2−2
「や、やあ、奇遇やねえ……こ、こんなところで……会うなんて」
「…………」
宿の玄関まで出向いた翔雄は、能面のような面持ちでそのゲストへ視線を注いだ。台本を一方的に渡されて、とにかくこの通りのセリフをこの場面で喋れ、という命令を必死になってこなしてる新人スパイ――とか、テロップをつけたらしっくりきそうな醜態をさらしている娘が一人。これが本当に新人の初仕事とかなら手加減してやらないでもないけれど――。
曲がりなりにもセシルは、千津川観光学園対外情報室作戦部長、翔雄と同格の、スパイのリーダーなのだ。
「た、た、たまたまこっち方面に、よ、用事あって……えっと、こ、ここ探し出すの、大変やったんやから!」
支離滅裂である。そもそもそういうのは奇遇とは言わない、と冷静に指摘しようとして、翔雄は諦めた。というより、なんだか物悲しい。こんな、ライバル組織の学生トップと対面していちいちテンパるような娘だったか?
「昆野作戦部長、あの作戦では不本意なこともあったし、そちらも後になって色々言いたいことが出てきたかも知れないが、我々も忙しい。要件は手短に頼みます」
翔雄としては評議会議長として模範的な応じ方をしたつもりが、途端にセシルは雷にでも打たれたみたいに息を呑み、総身を硬直させて棒立ちになってしまった。
翔雄と、その場についてきた杏まで目をぱちぱちさせていると、セシルはじわっと顔をゆがめ、下唇をかみ、なんだかとっても恨みがましい上目遣いで翔雄を見つめてから、不意に。
「ううううぅぅぅぅぅ~~~~~っっっっ!」
すっごく不機嫌な四歳児そのまんまの挙動で、握りこぶしをわさわさと振り回しながら、地団太を踏み出した。
理由は全く不明ながら、こちらの対応にいたく不満であるということを、全身で表現したいらしい。
(…………こいつもか)
思わず天を仰ぐ翔雄。なぜここ半日ほどの間に、自分の周囲の女性(および自称女性)は、揃ってこんな駄々っ子のような行動を取るのか。何かこの地におかしな磁場でも……いや、さすがにこれは僕に原因が?
ちらりと横を見ると、杏は口元を手で押さえて、顔を真っ赤にしながら横を向いている。笑いをこらえているのではなく、恥ずかしさといたたまれなさに思わず目を伏せたくなって、という空気だ。昨夜の自分を鏡で見ているような気分にでもなったのだろうか。
うーん、どうしたらいいんだ? と内心で頭を抱えるも、この手の相手に一晩で妙案が生まれたりはしない。
「あー、いや、ごめん。……わざわざ来てくれたんだね。朝早くから、ご苦労様。……まあ、上がんなよ。積もる話もあるだろ? それか、何か大事な用?」
とりあえず下手に出ることにして、極力気さくなフレンドリーさを大幅増量し、
ふと、半身に悪寒を感じた気がして翔雄が傍らを振り返ると、今度は杏が異様に白目の割合が多くなってる視線で、翔雄とセシルの手元のあたりを見つめている。昨晩以降、彼女の心はまるで読めそうな気がしなくなってるが、今この場では「その手を放せっ」との黒い叫びを発しているのは間違いない。そんなにもライバル機関のトップに丁寧に接するのが苛立たしくなるものか? 著しい気疲れを隠しつつ、これも極力さりげなく、セシルの手を放して玄関横の応接セットのある場所を示してやった。
考え過ぎだろうか、気心は知り尽くしていると思ってきた仲間たちから、罪なき咎でひたすらに小突き回されているような感じだ。僕が一体何をした?
「ええと……まあ、楽にしてて。今、何か淹れて――」
こういう場面で、普段いちいち茶を出したりはしないのだけれど、いったん逃げを打つつもりで翔雄は踵を返した。とげとげしい雰囲気の杏と二人っきりにされてはたまらないと思ったのか、セシルは慌てて手を伸ばした。
「いやっ、あの、伝言が」
振り返ると、しまったという顔でセシルが自分の唇を指で押さえている。どうやら、もったいぶってから仰々しく引っ張り出すつもりだった用件を、あっさりさらけ出してしまったらしい。
「どちらから? ああ、
ここは押すべきだろうと、即座に空気を入れ替えて催促してやる。翔雄だってそうそう暇ではないのだ。
「え? ええとね……少し、待って、その……メモが、あれえ、どこに行ったのかなあ?」
「そう? じゃあ、コーヒー、豆挽いてじっくりドリップしてこようかなあ。二十分ぐらいはかかると思うんで――」
「リョーケタイナンタン部でチョーチョー周期のチデンイ変動発生!」
やけっぱちっぽい早口で、セシルが呪文のようなフレーズを一気に喋った。鋭く振り返る翔雄へ、にへら、と笑いかける。
「……て聞いてきたんやけど。何のことかわからへん。そんだけ言うたら通じるやろって……あ、しもた、これ、そっちの学園長に口頭で言えって命令やったんやけど――」
ひとまず用を済ませて肩の力が抜けた風なセシルの上半身に、翔雄の影が威圧するようにのしかかる。ぎょっとして顔を引きつらせる相手にまるで頓着せず、翔雄は腰を折ってアップで迫りながら、じっとりと念を押した。
「確かなのか?」
「え? え?」
「水枯さんがジジィに……口頭でその一言を伝えろと? わざわざ君を派遣して?」
「いや、あたしは、その、単なる」
「で、『領家帯南端部で超長周期の地電位変動発生』、と? 確かにそう言ったんだな!?」
或摩オータム、初日。
ニュースで報じられた通り、朝から異様な出来事が同時多発している温泉街だったが、その程度で一大イベントの日程が狂ったりはしない。椿事のせいで多少のざわつきこそあれ、秋晴れの太陽の下、オープニングセレモニーはにぎにぎしくかつ滞りなく執り行われた。
「或摩聖泉学院・卯場さくらです。イベント企画委員会より、委員長代理で一言ご挨拶を述べさせて――」
自身よりも華やかで大衆受けしそうなマイクの声を聞きながら、さくらは本部テントでテーブルに突っ伏していた。あの挨拶は、本当なら優理枝が行うべきもののはずだった。まさかの時は自分が。それでも念には念を入れたのが報われ、結果として窮地を救ったのは次々善の策。
最初から見通しておくべきだったのだ。そもそも優理枝がいなくなるケースが発生するなら、それは自分だって駆けずり回らなければならない非常時に決まってる。
つまり、対策を打つなら必然的に三人目が必要だったということだ。
「ええ影武者見つけてきたなあ」
「実物よりイケてるんちゃう?」
ローズ&マリーが感心したように、聖泉学園グラウンド特設野外ステージ上の偽さくらを眺めている。
ここまでの経過を思い出すと、何とも複雑な心境である。あれは演劇部に極秘で相談した折りのこと。試しにオーディションしてみると、さくらの物真似は三人の部員がそれなりにこなせたにもかかわらず、優理枝のコピーは誰にも出来なかったのだ。
(そりゃ、天然ゆるゆるのあの味を、演技で出すのは難しいのでしょうけれど)
優理枝より自分の方が代替が利きやすいという事実が、どうにも割り切れない。
「ローズ、マリー、不用心だから扉締めて」
扉と言うよりはのれんと言うべき垂れ幕を、双子は素直に下ろした。ついたてで囲っただけの狭い空間は、執行委員の隠れ休憩所である。案内書にも不掲載で、その筋以外は立入禁止の聖域――と言いながら、商工会やら旅館組合から直で差し入れなど届けられるのだから、翔雄達同様、さくら達も「公認の」裏組織と呼ぶべきだろうか。
「で、優理枝様は、まだ?」
「連絡入りませ~ん」
「目下格闘中~」
うなだれる気力すらなくして、さくらは腰かけたまま、ひたすらに虚空を眺めるのみである。
そう、香好優理枝は、今この場にはいなかった。
ドタキャンである。
敵前逃亡である。
フェスティバル開会四十分前に、主君の消息不明が判明した時は仰天した。今朝に限って、警護役を一時引き上げさせていたのが仇になって、足取りがすぐには追えなかった。ダブル替え玉で大騒ぎを収める算段が立った後に第二報が飛び込んできた時は、もっと仰天した。優理枝がロープウェイの或摩温泉駅に現れ、作業用ゴンドラを勝手に動かしているというのだ。大ムカデの蠢く支柱へ単身で乗り付けて、よだれが出そうな喜色満面の顔でじっくりまじまじと観察しているらしい。服装はもちろん式典用フォーマルドレスのまま。
急いで部下を走らせたけれども、ゴンドラは一台きり、地上から毒虫のたかる鉄柱によじ登れと命令できるわけでもなく(しても拒否されただろう)、香好家の姫様の気まぐれを、交通局員もレスキュー隊員もただ見守るしかできないとか。
十五分ほど前には、香好の技術部長宅へ優理枝が直通電話を入れ、ドローン及び各種薬剤やら飼育箱やらを手配するよう指示があった、との情報が入ってきた。これから何が起こるかほぼ正確な判断が出来るだけに、さくらは頭を抱えずにはいられなかった。
それにしても、何があの人をここまで駆り立てたのだろう。いくら何でも今回のこれは無責任すぎる。……いや、身近にこれだけの生物ネタハプニングが起これば、脊髄反射もやむを得ないか。となれば憎むべきは、これだけのバカバカしい仕掛けを一斉に働かせた――滝多緒の工作員ども。
証拠は挙がっていないが、さくらも執行委員会の面々も、朝から或摩を大混乱に陥れている事件の数々が、滝多緒の手によるものであることをほぼ確信していた。大ガエルの時は意味不明だったけれど、ここまで連発すればもう充分だ。奴らは或摩を徹底的にコケにするつもりだ。それも、優理枝様を道化回しの役に追い込むことで。
おのれ。もう許さぬ。
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