第12話 蕾
「仕事はどう?」
二か月ぶりに病院へ行くと、仕事での様子を聞かれた。
「とりあえずまだ始まったばかりなので、教えてもらいながらやってます」
「睡眠はとれてる?」
「睡眠薬には頼ってますが、一応朝まできちんと眠れてます」
カルテには多分受け答えした内容が書かれているのだろうが、少し気になってしまう。
「何か気になることはある?」
「今は何とも言えないですね」
「辛くなったら休んで、病院に来ていいから。とりあえずはまた二か月後にしましょう」
「はい」
「あとは、息抜きをする方法を探すといいと思う。友人と遊ぶのもいい発散になるし、外に出る習慣が身に付くと気分転換にいいからね」
わかりました、と言って診察室を後にする。
その後は薬をもらい、病院を後にした。
盛岡の病院だったので、こうやって近くに住むようになると行き来がだいぶ楽になった。
仕事をし始めてから最初の通院だったが、さっきも話した通り、今は何とも言えない。微妙だともいえる。
「もう仕事変えたくないもんな」
転職を繰り返すのは海外と違い、あまり良い印象を持たれないため、ここでしっかりと働いていきたいという気持ちがある。
息抜きについては、前と違いあのメンバーと遊ぶことや、キャンプという趣味を見つけた。だから前の自分よりは少し楽になれる術を見つけたと思う。
「ただなぁ」
問題はある。恵のことだ。
引っ越し祝い以降、特別連絡とったり遊んだりしたわけじゃないけど、恐怖感にかられてしまう。
恵に嫌われたらどうしよう、どうなってしまうんだろう、と。
廣井さんのようにありがとうと言えるだろうか、友人として仲良くできるだろうか、不安と恐怖にさいなまれる。
眠れているのは本当にありがたい。
これで眠れていなければ生活にも支障が出る。
ともなれば仕事もできなくなってしまうからな。
今は仕事に集中することができるだけまだいい。特に始めたばかりだから覚えないといけないことが多い。
「とにかく、仕事覚えてからだよな」
仕事もできないやつが付き合いたいとか考えるのは都合がよすぎる、そう思って帰宅した。
仕事を始めてから一か月。
まだまだ慣れない中でもとりあえずやることはわかってきた。基本は流れ作業だから、基本がわかってしまえば正直簡単な方だ。
定時で終わった金曜日、ご飯を食べて風呂に入る。
「明日何しようかな……」
今までは慣れていなくて疲れて寝てるだけだったが、ようやく週末の予定を考える余裕が出てきた。
「そうだ、キャンプに行こう」
先生も言っていた。外に出る習慣。
趣味に没頭するのもいい休息になるだろう。
前回川下と遊んでから時間たってるし、恵に対しての気持ちの伝え方とか、教えてもらえるかな。
風呂から出て川下に連絡する。
「明日は仕事か?」
『すみません、仕事でして』
ごめんなさいというスタンプが送られてきた。
「いや、こっちこそ急ですまない。あと、俺仕事について水沢にいるんだ」
『そうなんですか⁉ 仕事決まってよかったですね。車で三十分くらいですから、今度休みが合えば遊びましょう』
休みを伝えておかないとな。
「俺、基本土日休みだから」
『わかりました! 今度予定合わせましょうね!』
ちょっと早いけどお休みのスタンプを送る。
川下がダメなら鈴香さんだろうか。いや、仕事かもしれないしな。仕事の後ならいいかもしれないけど。
なんだか恵を誘うのは恥ずかしい。
そうだ、ここは久しぶりにソロキャンにしてみようか。
朝から荷物を揃える。久しぶりのソロキャンだから、なんだか不思議な感覚がある。
「多分これでいいだろ」
向かうキャンプ場は星空の森。
週末で騒々しいかもしれないけど、星空や焚き火を見て考え事をするのにはいい場所なんだよな。
駐車場に停めて受付に入る。
「こんにちわー」
「あ、こんにちは」
迎えてくれたのは妹の涼音さんだ。
「涼音さんも受付の仕事してるんだ?」
「はい。お小遣いもらえますから」
高校生だもんなー。遊ぶお金欲しいよな。
「お姉ちゃんならドッグランにいますけど」
ドッグランか。後で行ってみようかな。
「とりあえず今日一泊お願い」
いつも通りにカードをもらってテントを張る。
「大体整ったかな」
チェアなどを用意して焚き火の火をつける前まで準備する。
「よし、ドッグランに行ってみよう」
以前川下といったドッグランに行ってみる。
今回はキャッチボールをしている親子はいないが、犬があちこちを走り回っている。
「鈴香さんはっと」
そこまで広くはないドッグランなのですぐに見つかる。鈴香さんはボールを投げるとこだった。
「あ、鈴香さーん」
手を振ると、投げる瞬間だったせいでボールが変な方向に飛んでいく。
「あ」
だが、きれいな毛並みをしたゴールデンレトリバーがそのボールを追いかける。
「コロー、よく拾ってきたねー」
犬の名前か。よしよしと撫でまわしている。
「成仁さん、ご無沙汰してます」
「ゴメン、変なタイミングで呼んじゃって」
コロと呼ばれた犬が俺のにおいをかいでいる。手を差し出すと、ぺろぺろと舐めてくる。くすぐったいな。
「いえ、大丈夫ですよ。今日は宿泊ですか?」
「そうだね。なんていうか、一人の時もいいかなって」
……
なんかちょっと沈黙があるぞ?
「そうなんですね。確かに一人で物思いにふけったり休息するのもいいですもんね」
あ、と手をたたき、鈴香さんがボールを差し出す。
「成仁さんもコロと遊んでみませんか? この子人懐っこいんで、すぐに言うこと聞いてくれますよ」
そうなの? 尻尾振って本当遊びたそうにしてるな。
「じゃあコロ? いくよー」
あんまり遠くに投げないようにアンダースローでポーンと投げると、コロはその軌道を追って猛ダッシュしていく。
「持ってきたら撫でてあげてください」
「わかりました」
言われたとおりにボールを受け取り、撫でてやる。
「じゃあもう一回行くよー」
もうちょっと遠くに投げる。
「コロってどうしてこの名前か、分かります?」
いきなりのクイズにクエスチョンマークが出る。
「生まれた時丸くて、ころころ転がっちゃいそうなくらいだったんで、コロなんですよ」
おかしいでしょう、と笑っている。
なんだろう、俺を笑顔にさせようとしてくれてるのかな。
「そうなんだ。可愛いもんね」
ニコニコと鈴香さんは笑ってくれる。
「よーしよし。鈴香さん、何かおやつと買って持ってませんか?」
「チュールがありますよ」
コロにチュールを与える。美味しそうにぺろぺろ舐めて。あ、俺の手まで舐めてるな。
「匂いがついてるから舐めちゃうんでしょうね」
コロを撫でまわすと、コロも負けじと乗っかって舐めてくる。
「こらこら」
笑いながら、でも嫌がるわけでもなくじゃれあう。動物って癒されるなぁ。
「それじゃあ成仁さん、また後で」
「はい」
え? またあとで?
よくわからないが俺は一旦戻り、薬の湯で最近の仕事の疲れや遊び疲れを癒す。
その後は焚火をし始め、火が付いたら夕飯の支度をする。
家でスライスしておいたニンニクをオリーブオイルで炒め、唐辛子を入れてさっと炒める。パスタを二つに折って入れ、水を入れたらコンソメを入れて一旦沸騰させる。あとは茹で時間通りにして、水分がなくなるまでかき混ぜる。最後にパセリを入れたらペペロンチーノの完成だ。
メスティン料理は初じゃないだろうか。次来るときはご飯炊いてみよう。
こうやってキャンプ飯スキルも上達していくんだなぁ、としみじみ思いながら食べるペペロンチーノはなんだかお店で食べるものよりおいしく感じた。
ただ、ちょっと少なめだったかな?
「成仁さん」
ビクッとした。ご飯食べてるときは油断しやすいって本当だな。
後ろを振り返れば鈴香さんが来ていた。
「あ、もしかしてキャンプしてた?」
「はい」
ニッコリ笑顔で返事をする。純粋な笑顔はほっこりさせるものがあるな。
「あの、ちょっと多かったんですけど、このタコスライスいりませんか?」
タコスライスとはまた、オシャレなものを作るな。
「ちょうど少し足りないと思ってたんです。いただきます」
うん、美味しい。キャベツのシャキシャキ感がいいアクセントにもなるし、炒めたひき肉がまた美味しい。
「ごちそうさまでした」
洗うからいいですよ、と鈴香さんはタコスライスの入っていたシェラカップを受け取る。
「今日はコロと遊んでくださってありがとうございました」
「いや、こっちも楽しかったよ」
「今、ちょっといいですか?」
大丈夫と返事をすると、鈴香さんはチェアを向こうから持ってきた。今日はそこまで近くにはテントを張っていないようだ。
さて、何か話があるのかな?
「あの、何か悩み事でもあるんじゃないですか?」
おっと。
いきなりなんか深いところに来たな。
「そう見えます?」
「はい」
俺ってそんなにわかりやすいんだろうか?
「最近までとても明るくなってたのが、少し伏し目がちだったので」
あー。
コロと遊んだりしてわからないくらいだと思ってたのに、よく見てるんだなぁ。
さて、どう言ったもんか。
「あ、話したくないことだったらいいんですけど、もし私でも相談に乗れることだったら。ほら、関係ない人には話しやすいとかありますよね?」
関係ないって言ったら失礼だけど、確かに直接的には関係ない。
「じゃあちょっと聞いていい?」
「どうぞ。私で答えれることでしたら」
デートの誘い方について。
「例えばだけど、鈴香さんをデートに誘うとしたら何て言って誘ったらいいかな?」
「へっ⁉」
素っ頓狂な声を出してうろたえる。
「えと、例えばの話ですよね?」
「あ、うん」
そうですね、とかうーん、と悩んでは俺を見る。
「成仁さんからでしたら、いつも通りキャンプに行こう、でいいと思います」
そうなの? あー、まぁ恵とキャンプは行けるもんなぁ。でも
「いつもキャンプでいいのかな? 普通の、ショッピングとか」
「そうですね。そういうのもありですけど、私は気にしませんよ」
そうなのか。
「あ、たまにはおさがりじゃなくて、自分のキャンプ用品を見て回る感じでウィンドウショッピングするのもいいですね」
あぁ、お互いに共通する趣味で街中ぶらついたりとか、いいかもな。
「成仁さん、私その、デートとかまともにしたことないんで」
「あぁ、いいよ。参考にするくらいにしておくよ」
鈴香さんの顔が赤くなっている。恥ずかしいこと聞いちゃったかな。
「ごめん。ちょっと質問が飛びすぎちゃったかな」
「いえいえ、あの、私なんかでよければ」
「なんか、じゃないよ」
これは恵にも言われたことかもしれないけど、
「鈴香さんはすごくいい人だよ。付き合いの浅い俺が言っても説得力ないけどね」
アハハとは笑う。
「ありがとうございます」
そう言って鈴香さんはくすっと笑ってくれた。
「私、大学の合コンとかも行ったことあるんですけど、キャンプに全然興味ない人とかだとちょっといいやって思っちゃって」
住みわけが難しいのかな。
「俺の場合、もともと同じ趣味の集まりで合コンっぽいことしてたから、あんまりそういうこともなかったかな。知らないことも受け入れちゃって」
「大人ですねぇ」
「いや、それは個性じゃないかな」
俺だっていやな領域はあるだろうし。
「そういってくれる、キャンプに興味のある男性とかいいですね」
言ってからハッとして、慌てる。
「その、これは成仁さんが特別いいって言ってるわけじゃなくて、でも勘違いしないでくださいね。嫌なわけじゃないですから!」
分かってる。そういう風に想われてないことくらい。
「大丈夫だよ」
そう言ってコーヒーを飲む。
ん?
「蛍か」
「あ、ちょうど今の時期は蛍が観られるんです」
それほど多くはないが光りながら飛んでいる。
「綺麗だね」
「はい」
二人でホタルの飛ぶ先を眺めると、次第に星空へと視線が上がっていく。
「今日もいい天気だ」
「天体観測にはもってこいの天気ですね」
空には夏の大三角が見える。
その三角形の中に入るように蛍の光が行き来している。
「また見られるかな」
「どうでしょうね。虫の命は短いですから、多分来月くらいまでだと思います」
八月か。コミケがあるんだよなぁ。
さすがにそのあたりには来れないだろう。
「来れるかちょっと怪しいけど、なるべく善処するよ」
「無理しないでくださいね」
優しく言ってくれる。いつもありがたい。
「長居しちゃいましたね。すみません」
「いや、そんなことないよ。ありがとう」
鈴香さんが控えめに言ってくる。
「あの、もしキャンプとかのお誘いあれば、できるだけ空けるようにしますから」
「わかった、その時はよろしくね」
「はい!」
満面の笑みでテントに帰っていった鈴香さんに手を振って見送る。
さて、洗い物でもするかな。
「こういうタイミングで恵と来てたらよかったかもなぁ」
蛍を目で追いながら歩く。
だが今になって思っても仕方がないし、何より今までどうやって誘ってたっけと思ってしまっているのだ。
いつも通りでいいはずなのに。
「怖がってるだけなのはわかってるけど」
なかなか一歩踏み出せないのは弱いなぁ、俺。
翌朝。
朝ご飯をとる。袋ラーメンに卵とねぎをのせるだけでも本当に何か違う気がする。
「やっぱキャンプ飯は特別だよな」
片付けてテントも畳む。
辺りを見回して忘れ物がないか、ゴミが落ちていないかを確認する。
「よし」
カードを返しに行くと、鈴香さんのお父さんがいた。
「今回も利用してくれてありがとう」
「ここ、星空がきれいですし、格安ですごく気に入ってます」
正直な気持ちを伝える。
「でも一部値上がりしちゃったからね」
「しょうがないですよ。それでも格安ですし、整備も大変でしょうし」
お父さんが、そうだと手をたたく。
「澤海君、うちに来ないか?」
「はい?」
どういうことだ?
「うちに養子に来て働かない?」
「いやいやいや、いきなり何を言ってるんですか?」
飛びすぎてるだろ!
「人手があればいいなぁと思ってたんだけどなぁ」
それにしたってちゃんと人選んで!
「鈴香も澤海君のことは気に入ってるんだよ」
それは初耳だ。
とはいえそれとこれは違うだろう。
「仮にそうだとしても、鈴香さんがそこまで想ってるとは思えないですよ」
「そうかなぁ」
お父さん軽すぎ!
鈴香さんがそう想ってくれたら嬉しいけど、それはあり得ないし今俺は好きな人がいる。その人を投げ出すようなことはしたくない。
「そうだったとしても本人じゃないんですから、簡単に言っちゃだめですよ」
なんで俺が教えてあげる立場にならにゃならんのか。
「わかったよ。まぁでも利用してくれて本当にありがとう」
それだけで十分です。
「すぐには出来ないかもしれないですけど、また利用させてもらいますね」
「あぁ、よろしく頼むよ」
鈴香さんがそう想ってるはずない。
何度もそう言い聞かせながら帰った。
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