0−13
「で? どういうつもりだったのか、答えてもらおうか、峰間君!」
なおも正義の何とかみたいな空気をまとわりつかせたまま、砂鳥が翔雄の前で仁王立ちになっている。
鮮烈な親娘対面劇から少しばかり時間が経っていた。ダウンした鹿戸はバスの中で応急手当を受けている最中である。意外にも元千津川工作員みたいな過去が生きたようで、殴られ方を知っていたと見え、印象ほどひどいケガではないとのことだ。
砂鳥と翔雄の立ち位置はそれほど変化していない。チーム千津川の面々も同じような場所で推移を見守っている。松器や学園長、それに千津川の二輪クラブ員達も、事前のポジションのまま、状況をただ静観していた。
大きく違っているのは、滝多緒の評議会員、その女性メンバーたちだ。
セシルに起きた事態を把握した彼女らは、何のアイコンタクトもないまま次々にセシルの元へ歩み寄り、セシルを取り巻くように人垣を作り、無言でプロテストの意思を表明したのである。
この種の暴力は他人事ではないという危機感が、暗黙のうちに彼女らの心を結びつけたのだ――という感動ドキュメントめいた部分はさておくとして。
翔雄にとって問題なのは、そのど真ん中で旗を振っている人物であった。
「何考えてんの、ショウちゃん!」
本気の糾弾調で女性メンバーを束ねているのは、他でもない湯塩真知である。
「よりにもよってセシルを裸にひんむいて飢えたケダモノのエサにするなんて! うちらの世界でも、性の暴虐は許されへんねんで!」
「あの、そこまでエグい話やなかったと思うんやけど」
「あんたは黙ってなさいっ」
そう言って、自分と同じ背丈のセシルを子供みたいに抱きしめながら、女達ときっつーい非難の目を翔雄に浴びせかけるのだった。
翔雄はしばらく真知を眺め、次に、彼の傍らで依然座り込んだままの千津川カチコミ隊の面々と視線を合わせた。言葉は交わさなかったが、両者の間で共通の吹き出しコマが形成されているように見える、そんな光景だった。
「何なん!?」
「いや……」
何かを言いたそうだった翔雄は、結局言葉を飲み込んだようで、砂鳥へ正対する形に向きを変えた。
「水枯室長、あなたは、僕が鹿戸さんの耳元で伝えた言葉を、どんな内容のものと思っていらっしゃいます?」
「言い逃れする気か、峰間翔雄!」
一度入ったスイッチがなかなか切れそうにない砂鳥であった。
「具体的な言葉など知らぬ! だが、何度も言わせないでいただきたい! 悪人にとって、唯一の弱点は家族の安全! 貴様が、鹿戸唯一の家族である昆野をダシにして、何らかの脅迫を行ったことは、自明ではないか!」
「自明ではありません。その仮定からして間違ってます」
「何だとっ!?」
それまで、光り輝く背景エフェクトをずっと有効にしていた砂鳥が、急にundoをクリックして、素の画面へ戻ったような声で訊いた。
「間違ってるの?」
「はい」
「えーと、なんて言ったの?」
「こう言いました。『あなたが死を覚悟するのはいい。ですが、その結果、温泉の出ない温泉旅館になってもいいんですか』と」
「…………は?」
つまり。
温泉というものは、それなりの鉱物成分を含んだ湯脈を探し当て、それを汲み上げることで成立する。一度湧出が始まれば、そうそうむちゃな汲み方をしない限り、短期で枯れ果てることなどないものだが、地下水脈である以上、脈の上流側をいじることは可能で、水量を少なくしたり、全く出ないようにすることも、理論上は可能だ。
もちろん、普通ならそんなに自在なコントロールはかなり難しい。だが。
「この近辺の地層はそこそこわかりやすい構造で、新第三紀中新世の
「…………」
「もちろん、ある程度の予算と隠匿工作は必要です。でも、せいぜい百万少々で十億相当の旅館の妨害ができるんなら、安いもんでしょ?」
「…………」
「まあ遮断するのはあんまりとしても、湯脈の成分を色々操作して、旅館の成分表と違うから温泉法違反だとか、嫌がらせはいくらでも思いつきますよね? あ、レジオネラ菌なんかもいいな」
「…………」
「そんな泉質もガタガタで干からびて死に体になった旅館になってもいいんですかって尋ねたつもりなんですけど――」
ひゅう、と冷たい夜風が一同の襟元を冷やした。女生徒の中には、急に寒そうな素振りを見せる者も何人か見えた。
砂鳥は静かに翔雄から視線を外し、数メートル斜め後ろの峰間大伍を認めると、ゆったりした足取りで近づき、おもむろに――
「峰間さん」
「なんでしょうかな」
胸ぐらをつかんで激しく揺さぶり始めた。
「おたくではっ! いったいどういう教育をしてるんですかっ! どっからこんな邪悪な発想がっ! 学園ですか!? 家庭ですか!?」
「いやいや、お誉めに預かり、恐悦至極ですのう」
「誉めてませんっっっ!」
セシルを取り巻く人垣も、なんだか微妙に熱気が抜けてしまっていた。暑苦しく体を密着させていた真知は、黙ってセシルから離れると、とことこと翔雄の元へ歩み寄り、
「うち、信じてた。ショウちゃんのこと、信じてたで」
そう暖かく告白して、ぺたっと正面から抱きついた。翔雄はその肩だけに軽く手を置き、どこかぼんやりした目で、棒読みを返すのだった。
「ああうん、そう言ってくれると思っていたよ」
(なんかもう、ついていかれへん――)
急に疲れがどっと押し寄せてきたような気がして、セシルは軽いめまいを感じた。何もかもが混乱してる気がする。ぐちゃぐちゃになってるのは、協議の進行が、なのか、滝多緒の行動が、なのか、はたまたセシルの人生が、なのか。
十億相当の旅館。ついさっき翔雄はそう言った。そして、その旅館を鹿戸は、遺産として残すためだけにずっと突っ張り続けて来たのだと言う。生き別れた一人娘に。セシルに。
なんでそんな思いつきになるのか、と思う。なんでそんなことに命を張るのか、とも思う。けれども、ここに至っていちばんセシルが思うことはただ一つ――
なんであたしなんかのために。
物心ついた時は、もう両親ともいなかった。
育ててくれた母方の叔父叔母は、セシルが中学に上がる時、過去の経緯を語ってくれた。父親は出奔のような形で千津川を出、母親は離婚手続きの後、その二年後に自殺。だが父親が迎えに来ることはなく、子のいなかった養父母が引き取る形となったのだと。その後、養育費だけはずっと仕送りを受けている、とも聞いた。特に感慨はなく、そんなものかと思った。最初から目の前にいない人のことなど、ドラマの中の話と同じだ。中学から寮生活だったから、肉親の絆のことを深く考えずに済んだせいもあるかも知れない。
だから、今日のこの任務が降りてきた時も、特に気負いはなかった。同情の余地もない犯罪人に報いをくれてやる仕事だ、と思っていた。養父母の配慮により、幼稚園からずっと変名で通している。鹿戸に向けて身を晒しても、気持ちが揺らぐことはない、と思っていた。
ところが、仕事の数日前、鹿戸から貰い受けていた養育費の額を改めて聞く機会があって、さすがに心がざわついた。自暴自棄になった人間のクズが十七年間も用立て続けてきたにしては、その額は大き過ぎた。それほどまでにボロ儲けをしていたのか? いや、違う。「やまもみじ」は今も昔も借財まみれだ。
いったいこの男はなんなんだ、と思った。そう、今日初めて面を突き合わせた時、セシルは本当はそう訊きたかったのだ。今までこんなところで何をしてきたんだ。顔一つ見に来るわけじゃない、手紙一つ書くわけじゃない、なのに娘を溺愛しているかのような行動を、本人の知らないところで十何年も。あんたは何のつもりなんだ、と。
けれども、むろん仕事中にそんな会話が出来るものではないし、仕事が仕事である。警察に引き渡す前後にでも、あくまで他人の顔で探りを入れてみよう、と考えていた。事情を知っているのは室長だけのはず。作戦部長の立場で、部下にも気づかれない形で身の上話の一つ二つぐらいできるはず、そう思っていた。
思っていたのに。
それから半日も経たない、今のこの状況は何なんだっ。
もはや、生き別れた親娘の間での積もる話とか、そんなものから語り合う状況じゃない。遺産? 相続? 旅館を丸ごと?
どこの二時間サスペンスですか、と聞いて回りたい気分である。と言うか、このままだとあたし、殺される?
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