2−7


 どうやらさすがの柳堂大歩も、両刀遣いの道を極めるつもりはないらしい。というか、BLははっきりと苦手分野のようだ。もしかすると、真知を男と知ったとたん嫌悪の情をむき出しにしているのも、このへんの心理が絡んでいたりするのだろうか?

 ちょっとシラケたような間が空き、とりなすようにメガネ女が咳払いした。

「こほん。ええと、話をまとめると、ですね……つまりボスは、この子の女っぷりは認めるけれど、その一方で、自分を口説きにきたのは許せない、と?」

「そ、そうだ」

 なんとなく裁判のような空気になってきた。マスカラ目のロリ女が、こちらも大いに生真面目な口調になって、

「で、この後は? どう落とし前付けさせるつもり? そういう話やったら、私らとしては別にこの子に腹立てる理由ないし、二人で話し合ってとしか言いようがないんやけど?」

「ってか、あんたとしてはどうなんよ、なんか反論あるん?」

 成り行き上、真知の半身を抱く形になっていたロングヘアが肩口を叩いて促した。まるで弁護人である。でもこの空気は悪くない。このまま何もかもうやむやにして、お互いの言い分は尊重しつつ、いったん引き分けってことにできれば。何も失ったものなんてなかったんだし……。

 いや、ちょっと待て。

 何も、失ってない? 昨日のアレってそんなに緩い勝負だった? あの戦いって、うちが男の体やからっていっぺんになかったことになるような、そんなふわふわしたものやった?

 って言うか、この男は多少プライド傷ついただけで済んだんかも知れへんけど、うちの方はこいつをオトすために、それはそれは大事なもんを――

「ほんまに……オンナの……気持ちもろくに知らんと……」

 急に怨念の吹き溜まりのような声が真知の口から流れてきたんで、三人の女がぎょっと身じろぎした。が、真知自身も少なからず驚いていた。あれ、こんな本気で恨みごとぶちまけるつもりやなかったんやけど、なんか自分、抑えが利かなくなってる?

「或摩一のジゴロが、笑わせるわっ。あんた、自分の相手が何賭けとったかも、ろくに知らんままやったんか! うちの……うちの……を、いけしゃあしゃあとかっさらっといて……」

「ちょ、ちょっと、あんた?」

 ロングヘアに軽く揺さぶられた途端、大粒の雫が目からぽろぽろ落下したもんだから、真知はさらに度肝を抜かれた。うわ、どうしたん、自分? 昨日のアレってここまで心の傷やったん? ああ、そうかも知れへん。そうや、アレが大きなショックやったんや。そう思うたら全部説明がつく。

 もう、いい。こうなったら、全面的に泣き落としで行こ。今のこの気分やったら、多分、演技抜きで行くところまで行けそう――

「ひ、人を、ただの憂さ晴らしで逆ナン遊びしてる女みたいに!……うちは、真剣やったんよっ。あ、あんなんかて……は、初めて、やったのにっ!」

 思い切ってそのひとことを口に出したら、思ったより数段強烈なブーメランになって帰ってきた。もう演技と本気の区別も全然わからなくなって、真知は本格的にぽろぽろ泣き始めた。

 そう、真知は昨日の晩、一つだけ嘘をついていた。大歩との勝負は「何も許さずに」済んだものではなかったのだ。真知自身は作戦遂行上の許容範囲として割り切ったつもりだったが、半日の間、誰にも言えずにずっと抱えていた心の鬱屈は、想像以上に根深いものだったようだ。

「あんたは、あんたには、ろくに、記憶にも、残らんかったんやろうけど! うちは、うちは今まで誰にも……ずっと守って……きたのに……」

 さすがにこの話の流れにはマズいものを感じたらしい。マスカラ女が噛みつくように言った。

「ちょっと、大歩さん、この子に何やったんよ!?」

「えっ!? いや、そんな、泣かれるようなことは何も」

 すかさずメガネ女が突っ込む。

「『泣かれるようなことは』って、じゃあ泣かれない程度のことはしたんですか!? っていうか、そういう返答は自身の鈍さをさらけ出すという意味で、却ってマイナス評価だと思いますがっ?」

「そそそ、そう言われても……おい湯塩真知、いったい何の話だ?」

「…………胸のボタン、外して……少し、ずらして」

 いったん女たちが顔を見合わせ、ロングヘアが言われた通りワンピースの胸元を開けて鎖骨が見える程度に襟ぐりをずらす。最初にマスカラ女が「わあ」と気の抜けた声を上げた。

 右の鎖骨の少し下、バストの豊かな女なら胸の隆起が始まりそうな辺りに、鮮やかなキスマークが一つ、くっきりと残っていた。大歩の女ならみな、それがどんな行為だったかありありと想像できそうな、形と色合いを保った状態で。

「うわあ、とってもぉ、とっても、きれいな、キスマークぅぅ(棒読み)。大ちゃん、これに記憶は?」

「あ、お、憶えてる……けど……た、ただのキスマークじゃないか。それも、鎖骨に軽くってぐらいの……え、待て、まさか、こんなのが初めてだったってのか!?」

 ちょっと恨みがましそうに大歩をひとにらみするも、急に恥ずかしさがこみあげてきてうつむきながら真知が頷く。ハニートラッパーを気取っていた情報機関の幹部が、実は体にキス一つ受けたことがないなんて、自分でもあんまりだと思う。案の定、大歩は、はっと鼻で笑って、

「いや、いやいやいや、か、カマトトぶるのもほどほどにしとけよ。って言うか、その程度の経験値だったのに、俺と真っ向勝負しようとしてたのかい?」

 少なからずビビっていた状態から少し立ち直って、大歩が一息ついた。いくらか後ろ暗そうな気分をにじませつつも、そそくさとキザなスケコマシの外見を取り繕い、吐き捨てるように言った。

「情報機関が聞いてあきれる。悪いことは言わない。滝多緒に帰んなよ。んで、もう二度と男を口説こうなんて思うな」

 いつもならその程度、倍にして言い返すなり聞き流すなりできたはずだった。でも、やはりどこかでメンタルが弱くなっていたのだろう、一言も口にできないまま、肩を震わせて真知は涙を滴らせた。もうこのままどこか或摩の片隅に投げ捨ててほしいとさえ思った。けれども、そんなふうに必死で声を殺して自己陶酔に徹したのが正解だったようだ。ずっとやり取りを聞いていたロングヘア女が、毅然として大歩に反論した。

「大ちゃん、そういう言い方ってないと思う。だいたい、そんなカマトト相手に昨日負けたんやろ? 自分で自分の首絞めとるってわかってんの?」

 大歩が露骨に嫌そうな顔をした気配があった。それは指摘されるまでもなくわかり切っていたことだけれど、自分の女たちならそこをチクチク突いてきたりはしないとの甘えがあったのか。

「う、それを言われると……」

「それに、滝多緒って或摩よりずっとちっちゃいとこなんやろ? この子の組織って弱小なんやろ? たまたまそんなところでこんな特技持ってもうたから、体張ってここまでがんばってるんやないの。健気や思わへんの? おんなじようなことやってる聖泉のシッコウ幹部として、他に言葉はないんかいなっ?」

 なんだか誤解が一周して、今度はすごく可哀想なキャラに祭り上げられてるような感じがする。もう少しで、いやそこは、と言葉を挟みそうになったけれども、せっかくだからこのまま味方になってもらうことにする。

「ええ? そ、そういう言い方をされると、まるで俺が悪者みたいな」

「悪者やん、はっきりと」

「そやそや、やっぱりこういう形で女の子泣かしたらあかんわ」

「『女の子』認定済みかよっ? いいのか、それで!?」

「いやもう、今更でしょう。とにかく泣かせたら負けです。ジゴロなんですから、そこはいさぎよく認めていただかないと」

 他の女たちもやいやいと加勢してきて、大歩もすっかり戦意を喪失してしまったようだ。もう一度ひと演説噛まそうとして、でも今度は言葉が出てこなかったようで、しばらく頭をがりがり掻いてから、とうとう投げやりな一言を言い放った。

「ああ、もうわかった! もういいよ! 俺の方もなんか見込み違いがあったようだし……とりあえず、今日のところは水入りにしよう!」

「帰したるん、この子?」

「帰れ帰れ。その代わり、今度会った時は手加減なしで……じゃない、女の子扱いなんかしないからな! 今は一旦勘弁しといてやる。命拾いしたな、湯塩真知」

 おおおー、と狭い車内で拍手が湧き起こる。結構精神的にはズタボロなんだけど……とりあえず助かったようだ。

 実のところ、昨日のアレは本当の意味で口説き合い一本勝負と言うようなものではなかった。途中までは余裕かましていた真知だったが、それまで相手してきた男たちとは段違いの経験値を有する大歩に次第に押され気味になり、最後の方になると、いかにしてその場から離脱するか、その段取りしか考えられなくなっていた。

 結果、半ば捨て身の気分で胸元へのキスを許しつつ、隙を見てこちらからも首筋に唇をつける振りをして頸動脈を適度に圧迫し、一時的にくたばってもらった、というのが真相だったのである。真知からすると、あれはもう口説き合いと言うよりは近接格闘の一種だった。

 プライドの高い色事師が、昨日の勝負の純粋な恋愛遊戯ではなかった部分について不服を言い立ててきたのかと思ったりもしたのだけど、大歩は今に至るまで、自分が意識喪失したのは幸せなペッティングに溺れた結果と受け止めているようで、そこだけは幸いだった。ただ、真知の認識では、実質口説き合いで負けていたのを強硬策で逃げたようなものなんで、少しばかり後ろめたい気がしないでもない。

(まあでも、なんとか結果オーライ……かな?)

 顔を上げ、四人の顔を見回すと、存外車内は平和的な空気に満ちている。ようやく安堵の気分が形になってきて、口元を笑みの形に緩めようとした。と、その時。

 助手席のウィンドウがこんこんとノックされた。返事の間もなく、すぐ後ろのスライドドアが外から引き開けられる。無遠慮な侵入者へ大歩が何かを叫びかけ、けれどもその何かは途端に素っ頓狂な声へ化けた。

「お、お前!? なんでここに」

「そっちの用件は済みましたの? 敵味方を超えた友情が深められてよろしかったですわね」

 聞いたことのない声で、真知はいっぺんで身をこわばらせた。丁寧な物言いの中に猛毒入りのトゲがびっしりこめられている、一声でろくでもない相手だと知れる響きだ。ついさっき女たちに拉致られた時などとは別次元の恐怖感である。

 慌てて振り返った真知の鼻先に、何か黒い棒みたいなものが突き付けられ、一瞬で石化した。銃口である。アサルトライフルである。しかも、常識的にはモデルガンであるはずのその物体には、どこにもプラスチックパーツの接合部などは見当たらず、あろうことか先端からは、微かに硝煙の匂いさえしているではないかっ。

「用が済んだんなら、捕虜はこっちにもらいます。よろしいですわね?」

 つやつやした黒髪ロングの、多分真知と同年輩の相手が、長い銃身の向こうからやたらと凄みのある笑みを真知に注いでいる。なぜだか目に見えて大歩は慌てた。

「あ、いや、ええと、そういえば尋問とかにはまだ移ってなかったから、き、訊きたいことがあるんなら、俺の方で――」

「いえ、色々と事態が急展開しておりますし、せっかくここまで足を運んで参りましたので、私がやってしまった方が早いかと」

「しかし、何もそこまで――」

「五分とかかりませんわ」

 観念したように沈黙した大歩が、真知に顔を寄せると小声で囁きかけた。

「すまん、湯塩」

「な、何?」

「短かったが、俺はお前を恨んでたわけじゃないんだ。来世で会えたら、俺たち、少しは気楽なつきあいができるかもな」

 妙にさばさばした言い方に、真知は愕然とした。その仮定法未来形は何ですか? って、来世って何!?

「さくらに捕まったんなら百年目だ。成仏してくれ。俺に祟るなよ」

 唐突に真知は思い出す。今回の作戦前に、蓮がちらりと口にしたことがあったのだ。或摩には生ける怪談なるものがあるのだと。なんでも聖泉学院の敷地にはおどろおどろしい名前の怪樹があって、その下にはそんじょそこらの梶井基次郎など足元にも及ばないほどの銃殺体が埋まっているとかなんとか。

 しかして、その生ける怪談の名前とは!

「あ、あんた……ブラッディーチェリーっ!?」

「あらあ」

 ひときわ輝いた笑顔でさくらが真知に頷きかけた。純真そうな、何の罪悪感も窺わせない透明な顔。このまま何千人でも虐殺できそうな。

「光栄ですわ、その名前でお呼びいただけて。湯塩真知、でしたか? じゃああなたに対してはサービスで、極力手短に済ませて差し上げます」

 何を!? という問いは、とうとう出せないままだった。答えはあまりに明白であり、かつ絶対に聞きたくもない言葉だったからだ。



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