第12回 「異世界人を討て!」
何が起こったんだ? 状況が飲み込めなかった。それはきっとテンヤも同じなはずだ。拳のぶつかり合いで互いにダメージはなかった。俺は緑光で、テンヤは分厚い炎の鎧で、それぞれ防御していた。
「……ッ! まさか……」
テンヤはそう呟くと、瞬時に腕に風を纏わせ、地面を砕いた。土煙が舞い上がり、俺は思わずたじろいだ。気づくと、テンヤは俺から距離を取っていた。テンヤは先程、捨てた剣を拾うと、神妙な面持ちで構えた。
どうして剣を拾った? 本気でやる時は使わないものだと思っていたのに。そういえば、お互い素手でぶつかったのは今が初めてなのか。それまでは剣か魔法だったな。…………あ、まさか。
俺は生唾を飲み込んだ。この、緑光の能力ってもしかして……。
「オミヒトォ、てめえ能力を隠していやがったなァ。いや、その様子から見ると、お前も知らなかったみたいだな。なんにせよ、厄介だよお前の能力は」
この緑光は、相手の力を奪えるんだ。そういう能力だったんだ。今まで何で気づかなかったんだ。……いや……そうだ。違う。こんな能力じゃなかったはずだ。ナキが触れても今みたいにはならなかった。魔物だってそうだった。じゃあ何故今になって? その時、ナキの言葉が脳裏に蘇った。
『そうですねぇ、授けをもらえないかの実験を組織内でした時には、彼らが祈ったのは恐らく、非常に強い「恨み」や「怒り」でしょうね』
『しかし、異世界人の魔法が、あの程度だとは思えません』
そうか、緑光は『異世界人と対峙した時にだけ真価を発揮する異能』だったのか……!
「……オミヒト。今回のお前の無礼は不問にしてやる。勝負も、あの女が俺の仲間になる件もナシだ」
テンヤがじりじりと後退している。……逃げるつもりか。
「相性が悪いからって逃げるのか! さっきの威勢はどうしたよ。この……弱虫!」
わざと気に触るような言葉で挑発する。テンヤの額に更に青筋が増えた。鬼のような形相で俺を睨みつける。だがそれでも、俺との距離を徐々に離している。
「お前を殺すのは嘘じゃねぇ。だが、一旦引く。それだけだ」
そう言うと、テンヤの足元には体を覆うように風が発生した。
「あっ! 待て――」
まずい、逃げられる……!
――バシュゥゥッ!!!
突然、半透明の膜のようなものが平野の周囲から現れた。膜は凄まじい速度で上空へと伸びていき、遂には平野をすっぽりと覆った。
これは、ナキの言っていた結界か。遅くないか? けど、良いタイミングだ。
「クソッ、くだらねえ手を使いやがって」
テンヤは結界へと剣を向ける。壊すつもりか。……させてたまるか。その隙を狙ってやる。俺は緑光の出力を足へと集中させるイメージをした。さっき俺の体が勝手にやってたことだ。きっと俺にも出来るはず。緑光は驚くほどスムーズに足へと蓄積した。今ならいける。思い切り地面を蹴った。普段の体では体感したことのない速度で、俺は距離を詰めた。拳に力を込める。
「チィッ!!」
テンヤは剣を下げ、俺の拳をすれすれで回避した。そして無防備になった俺の腹に強烈な蹴りを入れた。その勢いで俺はまた距離を離された。テンヤがまた倒れる様子が無い。そうか、俺の意思で攻撃しない限り、力は奪えないのか。俺は受け身を取り、その勢いをバネにして、もう一度テンヤに向かって飛び出した。
「うぉぉっ!!」
「あぁもう! しつけーんだよォ!」
テンヤが空中へ飛び上がる。俺もさっきと同じ要領で踏ん張り、高く飛んだ。空中で結界を壊して逃げられる、なんてゴメンだ。しかし、追ってきた俺を見てテンヤは笑った。
「馬鹿がッ!」
テンヤが剣を横薙ぎに構える。しまった、誘い込まれたのか。岩壁に吹っ飛ばされた時と同じだ。空中だとしがみつけるものがない。このまま飛ばされて距離を離される……。テンヤから大量の水流が放たれる。空からの大瀑布が俺の体にのしかかる。
「ぬぐぐぐっ! うおぉぉっ!!!」
俺は叫んだ。どうにかなるもんではないと思ったが、そうしないとやってられなかった。とにかく、踏ん張れ! この緑光はただの光じゃない。テンヤみたいな、どうしようもない異世界人を倒すための力なんだ! せめて……踏ん張れないなら……
「加速しろォォ!!」
俺の想いに応えたのか。それともイメージがちゃんと出来たからなのか、緑光は俺の足元からジェット燃料のように噴き出し、巨大な水流に抵抗してみせた。このまま押し通る! 俺は水流を掻き分け、脱した。テンヤの顔は焦りに満ちていた。しかし、すぐさま全身に四属性を纏うと、大地にクレーターを作ったあの破壊光線を撃ってきた。俺はさらに加速して、その光の中へ突入した。妙に温かい光の中、ぼんやりとテンヤの影を捉えた。加速を切り、空中で体を一回転させた。もうすぐ光線を抜ける。
「なっ!?」
テンヤが驚愕の声を上げる。俺は鳩尾めがけて、加速の勢いを利用した渾身の飛び蹴りを放った。確かにテンヤの体を捉えた蹴りは、そのまま俺達を大地へと一直線に運んだ。轟音と共に激しく地面が捲れ上がる。
「……ぐっ! テメェ!」
「……ハァ……ハァ、あんたはもう、終わりだ」
テンヤは俺の蹴りを、剣を盾にして、直撃を避けていた。あの一瞬で上手く防御された。しかし、空から叩き落とされたダメージは確実にあるはずだ。そして、俺と地面に挟まれて仰向けの格好だ。これでもう動けない。
俺はゆっくりと、右の拳を引き、構える。そこに緑光をたっぷりと集中させる。
「オイ……嘘だろ?」
「…………」
生まれて初めて、恐怖したかのような表情を見せるテンヤを見下ろし、俺は拳を振り抜いた。テンヤの頬に、俺の拳が当たる乾いた音が鳴り響いた。
しばらくして、草むらをかき分ける音がした。
「……オミヒト?」
ナキが小動物のようにひょっこりと現れた。その顔は困惑に満ちている。俺は、足元で気を失っているテンヤを見下ろして言った。
「ナキ……多分終わったと思う」
「どういう事です?」
「俺も知らなかったけど、緑光は異世界人の魔力を奪える力があるんだ。それが本当の能力だと思う。今、テンヤを三発くらい殴ったんだけど、コイツからまだ魔力を感じるか?」
ナキは警戒しているのか杖をぎゅっと握り締めたまま、ゆっくりと近づいてきた。そして、目を細めてテンヤを凝視した。
「……何も感じません。にわかには信じがたいですが、あなたの言う通り、魔力が尽きたのですね」
「いや、尽きたんじゃない。奪ったんだ。テンヤはもう魔力を使えない」
咄嗟に訂正した。俺自身、緑光についてさっきまで理解していなかったのに、その事だけは何故か確信めいたものがあった。
「使えない? そんなことが可能なのですか」
ナキはしゃがむと、杖の先でテンヤの顔をつついている。
「多分。ナキも言ってたろ。異世界人の魔力はこんな程度じゃないって。これがそうなんだよ。これが普通じゃない能力なんだ。何故だか分からないけど、俺には分かるんだ」
「ふぅむ……」
ナキは考え込む仕草をした。
テンヤは、命を奪うしかないと思っていたが、この魔法のお陰でそれも回避できそうだ。使いづらい事この上ないが、これでテンヤの無力化は達成できた。
「……では、今のうちにトドメを差しましょうか」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!? 殺す必要ないって!」
ナキは溜息をして、上目遣いでこちらを見た。
「オミヒト……。いくら魔力を失ったとはいえ、情けをかける必要はないですよ。彼の所業を忘れたのですか? 魔力を失ったから放免、なんて私は納得がいきません」
「うっ、それは……」
確かに、テンヤのした事は俺も許せない。けど、穏便に済むならそれでいいはずだ。
「もちろん放免にするつもりはない。どっか適当な牢屋にでもブチ込んで、二度と悪さ出来ないようにすればいいさ。そうだろ?」
「温いですよ。ここで仕留めるべきです。生かしておけばまた何をするか分かりませんし、こんな男のために消費される飯代がもったいない」
ナキは譲る気はないようだ。かなり意思は固い。
「……お前ら、人の上でごちゃごちゃうるせぇんだよ」
「あっ」
テンヤが目を覚ました。俺が殴ったせいで顔が腫れ上がっている。しかし、魔力を失ったにも関わらず、その眼光は未だ鋭い。俺を払い退けると、無理矢理立ち上がった。足がふらついている。
「オミヒト、本当に彼はもう魔力は使えないのですか? それにしては威勢がいいですけど」
「あぁ、もうこいつは何も出来やしないよ」
「なんだと、てめぇら……」
テンヤはふらつきながらも、掌をこちらに向けた。だが何も起こらない。
「あぁ? ……どういうこった」
テンヤは自分の手を眺めて目を白黒させている。あの時、能力に気付いたものだと思っていたが。もしかして殴られて意識が混濁しているのか。
「あんたはもう二度と魔力を使えない。
「あ…………」
テンヤが口を開けた。どうやら思い出したらしい。呆然としていたテンヤだったが、すぐに持ち直した。
「取引しよう。何が欲しい? 何でも言え! 好きな物やるから、魔力を返すんだ」
「あー、それは無理だ。魔力が返せるかなんて知らないし、やり方も分からない」
そもそも取引したって絶対に返さないけど。すげなく俺が断ると、テンヤは、いきなり俺の胸倉に掴みかかった。俺はあまりのことに動けなかったが、尚も発動中の緑光にテンヤはあっさり阻まれた。
「テメェ!! ふざけんじゃねぇぞ! 無理じゃねぇ、返すんだよ! 今すぐに!! 俺の天災(カラミタ)を!!!」
「よくもまぁ、それだけ噛み付けるものですね。自分の状況を見て、少しは弁えなさい」
見かねたナキが杖をテンヤに向け、制止した。
「うっ!」
白く光る杖を目にしてテンヤはたじろいだ。ナキは、テンヤを俺から離すと、懐から筒を取り出した。それはダメ押しとして用意された魔道具だった。
「オミヒト、こんな人間を生かしておく理由など、やはりありませんよ」
「ナキ、待てって」
ナキは俺の言葉に耳もくれず、筒を杖の先でコツンと小突くと地面へ落とした。筒が地面に触れた瞬間、大地に青白い光が迸った。それは模様を成しており、魔法陣のようにも見えた。
「オミヒト、危ないので離れていて下さい」
「駄目だ、やらなくていい! こんな奴殺す価値もない!」
「いえ、この男の価値は死んで初めて生まれるのですよ」
ああー、駄目だ。ナキに言っても、もう無理だ。でも何とか止めないと。人殺しの場面なんて見たくない。しかも、俺の知ってる人が誰かを殺す場面。なんならこの殺しは俺達の判断によっていくらでも変えられるはずなんだ。俺は必死に頭を回す。
「おい、テンヤ! 今、瀬戸際だぞ! ここでナキに殺されたくなきゃ、謝れ!! 反省するんだよ!!」
テンヤは恐怖で力が抜けたのか、その場にへたり込んだ。
「あ、謝るって……何を?」
「馬鹿ァ! 考えりゃ分かるだろうが!」
「オミヒト、何故そこまで庇うのです? まさか、同じ異世界人だからですか?」
「それは……!」
ナキが殺す姿を見たくない。そう言ったら、気持ち悪いって思われるだろうか。俺は答えに詰まった。ナキはそんな俺を見て嘆息した。
「やはり、そうなのですね。まぁ、仕方ないとは思いますよ」
ナキはテンヤへ視線を移した。燃えるような金色の瞳が、冷酷な眼差しでテンヤを捉えた。
「す、すまん。悪かった。こんなつもりじゃなかったんだ。どっかで間違えたんだ」
テンヤは頓珍漢な謝罪の台詞を吐く。しかし、ナキは聞き入れるつもりはないようだ。
「異世界人テンヤ、あなたに恨みを持つ者達に代わり、引導を渡します」
ナキの胸元あたりに鋭く尖った氷柱が現れた。
「……さようなら」
時間にしてほんの数秒だったと思う。しかし、その瞬間は、俺には数分にも長く感じられた。
――ドスッッ!!!
ナキの放った氷柱はテンヤ……ではなく、俺の右肩にずぶりと刺さった。
「なっ!?」
咄嗟にテンヤの前に飛び出していた。ナキが驚きの声を上げる。緑光で防げると思っていたが、テンヤとの同調が切れたことで緑光は出力を大きく落としていた。肩が熱い、鋭い痛みが生じる。
「うぐぅ……!」
あまりの痛みに俺はうずくまった。肩から血がどくどくと溢れてくる。
「オミヒト! 何故……!?」
駆け寄るナキ。俺はナキの杖をきつく握った。痛みのせいで上手く声が出せない。けど、これだけは言わないと。
「ハァ、ハァ……テンヤ、逃げろ!!」
「……ッ!?」
テンヤは俺の言葉を聞くと、その瞬間、脇目も振らずに、駆け出した。
「何を言って!?」
ナキが杖を向けようとする。俺は力を振り絞って俺の方へ向けさせた。これで意図は伝わるはずだ。ナキは、走り去るテンヤと俺の顔を忙しなく見やる。
「……あぁ、もう! あなたという人は――」
何か言ってるが、よく聞き取れない。視界がぼやける。何だこれは、まさか死ぬなんて事ないよな? 体に力が入らない。段々と意識が遠のいていく。
俺は耐えきれず、遂に瞳を閉じた。
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