僕のメランコリー

 ――その光景を見て絶望していた愛唯だが、今の彼女はなぜか喜んでいる。ヤギ男が崩れ落ちるのを目撃して顔面蒼白だった愛唯はどこに?


「あ、あの人、さっきのあの人、知ってる! テレビに出てた有名なお店の人! 『アンリ』さん! 女性に見えるけど男性なんだって~! ねぇ、ねぇ、お店に行ってみない?」

 アンリさん? 愛唯は、リーゼント男を引っ張って連れて行った謎の人物のことを言っているのだろうか? 女性に見えるけど――いや、僕には、そのアンリさんが、けばけばしい女装をした男性といった感じに見えた。

「いや、やめとこうよ。関わるべきじゃないよ」

 僕がそう言うと、愛唯は残念そうにしていた。

「だって、気になるもん。見たでしょ、目の前で……そんなこと言うなら、いいもん。知らないもん」

 彼女は拗ねるといつもこうなる。そして、次の日には元通りだろう。

「そっか、でも、僕はそんなのに関わりたくないよ」

 だから僕はいつも通り適当な返事をする。


 ――が、僕の返事に彼女はムッとした表情を見せた。

「じゃあ、もういいです。好きにします。さようなら」

 ――しまった! 僕は地雷を踏んだ。伝え方を完全に間違えた。

「ちょっと、待ってよ――」

 彼女は僕の制止を振り切ってどこかへ行ってしまった。こうなると彼女の行動は予測がつかない。僕は慌てて愛唯を追いかけたが見失ってしまった。急いで愛唯に電話をかけた――が、コールするだけで繋がらない。もう一度かけると、ツーツーという話し中の電子音が聞こえた。

 つまり、繋がらない。こうなってしまっては絶望的だ。


 僕は諦めて、銀太から連絡を取ってもらえないか聞いてみるつもりで、彼の家に電話をかけた。すると銀太の母親が電話に出る。

「もしもし」

「あ、さとりです。銀太の具合はどうですか?」

 僕がそう聞くと、しばらくの沈黙の後、銀太の母親は答えた。

「さとり君ね。実は銀太、高熱でうなされていて、心配だからお医者さんに来てもらったんだけど、このまま熱が下がらないようなら病院に連れて行った方がいいって言われちゃって……だからね、ちょうど今、病院に連れて行こうとしていたところなの。落ち着いたらさとり君のお家に連絡するから、しばらく待っててね。ごめんなさいね」

「そんな……分かりました、お大事にしてください」

 銀太は思った以上に重症らしい。心配だ。こんな時に愛唯と話せないなんて……。

 愛唯も大丈夫だろうか……心が、なんとなく苦しく感じる。誰かと、話したい。そんな衝動にかられた。


 そして、僕はふと携帯電話を手に取り、アドレス帳を開く。そこに海風 藍里の名前――

『藍里さん、お加減はいかがですか?』

 僕は藍里に勢いでメールを送っていた。やけに畏まった文章のわりに、内容のない文章を送ったことに後悔したが、すぐに返事が戻ってきた。

『お気遣いありがとうございます! おかげさまでだいぶ良くなってきました。私から先に連絡しなくてごめんなさい! なんだかすごく眠くて、本当にごめんなさい』

 僕は――

『謝らないで! 元気になったらまた話そう。おやすみなさい』

 藍里にメールを送り、続けて愛唯に一言だけでもメールを送ろうと文字を打ち込む。


『ごめんね』

 そう一言だけ愛唯にメールを送った。

 ――愛唯から返事はない。


 気付けば、神社付近から警察車両のサイレンが鳴り響いているのが聞こえる。愛唯を追いかけているうちに現場からだいぶ離れていたようだ。僕は巻き込まれたくない一心で、そのまま駅へと向かった。


 僕は帰り際、愛唯の言っていたことを考えた。テレビに出ていた有名なお店の人ってどんなお店の人だったのだろうか。男性だけど女性に見える人……アンリさん。

 愛唯はそのお店に行ったのだろうか? あの時、一緒に行こうと言えば良かったのだろうか? でも、僕は、できればこんな訳のわからない出来事に関わりたくない。


 僕はそう思うと同時に、”僕は愛唯に関わりたくない”と言っているような気がして、とてつもなく大きな罪悪感に苛まれた。愛唯には、僕が愛唯に関わりたくないと言っているように聞こえていたのかもしれない。彼女ならあり得なくもない。僕は言葉の選択を間違えたのだ。

 人は時として、選択を間違う。あやまちは繰り返してはならないが、それを無意識のうちに繰り返してしまうのも人である。あやまちは人の性、なのかもしれない。


 そんなことを考えているうちに僕は家に着いた。玄関のドアに手をかけると鍵が開いていた。親が戻っているのだろう。家に上がると母親が『おかえり』を言ってくれた。続けて父親も『おかえり』を言ってくれた。僕は『ただいま』を返した。

 洗面所で手を洗い、鏡を見る。鏡に映る僕はなんだかとても疲れているように見えた。

 

 そんなこともあり、親に部屋でお弁当を食べると伝えると、母親は何かを察したのか、無言で、そして、にこやかな表情のまま、冷蔵庫に入っていたお弁当を電子レンジに入れてくれた。


 ――しばしの無言、リビングからは父親が観ているテレビの音が聞こえてくる。

 電子レンジからピーッという温め完了の電子音が鳴り、母親が電子レンジからお弁当を取り出し、箸を添えて僕に手渡してくれた。

 僕は母親の作ったキャラ弁を手に自分の部屋に向かった。


 部屋に着いた僕はキャラ弁を食べながら、神社での出来事がニュースになっていないかを確認することにした。

 テレビをつけるといつもの正月特番ばかりやっている。ニュースにはなっていないようだ。僕はキャラ弁を平らげ、他愛もないトークを繰り広げている正月特番を、ただ眺めていた。


 そのうち睡魔が襲ってくると、僕は深い眠りへと誘い込まれた――

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