教授たちは相変わらず研究費の申請に追われている。

 ――まるで、世界が何も変わっていないかのように。


 だが、俺には見えていた。

 黒い構造体。街の隅に突如現れた“異物”。

 それは道路を裂くことも、ビルを倒すこともなく、ただ静かに存在している。まるで、そこにあるのが当然だと言わんばかりに。


(秩序は保たれている?笑わせる。あの中はカオスそのものだ)


 ニュースで流れるダンジョン探索の映像。叫び声、血飛沫、そして二度と戻らない人間たち。異星人の人口統制だと言う評論家もいた。


 机に広げた数式や論文が、その光景の前では紙切れ同然に思えた。


「あと少しで修士だろ、もったいない」


 そう言ったナシーフ教授の声を思い出す。だが俺は知っている。

 このまま学位を取っても、もう意味をなさない。目の前に求めている者が現れたからだ。


(俺の知りたいことが目の前にある)


 恐怖もある。死ぬかもしれない。

 しかし、俺の知識的欲求は恐怖より、胸の奥で膨れ上がる高揚感があった。

 ダンジョンの中、あの異星人こそ俺の欲求を満足させる場所だ。


 机の上に学生証を置き、研究室を後にした。

 夜の街に浮かび上がる黒い構造体を見上げながら、心の中で呟いた。


 エレメンタリースクールの時に読んだ古代文明の本が愛読書になった。好きでいろいろな本で調べた。特にセガリア・シッチン氏に衝撃を受け古代文明と異星人に深くつながる仮説に胸が躍った。

 シュメールだけではない、ネイティブインディアンには口伝が残り、マヤには壁画が残っている。アフリカドゴン族の伝承も興味深い。

 あの日本にも宇宙人の様な土偶があり、俺は幼心にロマンを感じた。

 

「シュメールの粘土板も、マヤの壁画も、日本の土偶も……あれらは人類が“外”から与えられた知識の断片なんじゃないのか?」


 そんな独り言が静かに部屋に響いた。


 夜空の下、黒い構造体は静かに佇んでいた。

 月明かりを反射することもなく、ただそこに在るだけの異質な存在。


 誰かにとっては死地。

 誰かにとっては金の成る木。

 だが、俺にとっては――すべての答えへ繋がる扉だった。


(恐怖も、後悔も、あるものか)


 胸の奥で熱が燃える。

 それは学位では得られない、論文には記せない、生きた知識への渇望。


 明日からの人生が、血と混沌に満ちた“ダンジョン”の中にあると知りながらも、気持ちは高揚していた。


 エリオット・グレイはその夜“英雄譚”の第一歩を踏み出した。




   

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