2−9

 努めて冷静さを保ちながら、翔雄は蓮に問い直した。

「とりあえず、追跡が途絶えたポイントは?」

『駅からだと西南西の方向。というか、西南西に向かおうとしてたんだろうな、というコース。どうも、途中から誰かの自動車に乗り込んだのかなっていう、そんなベクトル変化だったんだけど』

「あっちの方向っつったら岩山続きのさびれた場所か。そりゃ電波も途切れるだろうよ。……やっぱ火遊びだろ?」

『楽観的にはそう考えてもいいけど、ドライブにしてはその先の道で全然反応が復活してない。自動車停めていったい何をやってるんだ?』

「え、そりゃまあ、自動車を停めてやるようなことじゃないのか?」

『…………』

「…………」

 翔雄はもちろんだが、蓮も、カップルがくっついてキスから先にどんな行為へ及ぶのか、などという一般常識については、中学生レベルの耳学問しかない。

「と、とにかく、あっちの方角だと捜索に出るにしろ、原付持ちの先輩でも呼んでこないと……ん、ちょっと待て。真知にはフォロー役をつけてたはずだけど、そっちはどうした?」

『うーん、報告はそれなりに入ってたんだが……』

 珍しく蓮が歯切れの悪い口調になる。

『そっちも電波状態のせいか、同じタイミングで途絶えてて、だな』

「うん、で、最後の報告内容は?」

『ええと……まともな文に変換したら、『現在、白いバンを追跡中』とか、そういう意味……かな?』

「それだけか?」

『それだけ。よっぽとダッシュで逃げられて余裕がなかったのか』

「えっと、尾行って、徒歩だよな?」

『だな』

「走って自動車追いかけてくれたんかな?」

『多分な』

「そりゃ悪いことしたな。……そういう時は、その場で音声連絡してくれりゃいいのに」

『責任感が勝ったんだろうな。で、どうするよ。捜索に緊急招集かけるか? それか観光局に応援頼むとか? 自動車でこのへんうろついてるおっちゃんぐらい、誰かいるだろ?』

「んー、鼻の下伸ばしたにーちゃん相手にデートごっこしてるんだったら、緊急招集ってのはなあ。……もう十分ほど様子見ようか」

『大丈夫かな?』

「何かあったとしたら、どのみち手遅れだろ」

『おいおい』

「冗談だ。まあ、真知のことだし……さしあたって、一分一秒を争うって事態にはなってないさ」



 さて、当の真知。

 いよいよもって、一分一秒ごとに地獄の釜のブクブクが近づいてきているような気分であった。

「いやっ! もういやぁ~っ!! なんでっ? なんで誰も助けにきてくれへんの!?」

 傍目には、そろそろ錯乱状態だろうかという危険水域にも見えていたかも知れない。

「ああっ、なんか今、いちばん当てにできるはずの仲間から、すごく無慈悲に切り捨てられたような感触が! メタ宇宙からのメッセージが!」

「おいさくら、いいかげんヤバいよ、こいつ」

 見て見ぬふりを決め込んでいた大歩も、さすがに黙っていられなくなったようだ。

「多少ボコるぐらいならともかく、精神科送りにしてどうすんだよ!? 吐かせた内容そのものが全然信用できんものになるじゃないか!」

「案ずるな。人格崩壊を起こすその直前に得た供述ならまだ使える。そして、こいつはまだ壊れてはいない」

「おいっ!」

「……とはいえ、時間は無制限にない、か。よかろう。これで終わりにしようか」

 そう言ってさくらは、一度マシンガンの銃口を上に向け、静かに真知へ歩み寄った。ほっとした顔の大歩は、しかし直後にひきっと泣き笑いのような顔になった。真知の目の前で立ち止まったさくらが、今度は銃口を斜め下に向け、真知の急所を狙い撃つような構えに入ったからだ。

 急所、すなわち、足の付け根の中央にある、男の娘にあって純女じゅんめにはない、アレである。大歩の背後からも、黙って成り行きを見守っていた親衛隊から、うぎゃああああ、とか、ひいぃぃぃ、とか、かなりテンパった悲鳴が噴き上がった。

「ななななな、何をしているのかなあぁぁぁ、卯場のお嬢ちゃんはぁぁぁぁっ?」

「だから、これで終わりだ。おい、滝多緒の女男。貴様、心が女で体が男に生まれてきたとかいう口だろう? 今、女にしてやる。だが、さすがにこういう性転換手術は貴様も望んではいないだろう。生死を賭けた麻酔なしのオペでのたうち回るか、諦めて全部吐くか、今すぐ選べ」

 真知は答えられなかった。極限まで全身が引きつると、言葉一つ発することが出来なくなるのだなあという事実を、新鮮な驚きとともに受け入れている最中だったからだ。

「いやいやいやいや、それはヤバいですよ、副総務!」

 逆に、引きつり過ぎてセリフが止まらなくなっているのが大歩であった。

「ってか、何考えてんの! 性転換とか、銃弾でできるわけないだろう! 全っ然シャレになってないっての! 下半身丸ごと吹き飛ばすのがオチだって!」

 銃口と視線をぴたりとターゲットにロックし、身じろぎもしないままでさくらは答えた。

「見くびるな。私とて、一般男子の体の構造ぐらい理解している。ぶら下がっている部分の付け根を狙えばいいのだろう? この距離で外すものか」

「つ、つ、付け根ってね、だいたいお前、保健体育の教科書程度の知識で――」

「ちゃんと現物も見て触ってきている。あの形状なら通常弾一発で大丈夫だ」

「え、ええ!? お、お前、いつからそんな、ディープなリクエストのできる関係の相手と!?」

「私には弟がいるが?」

「!! へ、へ、平太の体おもちゃにして、日夜拷問のシミュレーションしてんのか、てめえは!?」

「失礼な。任務のためには異性の体を知悉しておかなければならんから、身近な相手で協力し合っているだけだ。それのどこが悪い?」

「協力し合ってる、だって!? ふざけるなっ! だったらお前も弟相手に脱いで触らせてるとでも!?」

「当然だ」

 大歩の詰問はそこで急停止した。どうやら大脳の言語野までひきつけを起こしたらしい。口先だけで会話相手の精神までを硬化させてしまうとは、卯場さくら、おそるべし、であった。

 大歩の親衛隊の女たちはメンタル的に限界を超えたのか、さっきからうめき声一つしない。ようやく静まり返った室内で、依然銃身を斜め下に維持したまま、さくらが静かに真知へ問いかけた。

「さあ、これで後はないぞ。滝多緒のこの作戦の目的はなんだ? 昨晩の侵入は何のためだった?」

 真知の頭脳はほとんど暴走状態だった。が、それは解りきった解答を延々と出力し続けるような、ひたすらに不毛なフル回転だった。さっきと同じ回答をすれば、即座に銃口がアレを粉砕するだろう。だが、別の回答などあり得ない。この場面、この相手で、たちどころに納得させられる言い逃れが存在できるのなら、そもそもこんなことにはなっていない。しかし、このまま黙ったままでも弾は発射され、タマは失われる。それも明らかである。

 詰んでいるのだ。わかっている。それでも、その詰んでいるその先が到底受け入れがたい未来の場合、人はいったいどうすればいいのか?

 っていうか、そんなもんでこんなもんを撃ったら、きれいにちぎれるかどうかは別として、めっちゃくちゃ出血せえへん!? こんなところの止血ってどうするん!?

 こんなこと、評議会の戦術訓練でも一回も教えてもらえんかった!(当たり前だ)

 ああ、走馬燈が……ピカピカの満艦飾でひゅんひゅん回ってるガラの悪いUFOみたいな走馬燈が、空の向こうから近づいてくるのを感じる……。

「……あくまでエージェントとしての筋を通すか。いいだろう。その意気に免じて、可及的速やかに医者の元へは連れ――」

 急にセリフが途切れ、さくらの視線が一瞬宙に浮く。何を感知したのか、はっとした顔で身を起こしかけ、そこで彼女の動きは急停止した。

「ばっ!!」

 短い一言を残し、さくらは白目をむいて崩れ落ちた。床に投げ出されそうだった機関銃は、しかし何者かがすんでのところでキャッチし、発射も暴発もしなかった。かちっと安全装置をかける音だけが、小さく響いた。

 だらしなく床にのびてしまった尋問者を、真知は頭空っぽのままでただ見つめていた。ばかな、とか言おうとしたんやろうなあ、などとぼんやり考えていると、しゅっしゅっと手際よくロープをカットする音が聞こえて、途端に自分の体が前のめりに倒れるのを自覚した。そのままさくらの背中の上にべちゃっと重なるところだったのを、ギリギリでしっかりした腕にホールドされる。

「立てますか、先輩?」

 耳元で声が聞こえた途端、すぐ脇で小柄な少女が自分を支えてくれているのに気づく。ちょっと不思議な感覚だった。突然現れた、という感じは全然しないのに、これまでそこにその娘がいることを全く意識できていなかったのだ。

 真知は相手の顔を見た。よく知ってる顔。評議会の仲間だ。確か中等部二年で、名前は――

「えっと……あんたは……」

「また忘れてるんですねっ。もう、何回言ったら憶えてくれるんですか! 私の名前は――」

 なんか割合最近にもこういうことあったなあ、と一抹の申し訳なさを覚えつつ、それでもその名前は奇妙なほどに頭に残らなかった。ああ、そう、この子だ。えっと、くのいち五号? それとも五十五号だっけ?

「んー、救援、呼んで、くれたんかな? ありがと。他のみんなは――」

「いえ、私一人です。まだ敵地の中ですから、急いでずらかりますよ」

 まだ真っ白な状態から復帰しきれていなかった頭が、その途端に覚醒した。

「え、一人? 一人って――」

 ようやくにして真知は、室内の全体図を視界に入れ、唖然とする。土間に直接ベンチをいくつか並べただけのその古い待合室の中で、立っているのは真知とその娘だけだった。評議会のメンバーは誰もおらず、なのに、そこに五人いた敵方の人間、さくらと大歩と、その親衛隊の娘たち三人まで、ことごとく床の上に倒れ伏している。

「へ!? ちょっ、これって――」

 真知の動揺を即座に汲んで、ああ、とそのくのいちは小さく手を挙げた。

「大丈夫、軽く失神しているだけです。後遺症も残りませんので」

「はい!? そ、そんなこと、どうやって!?」

「え? そうか、先輩はハリセン専門でしたっけ。秘伝ってほどでもないんですけど、うちに伝わる技なんです。首の根元の神経を、こう、ぐっとつかんでですね、昏倒させられるという。なんでも〝スポックつかみ〟って名前らしいんですけど――」

「いや、あの、それはそれですごいんだけど、そうじゃなくて……あ、あんたいったい、どうやってこいつらに騒がれもせんと――」

「そうなんですよ!」

 急に娘がいきり立った。よく言ってくれました、という顔で、ばたばたとニワトリのように手も振りながら、

「ほんっとに失礼ですよね、聖泉の人たちって! 私、先輩が拉致られた時に、車のてっぺんに張り付いて、上からガンガン天板叩きまくってたんですけど、全然停まってもくれなくて」

 そりゃ停まりはしないだろう。が、張り付いてた? 天板叩いて? 

「一度カーブで振り落とされたんで(ええっ!?)、走って何とか追いついたんですよ。でも、着いたと思ったらまたどっかに行きそうだったんで、仕方ないからこのライフルの人と一緒に車の中に乗り込んだんです(はいぃぃ!?)、さすがに無断乗車は悪いと思ったらから丁寧に挨拶したんですけど、誰も返事もしないし、それどころか完全無視しやがるんです(…………)。とりあえずついていって、この部屋の中にもずっといましたし(…………うそ)、ひどいことは止めてくださいって、何回も訴えたんですけど、。あんまりじゃありません? ちょっと顔に落書きして帰ろうかな」

「あっ、いやっ、ちょっと! わかった、あの、うん、あ、あんたの――」

「xxxxです」

「そう、xxxxちゃんの気持ちはよく分かったから! でも、一刻も早くここ出ないと!」

「まあそれがセオリーですよね。でも、このお姉さんにはお灸の一つも据えてやらないとダメだと思います。構いませんよね?」

 涼しい顔でさくらを指さすくのいち五十五号(仮名)。刹那、真知は底なしの恐怖感に捕らわれた。あの伝説のブラッディ・チェリー血まみれ桜と顔を合わせ、一生ものになりそうな蹂躙を受け、屈辱を味わわされて、彼我の力量差をいやというほど実感したけれども、この娘はそのさくらを、さも赤子の手をねじるがごとく、余裕で無力化してしまっている! その上、置き土産って!?

 もしかするとこの子って、とんでもない怪物キャラやったりするんか!?

 なかば連鎖的に、おどろおどろしい妄想シーンを脳裏で展開してしまった。聖泉学院の深部、魔女の巣窟のような一室で、黒装束のさくらが鏡に向かってつぶやいている場面だ。

 ――鏡よ鏡、この世でいちばん凄腕のエージェントは誰?

 しばしの沈黙の後、鏡が答える。

 ――それは……それは……ええと、少なくともあなたではなくて……

 きりっと眉を逆立てるさくら。しかしその瞬間鏡は粉みじんに割れ、立っていたさくらは綿ぼこりのように吹き飛び、くのいち五十五号(仮名)がギザギザの鏡面の中からぬっと現れ出て、ヒステリックにこう叫ぶのだ。

 ――また忘れてるっ! 私の名前は――

「先輩? 行きますよ?」

 娘の声で真知は物思いから引き戻された。途端、夢から覚めた直後みたいに、寸前までの色んな記憶が急速に薄れていくような感覚に襲われる。

 あかん、まずい、このことは忘れるわけにはいかんのやっ、と心中もがきつつも、気がついたら真知は、顔見知りのくのいちに気遣われながら、さびれた道をひたすらに急いでいる自分自身を、どこか他人のような視点で眺めるばかりなのであった。


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