二節 白鯨恵比寿と日輪銅銭

ヒレ酒の香ばしい香りが漂う中、祖父と孫の会話が続く。


「いいじゃん、貸してよ。数字の宝……今だけなんだ、俺が勝てるのは」


輸貴は先ほどまでの理屈をかなぐり捨て、まるで駄々をこねる子供のように畳の上でじたばたと転がった。


「貸して貸してチラ、⋯⋯貸して貸して!!」


恵比寿はため息をつき、額に手を当てる。


「なんじゃ。あれだけ理詰めで講釈を垂れておったくせに、いざとなったらそれか身の内としてわしゃ恥ずかしい」


「じゃあ認めろよ、じいさん」


輸貴が顔をぐっと近づけた瞬間、空間がビリビリと揺れた。睨みつけるその眼差しに、恵比寿はしばし沈黙する。


「……そうか、ここまで食い下がるか、はぁお前がここで直談判しに来た理由も検討が付く」


空の杯を手にしたまま、その目が孫を見つめる。慈愛に満ちた福神の表情が、ゆっくりと変化していく。


「ならばその企みに乗ってやるか、ああどうせこうなるなら、これは仕方なしじゃのぉ」


コトンと盃を置き立ち上がる恵比寿、彼はその好々爺の表情のまま懐に手を入れる。


その瞬間、会場の空気が塗りつぶされた。


磯の香が逆巻き、遠い海鳴りのような低音とこれから日が昇る気配がする。それを例えるなら日の出直前の静けさだろうか?


気配だけでこれかと輸貴は身構える。


祖父が懐から取り出したのは紐に繋がった銅銭、独特の赤みがかった金属の光沢は一枚一枚が日輪を背負って輝いている様に見えた。


他の七福神たちも何やらもう一演目あるなと各々の席から身を乗り出す。


「ほれ欲しければ取って見せよ」


恵比寿の口角が上がる。それは祖父の表情ではない――戦士の笑みだった。


「年端も行かぬうちに大きくなりおって……」


その言葉に、布袋尊はにやにやと笑いながら袋を撫で、毘沙門天は静かに目を細めた。


「《今ここに福神の姿晒すとしよ》――『クジラ恵比寿』」


瞬間、轟音が響き、会場の一角が吹き飛んだ。畳が舞い、木材が砕ける。


その中心に、巨大な白鯨の幻影が出現する。神格化した恵比寿の背後、空中を泳ぐそれは、まばゆい光を放ちながら咆哮した。


 オ~~ェーーオォ~~オ


深海の静寂が、輸貴の脳を支配する。クジラたちの骸が静かに沈む、海底の景色が一瞬、脳裏をよぎった。


「チッ……!」


圧倒的な神性の重圧に、輸貴は歯を食いしばる。空間がねじれ、重力すら歪む。


 シュルルルッ!


空気を切り裂く音とともに、銀の釣り針が心臓めがけて飛ぶ。


「釣り針かよ!」


大太刀で反射的に迎撃。金属音が炸裂する。


「クソじじい! コトシロヌシの真似か!? それとも太公望か!?」


血が頬を伝うのも気にせず、輸貴は叫ぶ。


恵比寿は笑う。


「ほほう……残念。狩人✕狩人の方じゃ」


輸貴が目を見開いた。


「古いのか新しいのかツッコミづれぇなおい!!」


言いながら、懐から巨大な銃――最新型自動連射式「種子島」を引き抜く。


「ならばこっちは正真正銘最新式――大江山重工製種子島」


ダダダダダダ!!


「弾込め不要の流対変換機関銃、リロードが要らねぇのがちと寂しいが、口径分の威力はあるぜ」


銃身に使われたタタラ神木から、金属が染み出し弾を成す。瞬く間にライフル弾が装填された。


右手に銃、左手に大太刀。人外の膂力で二刀を構えた輸貴に、会場がざわめく。


『クジラ恵比寿』が動く。白鯨が口を開け、青白いプラズマのブレスを放つ。畳が一瞬で焼け焦げ、火花が舞う。


同時に、クジラの背から無数の釣り針がうねり出す。蛇のように曲がりくねり、会場を蹂躙していく。


「やるなら外でやれぇぇぇ!!」


イタチの料理長が叫びながら、迫る瓦礫を微塵切りに処理し絶叫する。だが既に、神の宴は神の戦場へと変貌していた。


会場の端で布袋尊が袋の中身をばら撒きながら笑い転げ、毘沙門天は手に汗を握りながらも戦いから目を離さない。


ダダダダダダ!!


輸貴が種子島の引き金を引く。連続する銃声が木霊し、銃弾が釣り針の群れを撃ち落としていく。


「葉巻なんぞ咥えおって、悪魔かぶれが」


「西洋かぶれな。いや、ここじゃ間違ってないけどな!!」


心臓めがけて迫る釣り針を太刀で弾く。その反動を利用して宙に舞い、空中から弾丸をばら撒いた。


しかし恵比寿の攻撃は止まらない。プラズマブレスが輸貴の足元を焼き、釣り針が服の袖を裂いていく。


「このままじゃ……、いやこの位置で良い」


輸貴は決断した。


「場所を変えようぜじいちゃん――いや、場所は変えたぜ『迷いの灯火』」


葉巻の先端が妖しく光る。それはカボチャ頭のジャックから託された魔術――妖精の霧で方向感覚を狂わせ、悪魔の明かりに獲物を誘う術。


瞬時に会場は濃い霧に包まれた。視界が奪われ、音だけが響く異空間。


そして気がつけば――


パタン、パタン、パタン


無数の襖が次々と閉じていく音。二人だけの密閉空間が完成した。


「ありがとな、ジャック」


輸貴は葉巻の火を消し、暗闇の中で祖父と向き合う。


「霧の方ではなく明かりの方が主体の術じゃったか……」


恵比寿の声が闇に響く。そこには戦闘への興奮と、孫への誇らしさが混じっていた。


「それで――どんな準備をしてきたのか、儂に教えてもらえるか?」


「信頼と伝統の呪術つて奴だ」


輸貴が印を切る。


「オン インダラヤ ソワカ、ナム エビスソンテン、――!」


襖に畳、天井の板に柱、無数に張り付く札の呪が赤く怪しく輝いた。


――数字の宝は、俺がもらう。

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