火曜日は思い出にとどめておきたい

 その日は突然やってきた。でも何の前触れもなかったと言えば嘘になるかもしれない。


 ここのところ就活の準備やらなんやらで忙しい時が続いていて、うちに帰ってきても最低限のことしかしないであんまりミアとも遊んであげられていない日が続いていた。

 でもそんなときでもわたしのかわいい三毛は隣にやってきて「みゃあ」とだけ鳴いて丸くなってくれるのだった。

 というか最近彼女は前ほど部屋の中を動き回らなくなってきたような気がする。

 そろそろ春になるというのに今週はなんでだかやけに冷え込んでいるからかもしれない。

 そんなときはこたつの中かわたしの隣が一番あったかいもんね。

 でもちょっと動いてもいいかしら。お茶淹れるから。

 あなたが隣にいてくれるとなんだか元気が出てくるんだ。ありがとね。



 そんなことを思いながらわたしはキッチンに立ち、徐々に中身の増えてきた茶葉入れの棚をのぞき込んだ。

 何にしようかな。たまにはちょっと芸風の違うものとかもいいかもな。

 そう考えて正山小種を取り出す。そこそこ志望度の高かったインターンに通った時にテンションが高くなって買った中国茶で、スモーキーな香りがして鼻からもほっとする気分になれるからたまに飲むお気に入りにしていたのだった。

 そんなにしょっちゅう飲んじゃうとありがたみが薄れるしね。



 スイッチが壊れたので買い替えることにした新しいケトルはお湯が沸くのがとっても早くて、わたしがお茶っ葉を選定してる途中にもうぼこぼこいって沸騰していた。

 アマゾンで買ったそんなに高いものではないんだけどね。

 わたしがお茶セットを持って歩き出すと、ミアがなんだお前そっちに行っちゃったのか、という顔をして「みゃあ」と鳴いた。

 ちょっと待って。今そっち行くからね。

 というかあなたが来てくれた方がわたしとしては嬉しいけどね。

 ずぼらな性格なものでして。



 そんな感じにお茶を飲みながらこたつに潜り込み、少しぼーっとしながらミアをなでる時間がわたしにとっての充電の時間で、たぶん何よりの栄養補給になっていた。

 いつもはアロマとかでいい香りに包まれるのを足したりもするんだけど、今日は正山小種を愉しむためにやめておこう。

 まあ一回こたつに入っちゃたら出たくないだけなんだけどね。

 はあ、幸せってこういうのを言うのかな。

 そうだ、今夜は映画でも見ながらアイスでも食べちゃうか。わたしがそうひとりごちると彼女は「みゃあー」という肯定とも否定ともつきかねない愛らしい鳴き声を発して体を摺り寄せてきたのだった。

 あ、あなたもずぼらになったわね。誰に似てきたんですか。

 むぎゅーってしちゃおうっと。


 でもその至福タイムの思いつきをもってしても徐々に押し寄せてきた眠気には勝てそうにもなくて、こたつアイスは無事週末に持ち越されることと相成った。

 まだ今週始まったばかりだけどその方がワクワク感も増すからよいのだ。

 シャワーは明日の朝にします。洗顔だけして寝ます。ポットも明日の朝洗います。

 おやすみミア。風邪ひかないでね。

 そしてわたしはぐっすりと9時間半の気持ちいい睡眠へと落ちていったのだった。

 おやすみの返事の「みゃあ」が彼女と交わした最後の会話になるとも知らずに。



「おはようミア」朝にしては遅めの翌朝、わたしはいつものようにその辺にいるであろう三毛に向かってしゃべりかけながら体を起こした。

 すっごくよく寝れたわ。やっぱ眠気に襲われたときに眠るのが一番だね。

 だけどそんなすっきりさとは裏腹に、半開きだったカーテンを全開にすると火曜日の朝の空は曇っていてあんまりわたしの気持ちを映し出してはいなさそうだった。

 なんだか寒々としてるな。そうだ、洗い物溜めたんだった。



 そこまで考えて初めて、なんだかわからない寒々しさの理由が洗い物だけではないことに気づいたのだった。

「ミア?」



――――――――――



 え……。いない?

 うちそんな広くない学生用アパートだから隠れるところなんてないよね?

 というか隠れる必要ないよね?

 こたつの電源入れたよ?



 嫌な予感がしてさっき開けたカーテンをみると窓の鍵が開いていたことに気がついた。

 そして最悪の想像がわたしの心を支配したのだった。

 あの子賢いからこのぐらいのことはできちゃうはずだ。


 でもなんでよ??

 嫌われちゃった??

 ねえ待って、嫌いになんないでよ。

 わたしはあなたのこと大好きなんだから。

 ねえ来てよ。わたしはあなたを必要としてここにいるんだってば。



 慌てて外に出られる格好だけしてうちを飛び出した。

 絶対探してみせるからね、と固く誓って。

 というか彼女のいないうちに一人いる、という状況に耐えられそうにもなかったと言った方が正確だったかもしれない。

 洗い物はシンクに残されたままで、ミルドレッドの言葉はある意味で正しかった。



 外に出てもまだ涙は出てこなかった。

 そんなことしてる時間があったら探した方がいいに決まってるからね。

 きっとそんなに時間は経ってないはずだからこのあたりにいるはず。

 彼女ドメスティックだからあんま遠くへは行けないだろうし。

 でもどこを探したらいいかは全然わからなくて、途方に暮れながらもなぜか自然と足は大学の方に向かっていったのだった。

 塀の上とかほかの猫ちゃんは好みそうだけどあの子はどうなんだろう。

 そんな風にきょろきょろしながら大学の正面入口の前の交差点まで来たところで、わたしは自分を呼び止める声に出会った。



「ねえ、何かあったの?探し物?」

 住田くんだった。いつもは会釈するだけなのに。

「ちょっとね、、、」

「大丈夫?すごく深刻そうな顔してるよ。落とし物なら探すの手伝えるかもだけど」

「ううんいいの。心配してくれてありがとう」

「僕が気になったから首突っ込んでもいい?」

 断り切れなさそうだったし、それより誰かに今の気持ちを吐き出したい気分だったから、彼の厚意をむげにはしないことにした。

「実はね……」



 そうして1時間ほど大学とアパートの辺りを2人で探してみたけれど、彼女の痕跡は見つけられそうにもなかった。そしてある大街道の信号で足止めを食らった時、彼はわたしの思ってもみなかったことを口にしたのだった。


「『陽だまりの彼女』って小説知ってる?」

「名前だけ聞いたことあるけど」

 そっか、と彼は一呼吸おいてからわたしにこう告げたのだった。


「あれね、超ネタバレすると猫の話でね、でもある日主人公の前から姿を消しちゃうんだ」

「それで?どうなるの?ハッピーエンド?」

 わたしは思わず食い入るように聞いてしまった。


「もちろん主人公は探したり調べたりしてまわるんだけど、そのうちにあることを知っちゃうんだ」

「なにを?教えて!」語気が強くなってしまったのは信号がなかなか変わらないからだけではないような気がしていた。


「あのね、猫って自分の死期を悟ると愛する人の前から姿を消しちゃうんだって」

「えっ……」

 ありえない。そんなことあるもんか。絶対彼女はこの辺にいる。信号がやっと青になったのでわたしは早足で歩きだした。


「そう、僕も最初にこの物語読んでこの話知った時なんて切ないんだろうって思ったんだよね。でもさ」

 帰る駅とは逆方向なのにずんずんと行くわたしについてきてくれた彼はいったん言葉を区切るとわたしの顔を見て言った。

 でもわたしは歩調を緩めることができなくて早足のままだった。



「それって自分を見て悲しまないように、思い出の中の元気なままのイメージをずっと覚えていてほしいっていうめちゃくちゃ愛のこもったメッセージなんじゃないかな、って」



 はっとした。わたしの歩くスピードが落ちた。

「だから僕はこれをバッドエンドだとは思えないんだよ」


 わたしは足を止めた。

 隣で住田くんも止まってくれていて、わたしの挙動につき合ってくれているようだった。

 そしてわたしは上を向いた。

 だってそうでもしないと涙でいっぱいになって顔中垂れまくっちゃうんだもん。

 彼がティッシュをくれたのでいったん涙をふくと、少し曇っているけれど晴れ間がさしはじめた、空気の澄んだ冬の空が目に入ってきた。

 数秒そのままで空を見つめていると、ふとわたしはこうつぶやきたい気分になった。



 ―――もちろんまだまだ探すけど、ひとまず、今までありがとう。あなたと居れて超楽しかったわ。それに確かにA cat has nine lives. っていうもんね。あなたのは何回目だったの?



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