第7話
「いやあ、便利な世の中ですね」
地図が表示された祥子のスマホを見て、店主が感心している。祥子は、店主の指示で地図をスクロールさせていた。
「ここです。この場所で丁度二十年前に……」
店主が指をさした場所に祥子はピンを落とすと、地図の縮尺を小さくして現在地との位置関係を確認しているが、稔は店主の言葉で顔を上げた。
「あの、今日ってお母様の命日、ですか?」
「あれ? 言っておりませんでしたかね。すみません、私も色々と動揺していたようで……。ええ、今日が命日なので仕事を終えたらこの場所へ行くつもりでした」
店主はそう言って頭を掻いた。
「三回忌以降はまともな法要も営んでないんですが、事故現場には毎月行っているんです。そして、そこに供えられた花を半分取って墓に」
店主は祥子の祖母が供えた花を、祖母に代わって墓にも供えていたのだ。祥子の口から自然に感謝の言葉が出た。
そして稔は、祥子のスマホに表示された地図と、自分の携帯の画面を交互に見ている。やがて自分の携帯を閉じ、スマホの地図を少し南にスクロールした。
「二人がこの写真を撮ったのはここかもしれないですね」
稔はそう言って、祥子のスマホをテーブルの上に置いた。画面の右上に祥子が落としたピンが表示され、画面中央にはこれといった目印はなかった。
「公園の水辺じゃなかったんですか?」
祥子が鮎川醤油醸造所で聞いた情報を引き出して稔に尋ねた。地図には細い道が南北に伸びるだけで、川すらない。
「水辺さ。公園じゃないけどね」
稔の言葉に、今度は地図を航空写真に表示を変え、さらに拡大して確かめた祥子だったが、やはり水辺と呼べるものはない。
「その地図には写っていないよ。今は溜池が無くなっているからね。でも、桜の樹は今もあるらしい」
稔によると、いや、新しく届いた鮎川醤油からのメールによると、二十年前、この場所のしだれ桜が狂い咲いて、新聞やテレビでも報じられたそうだ。昭和十五年に植えられたとされるその桜は、私有地にありながら現在でも多くの見物客が訪れる。場所は広島県山県郡の北部。
稔は写真館で得た「秋に咲く桜」という情報を、鮎川醤油からメールが届いた直後に追加で知らせていたのだ。
「ご主人もこの場所に行って見られますか?」
「ええ、もちろん。お二人の後をついて行きます」
全てを偶然として片づけるには、出来過ぎているのではないか。目的地を目指す車中で、祥子は稔に対して胸の内を明かしたが、稔は「亡くなった二人の計らいだろう」と本心なのか疑いたくなる意見を出すのみだった。
「中本さんって、いつから今のお仕事を?」
話題を変えた祥子に対して、稔は「ん?」と口にした後にその質問に答えた。
「いつから、ねえ……。腰を据えて働き始めたのは、今年の春からだけど。でも、中学の頃にはちょくちょく手伝わされていたから」
「そうなんですね。大変じゃないですか? 探偵のお仕事」
稔はその質問に苦笑した。
「大変そうに見えるかい?」
質問に質問で返した稔に、祥子は首を横に振った。
「見えません。おいしいものばかり口にして、ずっと笑ってますもん」
「ハハハ、確かに今日はそうかもしれないね。いや、変な話、俺は自分のことを探偵だと思ったことがないんだ。きっとうちのお客さんたちの多くもそうだと思うよ。うちを探偵社だと思っていない。便利屋か何かだと思ってる」
確かに浮気調査や素行調査をしない探偵は、便利屋と変わらないかもしれないな、と祥子は納得した。だが、そこでひとつ疑問が浮かんだ。
「おばあちゃんって、中本さんに何か依頼したことがあったのかな……」
「そうみたいだね。俺はどんな依頼だったのか聞いてないけど、多分……」
稔はそう言って、左手の人差し指を自分の肩越しに後ろへと向けた。祥子がその指の先を見ると、後ろからついてくる軽トラのヘッドライトが目に入った。
「え? じゃあ、初めから写真の場所へ一緒に行っていた人はわかってたんですか?」
蕎麦屋の主人が店を開いて間もなく、どこから話を聞いたのか祥子の祖母が店に来たと話していた。その「どこから」が中本探偵事務所だったということだ。
「多分、だよ。まあ、親父はね、たまにやるんだよ。答えは出ているのに、俺を試すようなマネを。でも今回は、それだけじゃ写真の場所まではわからなかったし、いつものことでもあるし、腹は立たないけどね。祥子ちゃんもお父さんからは嵌められたんだろう?」
「はい。私も多分、ですけど。写真をわざと私の目につく所に隠して、デートの相手を突き止めてもらおうとしたみたいなんです。自分で調べてもらえば良いのに。結局男の人じゃなかったですけど」
「そっか。きっと、疑う自分が嫌だったんじゃないかな。でも真実は知りたい。その間で悩んだ結果だと思うよ」
車は中国自動車道を降りて、目的地に近づいてきている。ナビが右折後五百メートルで目的地だと告げると、祥子はシートに深く座り直して背筋を伸ばした。
「さて、もうすぐだ」
稔も前方に集中して、曲がる場所を間違えないように目を凝らした。街灯もない田舎道だ。周りは山に囲まれていて、ヘッドライトが届かない場所は目を凝らしても何も見えない。
祥子はナビに表示されている時刻を見た。八時五分前。窓を少し開けてみると、車内に流れ込んでくる風はかなり冷たくなっていた。
「さ、着いたよ」
稔がハザードランプを付けて車を左に寄せ停める。後ろからついてきていた軽トラも停まり、二台の車のヘッドライトが消えると、光と共に音も消えた。闇と静寂の世界だ。だが、右側に視線を向けると、民家の灯りが目に入った。一軒だけだが、それでも祥子は温かさを感じた。
車を降りた稔は、写真を出して実際の風景と比べて見ている。だが、明確にこの場所だとは断言できなかった。今稔が立つ道路も、最近拡張整備された様子だ。道路から桜までの距離は同じようにも見えるが、はっきりしない。稔の横に立った祥子も同じ感想を持った。
「母が最期に来た場所……。ここがそうなんでしょうか?」
軽トラから降りてきた店主が、ハザードランプの点滅に合わせてうっすらと見えるしだれ桜のシルエットを見て呟いた。それに稔と祥子は言葉を返さなかった。
その時、桜の樹の横に建つ民家から、人が出てきた。懐中電灯の光が、道路の方へと近づいて来る。
「こんばんは。すみません、夜分にお邪魔しています」
道路から民家までは五十メートルほど離れていたが、何もない山の中だ。点滅するハザードランプが気になって出てきたのだろうと、稔は住人に頭を下げた。
「いや、ええんですよ。事故か、故障か、何かあったんかと思うて。何事もないですかいの?」
そう言って近づいてきたのは、八十歳前後の優しそうな顔をした男性だった。
「ええ、大丈夫です。ちょっと桜を見に来ただけで。立派な桜ですね」
稔がそう言うと、老人は少し驚いた様子だった。
「おや。桜が咲いた話を誰かから聞きんさった?」
それを聞いて、今度は稔と祥子が驚いて、互いに顔を見合わせた。
「桜、咲いているんですか?」
祥子がそう聞くと、老人は頷いた。
「咲いたっちゅうても、少しじゃけど。なんや、知っとったわけじゃないんか」
二人が頷くと、老人は「ちいと待っときんさい」と言って、家の方へと戻っていった。
「最近暖かかったからかな? まさか咲いてるとはね……」
稔が誰にともなくそう言った。そして、しばらくすると、しだれ桜が闇の中に明るく浮かび上がった。老人がライトアップ用のライトを点けたのだ。
「すごい……」
祥子の目に、花開いた桜は見当たらなかったが、天高く伸びた後、柔らかく降る雨のように地面へと降り注ぐ見事な枝ぶりに、思わず溜息が漏れた。この桜が満開になったら。それを想像しただけでも鳥肌が立った。
「祥子ちゃん、左の端の方。一番地面に近い辺り。見えるかい?」
稔は顔を祥子の近くに寄せて、その場所を指さした。
「あ、見えました。あそこですね」
そこには確かに桜が咲いていた。稔は店主にもその場所を指し示す。そして、今度はまた別の場所を見るように稔は言った。
「ねえ、空を見てみなよ」
稔に言われて、祥子は空を見上げた。瞳に焼き付いたライトの灯りが消えると、いつの間にか空を覆っていた雲が消え、満天の星が広がっていた。
圧倒的な景色だった。
無数の星の光で、真っ黒に塗られていただけの山々も、その稜線をくっきりと浮かび上がらせている。
そして、それはしだれ桜の真上にあった。
「秋の大四辺……。やっぱりここなんだ」
祥子は稔から写真を受け取り、目の前に広がる景色と比べた。やはり断言はできない。しかし、裏に書かれてある短歌を読むと、確かにここだと確信した。
祖母はペガサスか、あるいはペガサスの向かう先に、若くに死に別れた祖父を見ていたのだろう。そして、淡く照らされているのは桜の方ではなく、星空の方だ。ライトアップされた桜の美しさを星にも届けたい。その願いを歌っているように見えた。
祥子は心の中でその歌を何度も繰り返した。
祖母やその友人。写真でしか見たことのない祖父にも届けと。
「ただいまー」
そっと玄関を開けて、祥子は小声で帰宅を告げた。もうすぐ日付が変わろうとしている。
「お帰り。どうだった?」
祥子の予想に反して、そう尋ねてきたのは母だった。
「うん。人生って割子蕎麦みたいなものなんだね」
「割子蕎麦? なにそれ」
母は祥子が何を言っているのかわからずただ笑っていた。
「あれ? お父さんは?」
祥子は首を回してキョロキョロしているが、リビングに父の姿はない。
「中本さんから連絡があってね。祥子に企みがバレてるって知って、先に寝ちゃった」
母はそう言って笑っている。
「なんだ。じゃあ、やっぱりお母さんもグルだったの?」
「さて、どうでしょう。私ももう寝るね。明日は早いから。祥子もお風呂入って早く寝なさい」
「うん。わかった」
正直祥子は細かいことなど、もうどうでも良かった。少々くたびれはしたが、この日の素晴らしい体験をさせてくれた祖母に感謝していた。
「お母さん」
二階の寝室に行こうと、階段の電気を点けた母を祥子は呼び止めた。
「ん?」
立ち止まった母が首だけ祥子に向けた。
「ありがとう。お父さんにも、ありがとうって」
「うん。おやすみ」
「おやすみ」
桜の花を咲かせるほどに暖かかった冬の始まりの日の夜、祥子は探偵になる夢を見た。
星夜の桜 川内 祐 @ukizm
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