第52話
「精霊を消滅させないように存在を維持させるため、四神は力を使ってきた。その結果召還されないと覚醒できないところまで追い込まれているんだ。これを裏返すとどうなるか、綾都にならわかるだろう?」
勉強がキライで物覚えの悪い綾都だが、決して頭が悪いわけではない。
無邪気に振る舞いながらも、綾都が相当聡明であることを、瀬希は見破っていた。
普段朝斗に頼りきっているので、滅多にそういう一面はみせないが、綾都は自立できていない頼りない少年ではない。
むしろ純真無垢なまま成長してきたと思うなら、不自然なほどに頭脳明晰だ。
正しい意味で。
勉強ができるという意味じゃない。
勉強ができても頭の悪い奴は大勢いる。
綾都は物覚えが悪くても勉強が苦手でも、正しい意味で頭がいいのだった。
だから、瀬希がなにを言いたいか、綾都にはわかっているはず。
「つまり覚醒していない状態でも、精霊に力を分け与えていたのが四神だから、その四神が東の水神だけとはいえ起きている状態では、精霊が力を増幅させている可能性が高い?」
「そうだ。起きているのが水神となれば、当然だが水に関連した災害が起きる可能性が高くなる。さすがにわたしも自然災害が起きてまで綾都を護れる自信はないし」
精霊の力は自然界に作用する力。
つまり精霊が使った力は自然災害として起きる確率が高いということである。
精霊使いのクラスが上がるほど、それは様々な形へと変化するが、基本的なところは同じだ。
自然に関わる形で力を使っているという一点においては。
つまり現在の精霊が暴走している状態で、水神が起きているということは、周囲に悪影響しか与えないということである。
また残りの三神が起きていないだけマシかもしれないが。
「とにかく綾都の感じていることが事実なら、外に出ているのは危険だ。宮殿内に戻ろう」
そう諭されて肩を抱かれ、促された綾都が一歩を踏み出したときだった。
近くにあったが川がいきなり氾濫を起こしたのは。
あっという間に周囲に水たまりができて、それが膝まで覆っていく。
瀬希は慌てて綾都を抱きしめようとしたが、一歩遅かった。
元々体力のない虚弱な綾都である。
あっという間に川に飲み込まれてしまった。
「綾都っ!」
「瀬希、皇子」
名を呼びながらも綾都はどんどん流されていく。
普通に考えれば助ける手段はない。
この川はおそらく水の精霊の影響で氾濫を起こした。
その川に入ることは自殺と同じ。
わかっていたが、瀬希は躊躇なく飛び込んだ。
思っていたより深い川の中を綾都を捜して泳ぐ。
水の抵抗は思ったより酷くなかった。
もっと手足を取られるようなものを想像していたが、泳ぐのに困るほどではない。
ふと瀬希は感じ取る。
自分がなにかに護られていることを。
『主神を助けることがそなたの意志ならば、我が助力しよう。主神を頼む。我等の愛し子よ』
空耳かと思ったがいやにはっきり聞こえる。
確かに愛し子と言われた。
(四神? 今起きているという水神か? だから、水の抵抗を感じない? 水神の加護を得ているから?)
空耳ではないとしたら、あの声は水神。
水神は綾都のことを主神と言った。
やはりそうなのかと、どこか冷静な部分で瀬希はそう感じる。
やがて川の底の方で石に足を取られて気を失っているらしい綾都を発見した。
『水が邪魔か? ならは静まれと命じればよい。そなたは我等の愛し子。精霊ごときては敵わぬよ』
つまりレスターや朝斗と同じことが、ただの人間の瀬希にもできる?
半信半疑だったが瀬希は思い切りよく叫んだ。
「水が邪魔だっ! 静まれ!」
ただ考えていたのは綾都を助けたい。
それだけだったのに水は大きく震え、やがて静まっていった。
その様子を川から出て瀬希が唖然としてみている。
辺りはすっかり落ちついて、さっきまでの氾濫の余韻しかない。
これを自分がやったなんて信じられない。
茫然自失に陥りそうになったが、ハッと我に返った。腕の中を振り返る。
「綾都?」
口許に手を当ててみる。
「呼吸をしていない」
水を大量に飲んだのか、すでに綾都は呼吸を止めていた。
だが、長い時間ではないはずだ。
こういうときの対処方を瀬希は勉学の一種として習っていた。
綾都の首の下に手を入れて気道を確保する。
唇を開かせるとゆっくり深く呼吸を吸って合わせた。
一定のリズムで人工呼吸を繰り返す。
これしか瀬希には手段がなくて。
どのくらい繰り返したのか、やがて綾都がゴホゴホと咳き込んで水を吐き出した。
苦しそうなその背を購る。
綾都がぼんやり視線を向けてきた。
「瀬希星子。もしかして今、キスした?」
あからさまに言われ、ギクッとした。
そう取れないこともない。
人工呼吸とはいえやっていることは唇を合わせること。口接けと同じた。
瀬希は赤くなって黙り込むしかなかった。
「え? もしかしてホントにしたの?」
ぼんやりしていたはすが、ギョッとした顔をして、綾都が無理に上体を起こす。
瀬希にもなにも言えなかったが。
「人工呼吸と言ってくれないか? 呼吸をしていなかった綾が悪い」
「.....されたの、こっちなのに!」
そっちが悪いでしょと顔に書かれて、瀬希は困り果てる。
「こちらは人助けだ」
「わー。往生際悪い」
綾都が日々と睨んでくる。
なにやら腑に落ちないものを感じる。本当にこちらは人助けのつもりでやったのに。
「ファーストキスだったのにショックだ」
「なんだ、それ?」
首を傾げると綾都が呆れた顔をした。
「キスはわかるのにファーストキスはわからないの?」
「いや。異国の言葉でキスは口接けを意味することくらい知っているが、なんだったか。それは聞いたことがない。なんだ? 一体?」
真面目な顔で問いかければ、綾都も嫌味でもからかいでもないとわかってくれたらしい。
さっきの瀬希みたいに顔を赤く染めて、こちらが意識するようなことを答えてきた。
「さっきのが初めてだったって意味だよっ!」
「初めて?」
さすがにそれは想像しなかった。
初めてだったならいくら人工呼吸とはいえ、それは責めたくなるだろう。
ここは誤魔化せと脳裏に閃いた。
「憶えているわけではないのだろう? さっきなにがあったか」
「それはそうだけど」
「だったら忘れればいい。ただの人工呼吸なんだし、数に入れなければいいんだ」
一応、仮とはいえ夫と側室の関係で、キスがどうのと揉めるのはおかしいのだがと、脳裏を過ったが、文句は言えなかった。
実は瀬希も初めてだったのだが、そのことは秘密にしておく。
なんだか今言うと撃沈されそうだったので。
「とりあえず宮殿に戻ろう。歩けるか?」
「無理。身体に力が入らない」
「そうか。だったら抱いていこう」
「うーん。今はいやだあ。兄さんがいいよお」
「おまえ、そこまで拒絶するか? 仮にもわたしは綾の夫なんだが?」
「キスしておいて恥ずかしくない瀬希皇子の感覚の方がわからない」
「意識していないと言えば嘘になるんだが」
顔を背けて小さく呟けば、綾都が唖然としたようにこちらを凝視した。
それで素知らぬフリを決め込むことに決める。
黙って抱き上げて歩きだしたが、綾者は繁々と瀬希の顔を見上げていた。
腕の中から。
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