五月 喜びあえる仲間

 ゴールデンウィークの最終日。海音たちの水泳部は休みなく学校で練習をしていた。


 三年生が出る最後の大会が六月にあるため、祝日でさえも練習に費やされているのだ。


 太陽が高く上り始め、照りつける光によりプールの水は宝石のように輝いていた。


「次タイム計測なので三十分後に始めまーす。いいですかー?」


 マネージャーの声がプールに響く。この直前までに三千メートルを泳ぎ、へとへとになっていた海音たち選手は、つかの間のクールダウンとなった。


 四月と比べて水の温度が心地よいものとなり、海音はビート版を使い、軽くバタあしをしながら水に浮かんでいた。


 プールサイドにトイレ行っていた弥生とひまりが喋りながら一緒に歩いている。


 水につかっていない腕や頭が焼かれるような感覚に、海音は素潜りをするように深く水に潜ると、そのままプールの底をゆっくりと泳いでいった。


 突然何かが近くに飛び込んできた。海音は慌てて顔を上げると、弥生と陽真理が泡をまといながら浮かんできた。


「びっくりしたなあ。急に飛び込んでこないでよ」

「水の底で動かない人影が見えたから死に顔でも拝んでやろうかと思って」

「分かって飛び込んできてんじゃん。バカな先輩を後輩がまねしちまってるよ」

「弥生先輩があんな近くに飛び込むなんて思わなかったですけどね」


「あたしのせいじゃないもん」と、弥生はその場から逃げるように、水に潜ると床を蹴り、勢いよくその場から離れていった。


 残された二人は追いかけることもせず、その様子を見ていると、顔をあげ振り返った弥生が離れた場所で首をかしげている。


 海音と陽真理は、我慢できず吹き出すと声をあげて笑った。


 二人が弥生のもとに行く頃には時間になり、プールから全員があがる。


 タイム計測を始める時間だ。全員がそろって出れないため順番決めをした結果海音、弥生、陽真理は同時計測のグループとなった。


 ぼうしをつけ、ゴーグルを手に持ったまま、計測順に名前のかかれたホワイトボードを海音は見た。


 後ろから陽真理と弥生が話をしているのが聞こえ、ボードから向きを変え、海音は二人の間に割り込んだ。


「いやー、先輩たち早いからなー」

「そうゆうのいらないから。むかつく」

「陽真理の方があたしとか海音より速いじゃん」

「そんなことはないかもしれないですよ。少なくとも、弥生先輩には抜かされそうでひやひやしますよ」

「だってさ、海音。後輩はこう申していますが」

「はいはい。どうせ私は後輩にも負ける、よわよわですよーだ」


 そう言って海音はむくれると先に飛び込み台に上がり、ゴーグルをはめた。


 顧問が急かし、弥生とひまりも飛び込み台に上がった。マネージャーが笛三回を鳴らす 。


 プール、プールサイドの騒々しさが消え、空間から音が無くなり、緊張感が走る。


 笛が鳴った。同時に選手が飛び込む。


 男子も女子も混ざった組のなかで弥生と陽真理は男子に劣らない速度で泳ぎきった。


 タイムはコンマ五秒の差で陽真理がはやくついた。しかし誤差の範囲だ。


 海音はというと二人から二秒ほど遅れて壁にタッチした。


 ストップウォッチを止めたマネージャーがタイムを読み上げる。


 先についていた弥生と陽真理がまず先に声をあげた。


 読み上げられたタイムは海音の自己ベストを一秒も更新しているものであった。


 去年の夏休み明けからタイムがずっと伸び悩んでいた海音は、とうとう一秒の壁を超えることができたのだ。


「海音先輩速くなってるじゃないですか! おめでとうございます!」

「いや、マジでくっそ嬉しいんだけど。良かったあ。弥生たちはどうだった?」

「だめだめだよ。陽真理マジで速すぎ。だって、、周ってから遅くなるどころか速くなんだもん」

「いやいや、私すごい焦りましたよ。なかなか弥生先輩と距離が開かなくて」

「え、陽真理も自己ベスト出たの?」

「今回はちょっと遅かったですね」

「最初が一番タイム出るのにね」


 タイム計測であるが、この練習は一度では終わらない。


 計測後に五分ほど休憩をはさみ、再びタイム計測。これを五回繰り返し今日の練習は終わることとなっていた。


 何度も全力で泳げば当然ながら、疲れが溜まりタイムが出にくくなる。


 弥生と海音のタイムは、レースを追うごとに疲れが溜まり遅くなっていた。


 しかし、陽真理はというとその組のなかではタイムがそこまで落ちず、最後に至っては自己ベストではなかったが最初のタイムを上回っていた。


 ゴールデンウィークの練習がすべて終わり、全員はプールから上がり顧問に挨拶を済ませ片付けをしていた。


「お疲れさまですー。それにしても良かったですね海音先輩」

「んーどうだろ。この調子のままで行ければだけどね。はやくあんたたちに追い付きたいよ。とりあえず弥生には」

「あたしじゃなくてまず後輩に負けないようにしないとでしょ」

「弥生も抜かせてないじゃん。陽真理は格上だから。私は手の届きそうなところだけで戦うんだよ」

「夏の練習もこの調子なら、先輩たちには抜かされてしまうかもですねえ」

「あたしも夏は頑張んないとなあ」


 話しをしながら片づけを済ませ、三人はそろってプールサイドから出ようとしたその時、海音の目にプールに備え付けの枝分かれしたシャワーが目に留まった。


 いつもなら水泳部員が使わないものであったがこの時の海音は弥生たちを先に行かせると、一人シャワーの弁をひねり、冷たい水を頭からかぶった。


 塩素を落とす意味でも火照った体を冷ます意味でもあった。自己ベストが出たことによる喜びの熱がいまだに収まらないのだ。


 海音は団子状に縛られた髪をほどくと、水をかぶりながらその髪を手櫛でとかしている。


 まだ五月のはずが、水着のずれた部分から日焼けの跡がはっきりとわかるほどの色の違いに体をこすりながら水を浴びながら海音は気づいた。


 その日焼けまでも、今は努力の結晶のように海音は感じられ、無意識に口角が上がっていた。


 体から熱が引いてゆき、寒さを感じるほどになったころ、海音はシャワーを止め、更衣室へと戻った。


 水着からの着替えを終え、三人はしばらく部室で話していた。たわいもない会話だ。三人の以外はもうすでに帰ってしまった。


「あれ、もうこんな時間じゃないですか先輩たちいつ帰りますか?」

「家に帰っても、もうどっか行こうとも思わんしなあ。どうする海音」

「私は帰ろっかな。アイス食べたくなった」

「学校出てのところにセブンティーンアイスの自販機あるじゃん」

「買ってく? だったら駐輪場にベンチあるからそこで食べよ」

「えっ、海音先輩おごってくれるんですか?」

「誰が奢るか。自分で買え」


「けちー」と、言う陽真理に目もくれず海音はさっさと荷物をもって部室を出た。


 弥生が部室の戸締まりをして遅れて二人に追い付いた。


 学校を出て自販機で各々アイスを買い、三人ならんでベンチでアイスを食べ始めた。


 海音をはさみ陽真理と弥生が話している。海音は二人の会話するのをまじまじと見ていた。


 四月には二人が仲良くなるなど海音は想像していなかったのだ。


 弥生は海音に対して、陽真理が怖くて喋れないと言っていたが、それが嘘のように二人が笑いながら話している姿が海音にはおかしく感じた。


「マジでヤバくないっすか。……って何にやけてるんですか海音先輩」

「んえっ。私笑ってた?」

「ほんとだ、にやけてる。あー、もしかしてまたえっちな事考えてたんじゃないの」

「えっ、ちが、違うからそんな事、考えてない」

「まさか図星なんですか。きゃー。先輩も変わらないですねー」

「えっ、海音中学の頃から変態なの?」

「だめだぞ陽真理! 中学の事を掘り返すなよ!」

「いや、まず否定するだろ」


 弥生の突っ込みに海音は顔を真っ赤にして、残ったアイスを一口で食べきると、「ゴミを捨ててくる」と言いベンチから勢い良く立ち上がると、自販機の方の走っていった。


 二人がそのままベンチに座って笑っている。

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