2−10
さて、場面は再び或摩中心街近くの、とあるカフェ。
真知の身を案じつつも妙に対応が消極的な翔雄を前にして、杏は違和感めいたものを禁じ得ないでいた。
「とにかく、なんか昨日から、あいつメンタルが不安定みたいだし、あまり騒動になるのもさ……うん、とりあえず、もうしばらく様子見ってことで。他は異状なしか? ……OK、じゃあ引き続きよろしく頼む」
蓮との通信を終えた翔雄がインカムのスイッチを切ると、間髪を入れずに斬り込みにかかる杏である。
「議長、湯塩先輩の話ですよね? 尾行役ごと消息不明って、かなりマズいんじゃないんですか?」
セシルも眉間にしわを寄せて翔雄へもの問いたげな視線を向けている。二人の表情にちらりと目をやると、翔雄は軽く肩をすくめ、そうは言ってもねえ、と小さく呟いた。
おかしい。つい一時間前には、真知に対して、見てて恥ずかしくなるような友情(愛情?)ごっこを大安売りしてくれたばかりだというのに、この鈍さは何?
「議長?」
「ああ……作戦行動中ならまだしも、半分プライベートみたいな時間だろ、今は?」
「ですが、トラブルに遭ってるんなら」
「うーん、だから、この状況って、ただ通信圏外になってるだけとも言えるんだよ。まー、何かあったんだろうなとは思うけど、色々と不明すぎるし……至急捜索を手配したところで、五分後には前提条件が急変するかも知れない。とにかく、少し待とう」
「そういう時は、ヤマ勘でええから決断せんとあかん」
ここぞとばかりに先輩風を吹かせたくなってる様子のセシルが、断定口調で言い切った。
「何よりリーダーに大事なんは行動力や。動く時には動かんとあかん! それを、理屈こねてただ先延ばしにするのは、正直感心せえへんな」
「そうだねー、そういうイメージで理想を語るのは、まあいいんだけどさー」
セシルのちょっといい話を、スレた目線で緩くつまはじきつつ、翔雄はなおもダダをこねるように、ぐだぐだと得体の知れないことを言い始めた。
「なんかさー、感じるんだよ、心配したらバカを見る展開の匂いって言うかさ、散々駆け回ってる僕らを面白がりそうな――何て言うの? 神?……だか語り部? だかの――腹黒い視線の気配って言うか?」
「え? ぎ、議長、何言ってるんですか?」
愕然とした杏が、思わず隣のセシルを振り返ると、こちらはこちらで妙な反応だ。杏のように呆気に取られてるのではなく、あ、こいつとうとう言っちゃならんことを口にしやがった、とでもツッコみたそうな訳知り顔で、渋いものを見るように目をすがめている。
「とにかく空気のめぐりがさー……まあ、運勢とか運気とか言い換えてもいいんだけどさー、よくないって。仮に今、評議会全員に召集掛けてよ? 真知のいそうなあたりに全力で駆けつけるとするだろ? そしたら絶対あいつ、五体満足のぼーっとした面で、のほほんと突っ立ってやがるに決まってる」
「じゃ、じゃあトラブルの可能性は低い、と?」
「いや、多分何らかのトラブルにはなってたんだと思う。けど、もうそれ、きれいに終わってるんだよ」
「なんでそんなに確信ありげに言えるねん?」
「勘だ」
傲然と胸を張る翔雄。なんだか急にシラケた空気になって、杏は脱力した上半身をイスの背に預けた。セシルも同様らしい。にしても神とかって、議長の頭の配線がちょっと心配になってしまう。
一方で、翔雄の読みは読みで、なぜだかぴったり正解という印象も強く感じる。これもまた変な感覚だ。何なのか、これは?
「あー、まー、じゃあ、そっちの事情やし、好きにしてくれたらええんやけど」
ちょっと鼻白んだ感じでセシルが仕切り直すように、
「それならそれで話戻してもらおうやんか。えっと、何を言うてたんかな、あたしら? あんたが作戦とか言うてたんやなかったの?」
「え? ああ、そうでした。その、セシルさんの極秘のはずの報告内容を、私たちが聞いてしまいましたので、それを取り繕うための」
「あたしがここで報告の練習がてら、超長周期の地電位変動が何とかって文句を口走ってたら、あんたらがたまたま通りかかって聞いてしまうってシナリオの話してたんよな?」
「丁寧な説明をありがとう。でも、それは作戦としてはうまくいかないんじゃないかって僕がツッコんだところで止まってた」
「そうでしたそうでした。……えっと、で、議長、なんでその作戦じゃダメなんですか?」
「なんでってそりゃ」
その時になって、杏は少し前から翔雄の視線がおかしいことに気づいた。杏の方を向いているのだけど、見る先がわずかにズレている。まるで杏の――
「――ちょっと後ろを振り返ってみたら、わかるんじゃないかな?」
柔らかい表情でそういうもんだから、深く考えずに杏とセシルは背後を振り向いた。
瞬間、全身の血液が逆流するようなショックで、あられもない絶叫がのどから飛び出てしまう。
「あぎゃぼらびゃあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーっ!!!」
四分後。ようやく落ち着いてきた杏は、今度は恥ずかしさでテーブルに突っ伏したまま、顔を上げられなくなっていた。
「アギャボラビャアって! アギャボラビャアって何なん!? おかしーっ、あーもー、お腹痛い……」
となりではセシルが、同じセリフを飽きもせずに繰り返しては、同じテーブルをべしべし叩きながら両足をバタバタさせて身もだえし続けている。
「見ろ、お前の日頃の行いが悪過ぎるから、あんな年端も行かないお嬢さんに大恥をかかせてしまっとるだろう」
「一応、あの子は中等部の三年生だ。……衛倉君が悲鳴を上げたのは、貴様の海坊主みたいな面に恐怖したからではないのか?」
「両方です! あんたらが黙って後ろの席に陣取ったりとか悪趣味なことするからでしょうが。普通に声掛けときゃいいものを」
「そういう翔雄も、わざとわしらのことを黙っておったではないか。悪ふざけする気満々だったのは、むしろお前の方だろうが」
「いやあ、滝多緒っておもろいなあっ、毎日漫才やってるみたいやな、あんたら!」
という感じで、杏の頭の上をこれまたアホな会話の応酬がいつまでも続いている。
そう、杏とセシルの後ろのテーブルでダマで居座っていたのは、誰あろう、これから改めて会談のアポを取る予定だった峰間学園長と、甲山博士であった。
なんでこの二人が朝っぱらから或摩の真ん中でお茶する気になったのか。そもそもなぜ二人一緒なのか。甲山は峰間大伍にとっては宿敵のような存在ではなかったのか。謎は次々に溢れてくるのだけれど、そんなことより今はもう、テーブルの下に塹壕を掘って隠れてしまいたい、このまま下部マントルのさらに奥で埋もれてしまいたいと、羞恥にまみれる杏であった。
「にしても、滝多緒学園の職員室って、日頃から教頭先生がそんな海賊みたいなコスプレしてはるんですか?」
今日も眼帯姿の博士へ、なおも笑い混じりでセシルが訊いた。この娘にしろ、後ろを振り返った直後は「うわはあ」とか変な声のリアクションを見せていたはずだけれど、すぐに復帰したし、杏の悲鳴のインパクトがそれ以上だったので、もう今はすっかりリラックスして、初対面の甲山をさっそくいじる気満々である。やはり二歳差の人生経験はこういうところで出てくるんだろうか、と杏は悔しさに唇を噛んだ。
ちょっと押し黙った老人二人に代わって、翔雄が横から補足する。
「あー、この人はうちの学園の先生じゃなくて。そもそも学園関係の人でもない……んですよね、学園長?」
「ん、まあな」
「我々も、つい昨日まで名前を知ってたというだけで、詳しいことは何も伺ってないんですけど……甲山博士って、学園長とはどのような?」
セシルへの説明にかこつけて、この機会に博士の人物情報を問い質す気になったらしい。翔雄の声質が遊び時間のそれから微妙にシフトした。
問われた甲山は、ちらりと大伍に、いいのか? というように目を向けてから、あっさり種明かしをした。
「大学時代の同窓だよ。学部も所属講座も同じだったし、博士課程までそこそこ長い時間を共に過ごした間柄だから――まあ、学友、と言っていいんではないかな」
「そんなご学友が、なんで今は、その、うちの学園の中だけとはいえ、指名手配中の凶悪犯みたいな扱いになってるんですか?」
「ん、そうなのか、大伍?」
学園長室横に手配ビラが貼ってあることまでは知らなかったらしい甲山が、きょとんとした顔を横に向けた。問われた老人は、決まり悪げに視線を逸らしながら首筋を掻きつつ、
「犯罪人扱いしたわけではない。……が、貴様がわしの周囲をうろつく時が来るとしたら、それはただ事ではないはずで、大至急の対処が必要な状況だろう。違うか?」
「そうか? ただふらっと寄るだけのこともあり得るだろうに」
「ふん、そんなこと、十年に一度もないだろうが」
なら十五年に一度ぐらいならあったということだろうか? むう、これは学園長が受けでこの博士が攻めって構図よね、と杏は腹の底で一人合点し、いつの間にか顔を上げて老人二人の関係性に興味津々になっている自分自身に気がついた。……いやいやだめだめ。今は任務に集中しないと。
杏よりもさらに仕事モードになっている翔雄は、祖父の言葉尻を的確に捉え、さらなる問いを重ねた。
「で、今まさに甲山博士が我々の前においでになったということは、この裏六甲がただ事ではなくなっているということですね? それはもしかすると、環境とか生態系に関わる大事が起きつつあるということですか? それとも、地質学的な?」
一気に核心に入った翔雄へ、じいさま二人はやや迷ったようなそぶりを見せる。ここはダメ押しが必要と思ったのか、翔雄がセシルを促した。
「ほら、例のあの報告」
「え、今ここで!? ええと、やっぱり密室みたいなとこやないと――」
セシルが周囲を見回した。まだ昼前にもならない時間帯だから、カフェは翔雄たち以外に客はおらず、店のスタッフも奥に引っ込んでて、情報部同士のやりとりを傍聴される心配はなさそうだったが、万が一ということもある。
「今さらだろう。どうせもう中身は聞かれてる。後で『報告しました』って形式だけ整えるためと思って」
組織トップの前であけすけに下っ端根性を見せながらそうせきたてると、セシルは仕方ないなあという顔で立ち上がり、それでもさすがに大声で報告文を暗誦するようなことはせず、大伍と博士のテーブルに移ると、顔を寄せてメニューで口元も隠しながら、予定の報告をやり遂げた。
「千津川観光学園対外情報室の水枯室長より、峰間学園長へメッセージです。『
翔雄や杏でもぎりぎり聞き取れるかどうかというボリュームで、それ以前に一般人なら言葉の意味がほぼ不明なはずのフレーズだったが、峰間学園長は一聴すると即座に頷き、「了解した。ご苦労」と返した。
それはいいのだが、セシルが一礼してテーブルに戻っても、老人たちは難しい顔のまま、やはり反応らしい反応を見せない。
「領家帯の何が問題なんです? そんなアバウトな地質区分で、六甲山に何か共通の現象が発生する可能性でも?」
翔雄がそうカマをかけても、沈黙したままである。
「それか、昨日のここの直下型地震に関係があったりします?」
大伍の頬が一瞬だけびくりと動き、甲山が浅くニヤリとした。だがそれだけだった。
「あるいは、領家帯
初めて大伍がむっとした顔を見せた。
「お前、どこでその情報を」
「昨晩です。カエルが怪しく光ってるなんて現象を目の当たりにしたら、そりゃ調べてやろうって高校生ぐらい、出てきますよ」
「ぬう……石を愛でるだけの若年寄と侮っていたが、甘かったか」
杏には今一つついていけない話題だったが、察するに、千津川からの意味不明な連絡は、昨日の地震とも、蛍みたいに光ってたとか言う大ガエルともつながりがあるということだろうか? んー、訳が分からない。こういうちんぷんかんぷんな会話に居合わせると、数日中に滝多緒を瓦解させるのはマズいかもという気までしてくる。って言うか、いったい<連合>には何て報告上げりゃいいの? と言って、私が全部が理解できるようになるのって、いったい何年後だ?
「峰間よ、そろそろ潮時ではないかの」
様子見を決め込んでる風だった甲山博士が、語りかけるように学園長へ声を掛けた。
「今回のこれが空振りであればよいが、本物だとすれば、判明後にゆっくり説明してやれる時間など取れんだろう。どのみち、この先は若いのに引き継いでもらわにゃならん。いい機会ではないか?」
「……お前はそう言うがな」
言いかけた大伍が、博士を見、翔雄を見て、小さくため息をついた。ようやく最後の決心がついたというところだろうか。そもそもその気がないのなら、翔雄たちを目の前にして、この人がこんなところで長居してるはずがなかったのだ。
思いがけず、杏が何もアクションを起こさないまま、聞きたかったことが聞けそうである。これは僥倖、と杏もつい前のめりになって、大伍の次の言葉に聞き耳を立てる。
「わかった。じゃあ、輪郭だけ話してやろう。ただ、くれぐれも言っておくが、これは並の諜報部員が耳に入れていい情報ではない。現在の情報部トップと準トップのこの顔ぶれだから話すのだ。他の評議会メンバーにも当面は秘匿せよ」
「ということは、他の情報機関にも、ですよね? 仮にトップ同士であっても?」
「当然だ。ああ、特に或摩の連中には気をつけろ。当事者の片割れだけに、バレると色々面倒だ。この甲山も、聖泉の居候みたいな立場のくせして、この件を学院には一切伝えとらんのだ。全く、何を企んどるのかわからん古ダヌキみたいなやつだ」
「失礼なことを言う。聖泉は美涼さんのテリトリーだから遠慮しとるだけだよ」
「ん、そうか? まあ、とにかく、一応国家級の重要機密なんでな。扱いには気をつけてくれ。三人とも、よろしいな?」
「あ、はい」「承りました」「え? そんな怖い話……いや、りょ、了解です」
満足げに頷いた大伍が、おもむろに「ではまず」と口を開きかけた、その時だった。
ただならぬ気配が通りの向こうから接近してくる気配を察知して、翔雄と杏が同時に顔を上げた。わずかに遅れてセシルと、すぐに大伍、博士も何事かと首を巡らせる。
気配はじきに、互いに呼び合う何人かの若い女らしい声と、原付らしいエンジン音と、路面を猛スピードで滑走する何かの乗り物の音として認識できた。迷惑な観光客がいるなあ、と通り過ぎるのを待っていたら、一つ先の交差点で姿を現した人影が、あろうことかこちらの方向へ折れて、まっすぐ迫ってくるではないか。
「え、そっち!? 待って、ちょっと、ユリユリ……」
「もう、そんな飛ばさんといて! 危ないやんか! ストップ!」
「ええ~? だってえー、インドニシキヘビよ! ただでもらえるのよ! 早い者勝ちなんだから!」
「いや、それはもらえるんやなくて――」
人影は三人の女子学生らしいが、いちばん先頭の娘はキックボードで、他の二人が原付でそれを追いかけているという構図。トップの娘は、なぜだか式典用らしいフォーマルロングドレスで、なかなかの美人さんである。原付の二人は声もシルエットもそっくりで、びっくりするぐらい小柄だ。もしかしたら中学生の無免許運転なんではと疑ってしまいそう。いや、小学生か?
どうやらたまたまこの道を選んだだけだったらしい三人は、猛スピードでカフェの横を通過した。瞬間、先頭の美人さんと翔雄とが、同時に、「あれ?」という顔で視線を合わせた。
「あ」
「あ。」
急ブレーキでキックボードが停止する。慌てて原付二名もフルブレーキ。十数メートル離れた位置で、美人さんと翔雄は、しばらく黙って見つめ合っていたけれど、やがてどちらからともなく近づいて、ぎこちなくも異様にフレンドリーな空気を醸しつつ声を交わし合う。
「や、やあ」
「え、ええ。こんなところで」
残された面々は、一人甲山だけが、ほほう、という感じで目を細めているが、その他全員、つまり杏と、セシルと、大伍と、原付の小学生みたいな二人は、一斉に顔を見合わせ、同時に声を上げるばかりだった。
「「「「「え?」」」」」
すぷりんぐ・うぉー ー裏六甲温泉大戦争ー 湾多珠巳 @wonder_tamami
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