2−8
真知が、絶体絶命のピンチをいやというほど味わっていたちょうどのその時、翔雄は或摩駅北西部の、観光客が活発に行き来する裏通りのカフェテリアにいた。
なんでそんなところにいたのかというと、祖父との直接会見のためである。
そもそもは朝一番で現れたセシルが、奈良北部の地下深くで異常な地磁気変動を観測、とかなんとか、地学オタの翔雄がむしゃぶりつきそうなことを口走ったのが始まりだった。さらには、その件は峰間学園長に直接口頭で極秘報告せんとあかんかったんや、などとセシルが今更なことを言い、でもそんなことを聞いてしまった以上翔雄ははっきりとその件を正面から大伍に確認したい気分で、話がちょっと面倒なことになりかけた時、杏が一案を出した。
「要は不可抗力でセシルさんの情報を我々が聞いてしまった、ということにすればいいんです。というわけで、これから中心街へ三人でお出かけしましょう!」
何が「というわけで」なのかはわからないが、まあ切れ者の杏なら悪いようにはすまい、と翔雄もセシルも考えて、言われるままに偽装デート外出することになった。設定は、杏の一存で「軽い気持ちで遊びに出た高校生Aとその女友達(彼女未満)とAの妹(ただし血はつながっていない)」ということに決められた。
すぐさまてくてくと揃って徒歩で宿屋を出て、これまた言われるままに杏のプッシュした商店街の端の、古株食堂店が三代目になってリニューアルした感じの小じゃれたカフェテリアに腰を落ち着けた。道路にテーブルを二つ三つ置いて開放的な作りにしている、パリなんかのカフェを模したイメージで、小さいながらも粋な感じの清新な店だ。さやさやと朝の秋風に吹かれつつ、店外の露天テーブルで陽光を浴びていると、確かにそれだけでなんとも言えない幸福感に満たされそうだった。
が、どうも雰囲気がおかしい。
「えーと、衛倉?」
三人分の注文を終えた翔雄が、やや戸惑い気味に杏へ問いかける。宿を出て以来、杏・セシルとも妙に物静かで、丸テーブルをきっちり三等分する間隔で着席している今も、気のせいか場に緊張感がみなぎっているような気がしてならない。
「その、この後の段取りをどうするのか、そろそろ聞かせて……って、なんでそんなに固くなってるんだ、二人とも?」
「……ちょっと迂闊でした」
表情を抑えた顔で杏が呟いた。さっそくプランに破綻が生じたのかと思って、小難しい顔で問い返す。
「何が?」
「血がつながっていない方が色々と話が転がって有利と思ったんですけど、シナリオの解釈に齟齬が生じていたようで――」
つい首を傾げてしまう。宿の玄関からこのカフェに至る道々、〝義理の兄妹〟を愚直なまでにリアルに演じて、再婚家庭の連れ子同士らしく未だ無用な緊張感の解けない距離感を保ち続けた翔雄である。我ながら、悪くない役者ぶりだったと思う。杏とは体を接することはもちろん半径一メートル以内に近づくことも避け、こちらから話を振ることも徹底して控えた。翔雄の見知っているその手の何件かの家が、実際にそういう空気だったからだ。
「? 何の話? あれ、義理の妹との空気感ってこんな感じでよかったんだよね? 僕のアクション、何が不自然なところあった?」
「……いえ」
「そう? いや、杏の作戦に支障が出てなかったらいいんだけど。で――」
「いやいや、やっぱりおかしいで!」
今度は急にセシルが声を上げて、テーブルをどんと叩く。翔雄はただ面食らった。
「な、何が?」
「『女友達(彼女未満)』って! 未満って何よ、未満って!? 否定せんでええやん! そこらへん、曖昧にしときたかったんやったら、せめて『ガールフレンド』とか書かれんかったんかいな!?」
こっちもシナリオ絡みの異議申し立てである。なんだかひどくつまらないことを抗議しているようにも見えるのだけど、もとより杏のプラン自体、翔雄には不可解の塊だから、自分には不案内な分野でセシルが深刻な問題点を指摘しているのかもしれないと考えると、うかつなことは言えない。
実際、杏はひどく大真面目な、熟練映画監督のような冷静な視線で、
「そこはいいのです。むしろ、これからの出世の可能性を認めているのですから、感謝してもらいたいものですが」
「何なん、恩着せがましい! だいたい、彼女未満が義理の妹とくっついて遊びに出かけるって、どういうシチュエーションなんよ! 調子狂うわ!」
「余計なこと考えないで、彼女未満は彼女未満らしく、滑りっぱなしの空虚な会話を振りまくるとかしてくれれば、……」
杏が途中で言葉を呑みこんだ。余計な本音を言ってしまった、みたいな苦みを無理やりと言う感じで顔の裏にしまいこみ、まっさらに表情を消して、形だけ浅く会釈する。
「失礼。元より、役の割り振りに大した意味はありませんので、お気になさらず。では、改めてこれから学園長に連絡――」
「ちょっと待たんかーい! 滑りっぱなしの空虚な会話って何やねん! あんた、やっぱりうちを当て馬役とかにするつもりやったんやろ!」
「いやいやいや、そんなわけないじゃないですかあ」
杏が驚いた顔で、慌てたようにぶるんぶるんと手を振った。かわいく目を見開いて、妙に人好きのする淡い笑みを浮かべ、挙動はいっそコミカルと言ってもいい。はっきり言って、「はい、図星です」と肯定しているようなものである。
「ですから、設定なんてただのアクセサリーなんですから――」
「やったら、今からでも差し替えてもらおうやんかっ。うちは高校生Aの三年来の彼女! これでええやろ?」
「そ、そ、それは! だいたいセシルさん、私たちと会ったのってたかだか一か月前でしょう?」
「役柄なんてアクセサリーなんやからええねん」
「いけません! いくらなんでも不自然さが露骨に――」
「ほなら、うちも高校生Aと血のつながってへん家族になる! 最近一緒になった義理の姉ってことで。これでどないや!」
「はいぃぃぃ? それって、私と実の姉妹ってことですか?」
「いやそこは、ひとつ前の再婚で一緒になってた、やはり血のつながってへん連れ子同士ってことで」
「ひとつ前の再婚って何ですか!? いつからそんなややこしい血縁関係に――」
「ええやんか。これで平等やろ? それとも、うちとあんたで平等な立場になるの、そんなに都合が悪いんか?」
「ううううう、そ、それは……」
「話は済んだ? 何がどうなろうと、どうでもいいけどさ」
運ばれてきたサンドイッチセットをつまみながら翔雄が尋ねた。視線を二人の背後の空間にぼんやり投げかけながら、ちょっと虚ろな表情である。
女性二人と同行しているのだから、この手の意味不明な会話が発生するのは計算のうちだった。とは言え、疲れた顔を隠してやるほど気を遣うことでもないだろうとの気分もあったので、いささか他人事っぽい響きになっていたかも知れない。
同じタイミングで翔雄に何かを言いかけた二人が、揃って口をつぐみ、顔を見合わせ、もう一度翔雄を見、同時にため息をついた。
「ああ……今、天からの声を聞いた気がしました……効果がないとわかってる作戦に魂を注ぎ込むのは、人生の浪費以外の何ものでもないと」
「奇遇やな。うちも今おんなじような悟りを開いたところや」
「そう? まあ、意見の一致を見たのはいいことだけど」
会話の中身はどこまでも意味不明なんで、せめてもの誠意で大真面目に頷いてやる。二人はなおもなんだか不満そうな色を浮かべ続けていたけれども、昨晩の経験で翔雄は女の子の心理の把握にすっかり自信をなくしていて、今はもうあれこれムダな推測をする意欲も失せ切っている。よくわからんことは棚上げしておくに限る。
「で、話を戻すけど、衛倉の作戦って」
感情のこもらない声で先を促す。ようやく気を取り直したらしい杏が、ああ、そうですね、と頷き、
「……ええとですね、今から一旦私と議長が席を外して、ここにセシルさんだけ残ります」
「うん」
「で、セシルさんは一人テーブルで、学園長に口頭報告する内容を、ここで小さな声で予行練習をします」
「ほう」
「練習に夢中になっているセシルさんの姿を、たまたまこのへんを通りかかった我々が見つけ、たまたまセリフを全部聞いてしまう、というそういうシナリオで」
「なるほど。完璧なプランだな。だが――」
「どこがやねん!」
すかさず鋭いツッコミを入れるセシルであった。
「何やねん、それ! 練習って! うちをアホにしてるんか? あんな短い文、練習せんでも言えたがな!」
「ま、そこは大物に面談するんで、緊張のあまりつい数回だけ口走ってみた、とかそんな感じで」
杏が世慣れた風に演出案を提示する。セシルはなおも頑強に、
「それにしたって、こんなとこで極秘メッセージを声に出すなんて、情報部にあるまじき行動やないの!」
「確かにねえ。でも、今朝はそのあるまじき行動で、そもそも下っ端の我々が情報を知ってしまったんですからねえ」
「ぬっ……ぬうううう」
自ら墓穴を掘る形になって、セシルは歯ぎしりしながら悔しがる。杏はしばしドヤ顔を輝かせ、しかしすぐに翔雄に向き直ると、
「えっと、議長、今何か言いかけました?」
「ん? ああ。悪くないプランだけど、その通りには実行できないんじゃないかなって」
「え、それはどうして」
「だって」
言いかけた翔雄のベルトで、不意に通信端末が震えた。緊急の直接通話を求める振動パターンに、鋭く表情を引き締めると急いでインカムのスイッチを入れる。
「蓮か? どうした?」
『ああ、あまりよくない知らせだけど。少し前から真知からの報告が途絶えててね』
「ええ? しょうがないな。また調子こいてそのへんで火遊びみたいなことしてるんじゃないのか」
『俺もそう思ったんだけど、確認したら、十分以上前から追跡記録も止まってるんだよ。有体に言えば、消息不明だ』
「何っ!?」
で、その当人はと言うと。
「いやあああああ~っ、やめてぇ~~っ!」
一つ前のシーンよりも数段本気度の上がった声で、捕らわれのヒロインの配役にドはまり中であった。
ところはこの手の場面でのお約束とも言えそうな、人気のないあばら家。もとはバスの停留所を兼ねた小さな雑貨屋か何かだったのだろうが、今は路線がなくなったのか、廃屋として放置されているようだ。屋内はほとんどが土間になっているが、入り口や窓はガラスサッシで、締め切れば声もあまり漏れない。それ以前に、付近は人家もなく、藪に囲われていて、助けを呼べそうな環境にない。
まさに絵に描いたようなヤバい場所である。
で、そのヤバい屋内の奥の壁の手前には、武骨な鋼材がエックス型に組まれていて、天井から床まで大きなばってん印がはまり込んでいた。壁面に沿う形で簡易鉄骨の縦横の構造材を補強する目的で斜めに渡した、いわゆる筋交い材である。壁がベニア板の安普請なもので、鋼材はむき出しの状態になっており、壁と十センチぐらいの間隔を空けて浮き出た形になっている。
何しろ家の骨組みを支える鉄骨だから、固定は完璧。少々の荷重をかけてもびくともしない。
もちろん、人間一人ロープでXハリツケにする支柱としてなら、全く問題なく機能してくれる。
というわけで。
「お~ね~が~い~、やめて~っ、助けて~~!!」
我ながら芸のないセリフだなと思うセリフを、真知はひたすら哀れっぽく繰り返していた。だがもちろん、その訴えが相手の慈悲心に届いている様子など微塵もない。いや、真知をハリツケにしたその作業員たちは、憐憫交じりのドン引きの目で部屋の隅から見守ってくれているのだけど、今この場を支配しているのは彼女たちでもなく、もちろん見えないふり聞こえないふりで傍らに突っ立っている大歩でもない。
「そうそう、そんな風にありのままに恐怖心を解き放つ捕虜がいちばんね。私は好きよ。そのままぺらぺらと訊いてもいない情報をダダ流ししてくれたら、もっと好き」
おなじみの黒い凶器をこれみよがしに構え、銃口を真知に向けながら、さくらが口元をほころばせる。変にギラギラした目だったり、舌なめずりしながらみたいな表情を見せたりしないだけ、却って凄みがある。手段と目的を決して取り違えることのない、まさに冷静沈着な尋問官の姿勢そのもの。
ではあるけれども。
「さあ、5.56mmの着弾をその身で体験したくなければ、全部喋りなさい! お前たちの戦略目標は何!? 滝多緒がこの地で得ようとしているものは何!? 昨日の余裕かました潜入で、いったい何をするつもりだったの!?」
「だ~か~らぁぁぁぁ!」
もう何度目になるかわからない答えを真知は繰り返した。
「さ、作戦の目的なんて、うちは知りましぇ~~ん! 昨日のあれは、ただ、カエルを取り返したかっただけでぇ」
「まだそのような世迷いごとを!」
さくらが引き金を引いた。真知の顔の左側十センチほどの距離でばしゅっと銃弾がべニアを貫き、微細な木っ端が耳と頬に散ったのを感じる。最初は三十センチの距離で、さっきは二十センチ、どんどん近づいてくる。まだ血が流れる事態ではないが、弾の擦過音は結構な衝撃で、ほとんど耳元を狙われているも同然の感覚。
生きた心地もしない――という段階はとうに過ぎている。この場面で未だにチビッていないのが、奇跡にすら思える。
「ひいぃぃぃぃっ、も、もう、いやあ~~っっっ!」
「ふん、道化ていても戦略評議会の名は伊達ではないということか。簡単に機密を漏らしたりはしないのだな」
「いやっ、だからっ、これ、誓って全部ほんとう――」
「いいだろうっ、認めてやろうっ! 貴様こそ真の情報部員! だが、私とて〝或摩の血まみれ桜〟の異名をとる女! 情報の核心を得るためには、あえて貴様の体をボロ雑巾にしてくれる!」
「ちょっ、それっ、シャレにならへんからやめてぇ!」
「私もシャレは嫌いだぁ!」
ああ、と真知は全身から生気が抜けていくのを自覚した。絶望で目の前が真っ暗になる、というのはこういうことか。なんでこんなにも話が通じないのか。というか、そもそも人の話を全然聞いていない! さくらというこの女、腕は立つし頭も回るやり手幹部なのは間違いない。けれど――
捕虜尋問なんかには、ぜっっっったい向いてない! 真面目に脅迫を繰り返して、結局何の成果も得ないまま、みんな責め殺してしまう、そういう女だ。下手人としては最良の逸材だが、それは手綱をさばく優秀な上官がいてこそ。
こいつの上官って誰やねん!? 責任者出てこい! っていうか、出てきて! 今すぐ! お願いだから!
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