巫 諏訪野美琴と過ごす日常

諏訪野美琴

第1話

自分の人生が強烈に誰かの未来を変えるなら、それにかけるのも悪くないと思うんだ。

そもそも今ある自分の存在自体、過去の存在に託された未来なのだから。


私がそう認識するようになるまで、一体どれくらいの時間を必要としたのだろうか…。

あきらかに非日常が、日常になる。

それを受け入れなければならなかった。


私、諏訪野美琴が見る世界は他のどんな小説よりも出来すぎていて、創られた物語だとするならば、私はその中で生きるのも悪くないと思うようになっていた。

その物語の中であるなら、私の心は自由でいられたから。


どんなに虐げられた過去も、苦しい絶望の日々も乗り越えられた。

トラウマという言葉があるなら、人はどのくらいトラウマとなるような出来事が積み重なったら壊れるのだろうか?


一つで充分崩壊してしまう事柄を、私は何重も課せられてきた。

逆に、なぜ壊れなかったのだろうかとすら思う。

なぜ極限の状態で擦り切れそうになりながらも、乗り越えられたのだろうか。


いや、乗り越えたのではなく、記憶から消してきたのだ。

私の存在は、誰にも見えないものだと思い込んでいた。

それがまさしく、私という人間に相応しい言葉だった。


記憶の彼方で笑いかける存在も、目があった瞬間に溶けてゆく。

甘い甘いアイスクリームのように、ドロドロとなった想いに溺れていく様な、そんな夢ばかりを見た。

愛情というものを知らず、むしろ飢えていたはずなのに、これでもかこれでもかとコップに注がれる愛情は、溢れる直前の表面張力のよう張り詰めていた。


「美琴、美琴!」

突然電話の向こうで、ただならぬ緊迫した声が聞こえた。


「大丈夫か!?」

私は何が起きたのだろうかと、逆に不安になる。


「ごめん…なんかあった?」


「気づいたなら、大丈夫だ…」

大きなため息とともに、安堵したような声が聞こえた。




俺、是宮将征が諏訪野美琴と知り合ってから、もうすでに5年の月日が流れようとしていた。

時折、前世がどうの、怖い体験をしたのどうのという美琴の話は、はっきり言って興味がなかったしどうでも良かった。

スピリチュアルな世界に憧れ、傾倒しているんだろうな程度の認識しかなかった。


自分はリアルに生きる事で精一杯だったし、目に見えない世界に怯える事自体、馬鹿げていると思っていた。

何より生活に必要のないムダなものは、全て切り捨てるような生き方をしていた。


そんな自分にとって、美琴は真逆の存在だった。

真逆だからこそ気が合うのかもしれないし、真逆だからこそ刺激もあり、それ以上に一緒にいて心地よかった。


俺は周りとの関係性を極度に割り切り、仕事をしていた。

その中で己という存在は必要としなかった。

ただただ与えられる仕事を任務として割り切り、遂行すれば良いと思いこなしていた。


周りに対する不満や不平、それを一切ひた隠しして交わり、他人との関係性を築くことをやめていた。

自分の本音も、交わす言葉も最低限しか伝えない。

いつしか気づくと、ほぼほぼ誰とも会話をしないような生活をしていた。


自分の存在意義は一体何のためにあるのかと、自己啓発本を漁るように読破し、週末はあてもなく車を走らせていた。

家族との時間も会社での時間も全て、自分の中の虚しさを埋める事は決してできず、逆に深い溝を生むばかりだった。


町おこしや、イベントスタッフとして誰かのために自分ができる事をする。

唯一、その時だけ誰かの役に立てている自分を認識できた。

誰かに必要とされることを心から望み、そして埋めようもない孤独を感じていた。


美琴との出会いは彼女の制作する作品の手伝いのため、月に1回程度、景色や観光案内をしていた。

その後、彼女の個展を見に行ったことで交流が始まった。


駆け出しの作家だという美琴の作品に、気がついたら開催期間中、時間があれば一人見に行っていた。

作品の前で、気がつけば1時間もその場にいた時もあった。

その繊細な作品に、勝手に美琴という作家を想像し、それと同時に、強烈にものづくりという世界に憧れた。


「自分の作品に、誰かが影響される」

そんな未来が美琴という作家を通じて感化されたのかも知れないし、俺自身も写真という作品づくりをしていたからこそ、余計思ったのかも知れない。

自分しかできない何かに、強烈に憧れた。

自分しかできない何かは、自分の中に燻る叫び。

その想いを代弁してくれるのではないかと、美琴の個展を見て感じた。


だが自分の中に燻る想いにすらその時は気づけず、ただただイライラしていた。

世の中全てに反抗したいと思った学生時代をそのまま引きずり、田舎特有の周囲のお節介にうんざりしていた。




遠方に住んでいる俺は美琴との通話を、時間さえ合えば楽しんでいた。

その大半は他愛もない話だったが、それでも共有できる時間を楽しんでいた。


だがその日に限って、美琴の様子がおかしかった。


2020年10月27日。


「なんでだか、悲しいんだ…。死にたくなかったんだ…」

仕事帰りのLINE通話で、美琴が泣きながら言う。

聞き取りにくい声で、周りのノイズとともに遮断機の警報音が聞こえてきた。


「は!?」

俺は思わず、聞き返した。

明らかにいつもと様子が違う。

電話から聞こえる遮断機の警報音が、俺の中で鳴る警鐘の様に感じた。


「死にたくなかった…」

電話の向こうからはすすり泣くような声で、しきりに訴えかける。

遮断機の警報音が大きくなるにつれて、俺の不安を煽る。


「今、どこ!?」

慌てて聞くと、「家の近くだ」という。


「とにかく、塩を振って急いで帰ってください。家に入ってゆっくりしてください」

そうなだめながら、心臓の鼓動だけが響いていた。

俺は怖くて、電話を切ることができなかった。


またか…との思いと同時に、いつもと違う様子に尋常ではない何かが起きているという事だけは理解していた。




美琴は幼い頃からの心労から、心を病んでいる部分があった。うつ病だと聞いている。

そして彼女の抱える闇の深さも知っていた。


自閉症の子供を二人抱えて離婚。

周りに理解されない環境の中、実家からも見捨てられ、関係は一切絶っていると聞いている。

俺には理解できない程の思いを抱え、必死に生きていることは知っていた。


出会う前、薬を大量に飲んで「自殺未遂扱い」をされたことも知っている。

なぜ「自殺未遂扱い」と認識しているのかというと、本人は「ただ疲れて眠りたかっただけ」なのだと言う。


数日意識不明で生還した後の彼女の言葉を、俺は忘れられない。

「生きていても、死んでも地獄だった」と言う言葉。


彼女が退院した時、子供は離婚したはずの元旦那に連れられ、なぜか美琴の実家へ。

実家では彼女はもう死んだものして、彼女の自宅にあった服や化粧品、歯ブラシに至るまでが全て処分され、自宅は自分の家ではなくなっていた。

さらに彼女の勤め先では実家からの連絡で勝手に手続きが進められ、「退職扱い」となっていたと言う。


そして生還した彼女を待っていたのは、生きているとき以上の地獄だったらしい。

それも全て乗り越えた時期に出会ったので、全ては彼女の過去として認識をしてはいるが…。


しかし、どこの世界に実家に見捨てられ、孤立無援で自閉症を抱える子供を2人育て、しかも意識不明の状態から生還しても肉親の誰一人すら喜ばない…。

そんな酷い話が果たしてあるだろうか?

『シンデレラ』や『小公女セーラ』も真っ青になるレベルの悲劇的半生だ。


そんな美琴の本当の闇を、俺はどれ程理解しているのかすら分からない。

10分の1も理解は及ばないのかも知れないが、それでも彼女を支えたいと心から思った。


それからは彼女との二人三脚のような日々だった。

自閉症の子供がいると聞き、自閉症についての勉強をした。

ふわふわな物があると落ち着くと知り、ドライブする時のために車にクッションも用意した。

視覚から入る情報ではないと理解されにくいと言うことを学び、なるべくそんな関わりをもとうとした。


そんな俺に、彼女は言う。

「旦那ですら、病院から自閉症の状態説明をしたいと言われても、拒んだ」と。

自分の子供ですら理解しよう、あるいは受け入れようとしないものを、俺が受け入れようとしていることがとにかく不思議だと。


しかし、俺は俺であり続けようとした。

「彼女を守る」と決めた日。それは運命を全て受け入れた瞬間だった。


しかしこれから始まる想定以上の非日常まで、その時の俺は想像すらできなかった。

この先、現実として突きつけられる出来事に、俺自身翻弄されていくとはこれっぽっちも考える事はできなかったのだ。



しばらくして家に着いたであろう美琴に電話すると、電話に出た。

そして「ここ、どこ?」という。


「どなたですか?名前を教えてください」

これは多重人格症…?そう思い尋ねてみた。


「…佐藤」

少しの沈黙の後、美琴は低い声で話した。


「おいくつですか?」

「78歳」

「仕事は何をされてますか?」

「妻の介護」


俺の質問に『佐藤』と名乗った美琴は淡々と答える。

しかしあまりの事に焦っていた俺は、声が聞き取りにくかった事もあってか、「妻の介護」を「馬の解剖」と聞き間違えていた。


「うまのかいぼう…、へっ?何?解剖!?馬の解剖って何?!獣医?精肉の関係?えっ?えっ?!」

頭の中を「?」が飛び交い、焦りと重なって軽いパニックになった。

そんな俺を知ってか知らずか、『佐藤』と名乗った美琴はたたみかけるように話し始めた。


「死にたくなかった。妻の傍に居たかった…。ここに居れば、妻の傍に居れる…」

ただでさえ聞き取りにくいその声は、次第に嗚咽へと変わっていった。


「そこに神棚あるの分かりますか?!今すぐ拝んでください!」

これはマズいと思った俺は、語気を荒げて言った。


「なにを…拝む…?」

「神棚です!あなた自身が成仏できる様に拝んでください!あなた、ここに居てはいけない!!」

昔見た心霊番組での除霊シーンを思い出し、これは霊障ってやつだ!!

ならば、ここは強気で行かねば!と思った。


「成仏…、分かってるんです…。でも、ここに居れば…妻の傍に居れる…」

「その人に体を返してください!自分には力がありませんが、かならず成仏できるようにその方に拝んでもらうので、体を返してください!」


そんなやり取りの後、長い沈黙があったが、

「…分かりました」

との言葉を残して『佐藤』と名乗る存在は消えた様だ。


「ごめん…なんかあった?」

電話の声は本来の美琴に戻っていた。


「気づいたなら、大丈夫だ…」


だが美琴にはこれまでの記憶がないらしく、意味が分からないという様子だった。

俺はさっきまでの出来事を知らせ、明日の休みに神社を参拝して成仏できるように頼んでくれと託した。




「『佐藤さん』の魂が次のステージに進めますように…」

翌日、美琴は普段からよく参拝する越宮神社に詣で、心の中で唱えて柏手を打った。


その時である。

「託されたのか?」

誰かの声が聞こえた。

頭の中に直接、話しかけるように聞こえてくる声を、美琴は精神世界の神の声と認識していた。


美琴には不思議な力があった。

聞こえないはずの声が聞こえ、映像までもが見える。

正確には、感じるのであるが。

何度も参拝するような神社では、よく神の声も聞こえていた。


いつからか、亡くなった方の最後の瞬間を追体験するようになり、体に症状が現れることが多かった。

また、自分に向けられた負の感情すらもキャッチしやすかった。

負の感情の発信源に気がつくと、それは大体解決していた。

そして2〜3週間のタイムラグで、念を飛ばした本人の元へ更なる不幸となり、想いが還るという現実を美琴は知っていた。


おそらくその認識は10年以上前から感じているものであり、様々な試行錯誤と葛藤の末、最終的には受け入れるしか方法がなかった。

また、受け入れるしかなかった現実の一つに、「前世」という大きな問題があり、それが課題となっていた。


記憶の中で美琴は4世代の「前世」の記憶を持ったまま、現在という時間を生きていた。


平安時代、『にしき』と呼ばれる陰陽師だった時の記憶。

守るべき存在への呪詛を破り、その怨恨から暗殺された。

桜の木の下で綺麗な月を見ながら、その生を終えている。


またある時は、騎士として戦った記憶。

名をエンフィールドと呼ばれていたらしい。


そしてある時は中国の一地方の領主として、民のために心を痛めながら、目には見えない力を持つ梅林・松林に憧れ、その力に魅了されていた。

その梅林・松林との縁を、自身の長女である由可(ゆか)に感じ、そして同時に「真実の目」としての役割を持った存在の縁を、次女の要子(ようこ)に感じていた。


さらにある時は身寄りのない教会暮らしの少女として、火事で命を落としている。

燃え盛る炎の中、マリア像を守れなかった後悔の念を抱いて息絶えた少女の憧れを叶えるように、美琴は可愛らしい服や小物を好み、それらを身につけることで癒されていた。


美琴が自覚している過去の記憶と、現実として目の前に現れる苦難。

幼い頃から「生きる」という事を考え、葛藤し続けていた。

なぜ自分だけがこの様に課せられ、なぜこの人生を生きなければならないのか。


そんな葛藤を、『魂のバグ』だと説明してくれた存在がいた。

青年実業家の田辺慎一である。

田辺は自身が20代で会社を起こした経験を元に、美琴が作家として独り立ちする際の起業を全面的に手伝った若き実業家で、美琴が全幅の信頼を置く人物である。


心理学や精神世界にも精通している田辺は、美琴が感覚で得た情報を知識や現象として裏付けて説明した。

それは多岐にわたり、宇宙の成り立ちや法則に至るまで、科学では説明がつかないようなジャンルにまで及んだ。


その時に感じた。

これまでの全てに、意味が隠されていることに。

そしてこれらはまだまだ序章に過ぎないと言うことも含め悟ったのだった。




美琴が越宮神社を参拝してから数日が経ち、普段と変わらない日常が戻りつつあるように思えた。


神社参拝で美琴が「託されてきたのか?」と言われたことが気にかかり、俺も地元の神社を参拝した。

だがそれでも気になり、もっと何かできる事がなかったのかと自問自答する様になっていた。


そんなある夜の会話である。


2020年11月3日。


ただ普通に美琴と電話で話していたその中で、先日の『佐藤さん』の話が出た。


「佐藤さんが来ている気がする」

と唐突に言う美琴。


「え!?」

驚きながらも、ごく自然に受け入れていた自分が不思議だった。


「こんばんわ、佐藤です」

携帯から聞こえる口調が明らかに変わり、空気が一変した。


「佐藤さんは、なぜ亡くなったのですか?」

俺はまず、亡くなった原因から聞こうとした。

「胸が苦しくなって…、気がついた時には誰にも触れず…。誰にも声が届かなかった…」

症状から察するに、どうやら心臓系の急性疾患らしい。


「そして…自分が亡くなったと悟ったんだ…」

長い沈黙の後ポツリと、電話の向こうの『佐藤さん』は静かに語った。


「子供と孫がいるが…遠くで暮らしている。それぞれ生活が精一杯で…。大きな古い家に妻と二人で暮らしていた。妻を介護していて、自分がいるお陰で妻が生活できているような驕った考えをしたこともあった。だから妻のちょっとした言動に腹を立て、喧嘩もした…」


さらに『佐藤さん』は話を続ける。


「周りの方々が亡くなっていく中、お互い支えあっていかねばと、喧嘩しながらも二人の時間がずっと続くと思っていた。しかし、あの時(亡くなるとき)、妻を心配させて苦しめてしまった。なぜ生きていた時、もっと妻に優しくしなかったんだろうか。優しい言葉をかけれなかったんだろうか。もっと沢山綺麗な景色を見せに連れて行けなかったのかと、今なら思う…。死後、いかに生きている時の、今という時間が大事だったか、妻が大事だったかを知った…。その後悔が心残りで…、自分が死んだ事は分かっていたが…死にきれなかった…」


相槌を時折交えながら、俺は黙って話を聞いていた。

「夢はあるかな?」と聞かれ、「夢は、寝て見るものと考えておりますので、夢はありません。目標のみです。目標は、東北復興です」と答えた。

「そうか。何に幸せを感じている?」

「飯を食えることが幸せです。東日本大震災の時からそう思います。あの時は食にも困りました。ラジオで被災地の避難所でおにぎりを配給していたのですが、一人一個の制限があったそうです。母子二人の方が、片道二時間歩いて避難所に行ったのですが。一人一個の制約があり、母と二人で一個のおにぎりを分けて食べたそうです。今、日に三度の飯にありつける。水を飲める事自体が幸せです」

「そうか、そうか。若いときは仕事に明け暮れ、妻を大事に出来なかった。年を取り、定年して家にいてからはしょっちゅう妻と喧嘩をしていた。仕事にっていれば顔を合わせる時間も減るかと思ったが、時代が時代なだけに働く場所もなかった。そうしているうちに妻の介護が始まった。今仕事で悩んでいても、いずれは会社から必要とされない日が来る。だから、今は働け若人」

「はい。ところで奥さんのところには行かれたのですか?」

「ここ数日、この家と妻の所を行ったり来たりしていた。しかし、光の中にいる烏帽子を被った着物姿の男で…、名前は…確か…、『にしき』…?とか言う方に、妻の傍に居たのでは周りの方々に迷惑がかかるので、光の道を行きなさいと言われた。この世界に居れる時間には刻限があって、今夜0時がその時らしいのだ」


そう言われ、自分の中でいつも聞き流していた『にしき』と言うワードを、初めてあるがままに受け入れていた自分がいた。

常にその存在を否定していた自分が、ただ淡々と事実として受け入る事ができた瞬間だった。


「これから妻の顔を見に行ってから次へ進みます。またいつかお話いたしましょう」

『佐藤さん』は約2時間ほどの通話の最後にそう言い残し、そして間もなく電話が切れた。


「『光の道』ねぇ…。まぁともかく、無事に成仏できたみたいだな。良かった…」

俺はその時ふと、超現実主義者らしからぬ独り言を呟いていた。


ある意味、美琴が経験してきた数ある霊障の中でも極めて異質であり、周りをも巻き込んでゆくきっかけとなった、この『佐藤さん』の出来事。

それは超現実主義者であった是宮将征の人生を劇的に変える程の壮大な物語となってゆく事を、この時はまだ知らなかった。






2025年3月8日、佐藤さんとの会話から早4年が過ぎた。

最近、「いずれは会社から必要とされない日が来る。だから、今は働け若人」と言われたことを毎朝思い出している。


会社に勤めていれば色々ある。あって当然だ。

そう、俺もいずれ必要とされない日は必ず来る。

だからこそ、今日の仕事を真剣に取り組まねばなるまいと毎朝己に言い聞かせている。

それこそ、先人からの、故人からの我々に送られたギフトだろう。




Instagramを使った配信開始が決まり、改めて過去の記事を見直しているのだが、何故あの時これは霊障だと判断したのか未だにわかっていない。

当時の俺は、完全に無神論者だった。

子供の頃日本中が心霊やオカルトブームでその手のテレビ番組があり、家族で見ていた。

夏休みになると、あんたの知らん世界等をオカルト大好きな祖母や姉たちと見ていた。

見ていたと言っても、祖母の背中に隠れて見ていたのだ。

何の因果か、祖母と母、姉たちはよく自身の心霊体験を話していたので、俺は怖くて仕方なかった。

夜、トイレや屋外に行くのも怖がっていたほどだ。

神仏については、受験シーズンや不安ごとがあると神仏に祈るというより、頼みごとをするような男だった。

そんな俺も、高校時代にPUNK ROCK(音楽)に出会い、段々とオカルトや心霊と言ったものを信じなくなっていった。

神に至っては、GOD(神)はひっくり返せばDOG(犬)じゃねぇかと言ったPUNK系ミュージシャンの記事を読んで以来、信じなくなっていた。

神なんてそんなもん信じるから宗教戦争が起きるんだ!捨てちまえ!!と思っていたほどだ。

社会人になるとライブハウスに行くようになり、HARDCORE PUNKという音楽に傾倒していった。

PUNKやHARDCOREに興味ない方にはさっぱり理解できないだろうが、もはや音楽のスタイルというより信条、生き様にさえ思えてより一層、現実主義者へと向かっていった。

時々心霊の話とか聞いてもそんなもんいるわけねぇだろと否定していたし、もし俺の前に霊魂てのが現れたなら、『HARDCORE IS IN MY BLOOD!(大好きな曲のタイトル)』と叫んで呪文だ、真言だのの代わりにジャパニーズHARDCOREの楽曲を大音量で流せばいい!!と思っていた!!

時折金縛りに合ったりしていたのだが、科学的に立証されているのを思い出し、『HARDCORE IS IN MY BLOOD!』と念じてるうちに金縛りが解けて、すぅ~っと眠りについたこともあった。

馬鹿なのかと思われるかもしれないが、今思えば無神論者、現実主義というカバーを作り出し、オカルトや心霊といったものへの恐怖心を隠していただけかもしれない。

だが、日本のHARDCOREを好きになったおかげで、のちに多大な影響を受けたこともある。

現時点で解散されたバンドだが、彼らの殆どの楽曲は第二次世界大戦開戦から終戦までを歌った内容が多い。

回天特攻(人間魚雷)、真岡郵便電信局事件(1945年8月20日)、占守島の戦い(1945年8月18日~8月21日)等を知ることになった。

そして、もし異国の地で亡くなられた方々が今尚祖国へ帰りたくても帰れないのであれば、せめてその御霊は桜咲く祖国へ案内することができないだろうかと考えている。

そのためには、今後掲載されるであろう錦さんからのメッセージである『神達の信頼を得て力を借り、元ある姿へ導くことが必要とされているのだ。あるべき場所へ、もとある姿へ戻すことが課せられた使命。もとある場所へ、もとある姿へ…。陰陽師を生業としていた時、我が常に意識していた事を現代でもう一度、その役を果たして欲しい』を何度も読み直し、己に言い聞かせている。

それが俺の使命なのだと。


天照様は言う。

お前みたいな無神論者ですら変わったのだから、世の中も変わるだろう。

それって…どう言う事ですか。

ひどくないですか。

今ならそう思う。


この佐藤さんとの会話を境に、多くの不可思議な現象を体験してきた。

その中には、命にかかわるような危険なことも多くあった。

これから少しずつ語っていこう。


以上、是宮の日記より。

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