第8話
舟戸大野の駅前一等地に構える本屋。その名もサイコウ書店。遠目の印象ほど古めいてはいない。外にある雑誌はコンビニでも見かける最新号だし、白髪のおじいさんが一人構えるレジの脇には、人気少年マンガの最新刊が平積みされている。店内は蛍光灯の昼白色で奥まで明るく、掃除も行き届いている。時間が時間だからか、客は自分たちだけ。静かな店だった。
「意外と普通の本屋だね」
入ったはいいが、そもそもお金がないので何も買うことができない。ただ中を歩き回るだけだった。女性誌、ファッション、スポーツ、ビジネス書、新書、参考書、文芸…店は決して広くないが、品ぞろえは多様だ。
「リュウちゃんは小説とか、読む?」
小説の棚。作者の五十音順に何冊も本が並ぶ棚の前で、まっくんが立ち止まって言った。何か月も読んでいない。朝の読書の時間が最後だろう。それも2年生に上がってからは無くなったので、読む機会がなくなった。
「うーん、あんまり…」
「俺さ、最近ちょっと読んでるんだよね。親が好きで家に結構あるから。これ面白かったよ」
まっくんが指さしたのは、自分も名前を聞いたことがある本だった。淡い橙色の背表紙に記された題は「潔白」。確かサスペンスホラーで、おととし辺りに映画にもなっていたはずだ。作者は南かなみ。同じ作者の本が何冊も並んでいる。売れっ子なんだろう。
「これ、確かホラーだったよね。映画のCM見たことあるよ」
「どっちかって言うと殺人事件だね。リュウちゃん苦手だっけ? でもほんと面白いんだよ」
棚から「潔白」を取り出してみると、表紙には夕暮れの教室で一人、窓の外を眺める男子生徒の後ろ姿が描かれている。300ページくらいの本だ。冒頭の1ページ目だけを軽く読んでみると、表紙の通り、学校を舞台にした話のようだ。ただし初めは、いきなり犯人の告白シーン。確かに印象的だ。
「興味ある?」
「確かに面白そう。ただ、お金がね」
本を棚に戻す。結局、脱走したって本一冊買えるほどの持ち合わせもなければ何もできない。そもそも、まっくんがいなければ電車に乗ることだってできなかった。あの線路の向こうに自由な世界…だなんて妄想したけれど、現実は厳しいのだ。おまけに、今頃学校じゃ大騒ぎになっているかもしれないのだから気が滅入る。
「読むなら、貸すよ。『潔白』。」
「え、いいの?親の本でしょ?」
「大丈夫だよ。いつも勝手に持ち出してるけど何も言われないし。」
まるで自分の物であるかのようだ。高いものではないけれど、抵抗はあった。
「読むのに時間かかるかも。一ヵ月とか。」
「いいよ全然。あげてもいいくらい。」
正直、面倒に思う気持ちもある。借りた以上は読まなければならないだろうし、ああ言われても返さないわけにはいかない。だがそれでも、借りてみようと思った。ここで『潔白』を借りなければ、脱走してまで得たものが何もないまま終わってしまいそうな気がした。
「…うん、借りるよ。読んでみたい。」
「OK、明日学校に持ってくるよ。本ならバレても怒られないだろうし。」
店内にこれ以上見て回るような広さはない。行く当ても特にないが、外に出ることにした。太陽は頂点を過ぎ、2人の影が人通りの少ない歩道に伸びた。
「これからどうする?」
「そうだなぁ…」
ふと、まっくんが何か思い出したようにポケットに手を入れ、スマホを取り出した。
「あれ? スマホ持ってたんだ。いいな、ウチはまだダメだって親が。」
「………」
まっくんは画面を見たまま動かない。
「どうしたの? …まさか学校から電話とか?」
「…いや、もっとヤバい。まぁこうなると思ってたけど。」
スマホの画面をこちらに向ける。表示されているのは「着信中」の文字。電話の主の名前は、万葉圭吾。万葉家を支える大黒柱。…まっくんの親父さんだった。
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