Chapter20

―怜二―

会社から一駅分くらい離れた場所にあるカウンタ―式の居酒屋で、ナベさんと二人並んで座る。

こぢんまりした店で、俺たちの他には年配のサラリーマンが手酌をしながら飲んでいるだけだった。

「ここなら誰も知り合い来ないだろ。静かだし。」

おしぼりで手を拭きながら、何飲む?とナベさんが聞いてくるが、日本酒の瓶ばかりが目について困ってしまう。

「俺、日本酒なんて飲んだら潰れてまうわ…。」

「何言ってんだよ、名木ちゃんじゃあるまいし。酔わなきゃ面白くないじゃん。」

「いやぁ…また悪酔いして、変な事言うてもアレやし」

「また?」

怪訝な表情をされて、はっとなる。

「あ…い、いや。ビールにしとこうかな?」

「ふうん。じゃあ俺も、付き合うか。」

ナベさんがカウンターの中の店主に向かって、瓶ビールとつまみをいくつか注文する。

ナベさんの目の前に瓶ビールとグラスが二つ置かれる。お互いに酒を注いで、軽くグラスを合わせた。

「お疲れ。」

「お疲れ様です。」

半分くらい飲んでグラスを置く。ナベさんは喉が渇いていたのか、ほとんど一息に飲んでしまったので、またすぐに並々と注ぎ足してあげた。

「さんきゅ。…で。」

つまみに頼んだ塩らっきょうを箸で掴みながら、ナベさんがこちらを向く。

「遠回しに聞いてもはぐらかすから、単刀直入に聞くわ。」

言いながら、らっきょうを口に入れて咀嚼し始めたので、俺もビールのグラスをもう一度手にしたら。

「三浦と付き合ってるんだよな?」

グラスを落としそうになった。

「なっ…はい??」

「違うの?違うなら違うって言え。」

冗談ぽくも強い口調で言うので、俺もむきになって言い返す。

「違いますよ!どこからそんな話に…っ。」

「だって前にほら、俺聞いたじゃん。」

「何をですか。」

「三浦の事、好きなのって。そしたら逃げたよな、お前。」

「…っ。」

明るい照明の下で、隠しようもなく顔が赤くなるのを感じる。…そういえば、そんな事を聞かれたような。

「何言うんですか…俺も三浦も、男ですよ。」

視線を逸らし、誤魔化すようにグラスを呷る。

「だから何だよ。」

「…おかしいでしょ、男同士で社内恋愛してたら。そういう店とかならともかく。」

自嘲気味に言いながら、若い頃はそんな場所にも出入りしたなあ、と思い出す。

「でもさ。」

勝手に俺のグラスにビールを注ぎ足しながら、ナベさんは言う。

「佐伯、ゲイだろ。」

「…は?」

ナベさんの顔を見た。ごく真面目な表情で、見返される。

「何て?」

「え、何。ばれてないとでも思ってたわけ?」

「ちょ、ちょお待って。それ、誰かが言うてるんですか?」

「言ってるね。」

「は?!誰が…っ」

「俺。」

「…。」

軽い頭痛を覚えてこめかみを抑える。カマを掛けられたんだろうか。

「…何でそう思ったんですか。」

諦めて聞くと、やっぱそうなんだな、と呟かれたのでやはりカマを掛けていただけだったらしい。

「お前、モテるのに女の子に興味なさすぎだからさ。前に合コンした時だって、連絡先聞かれてたのに、うまい事言って全部はぐらかしただろ。」

「それは…」

「で、彼女いるのかと思えば、そうでもないし。」

レンコンのきんぴらをつつきながら、それに、とナベさんは続ける。

「三浦に、『可愛い』って言われて動揺しすぎ。」

「…あー…。」

最初から全部ばれてたのか、と思ったらため息が出た。

「で、どうなの三浦と。」

「何も無いですよ。ナベさんが期待してるようなことは、何にも。」

お通しの枝豆に手を付け、ビールを口にする。ちょうどいい塩加減で、ビールが美味しい。

「…ただ、ちょっと。余計な事を話しすぎました。」

「余計な事って?」

聞かれ、かいつまんで大阪での出来事を話す。

元恋人に偶然会ってしまったこと。三浦が、シャワーが壊れたと嘘をついて部屋に来たこと。悪酔いして過去の恋愛について話してしまったこと。

不意に抱きしめられて、動揺してしまったこと―。

「…へえ。なるほどね。」

飲みかけのグラスを手に持ったまま、ナベさんは静かに相槌を打ってくれる。

「で、今ぎこちない、と。」

「…まあ、はい。」

泡の消えたビールの表面を見つめる。結露がグラスの縁を伝って、テーブルに小さな染みを作った。

「三浦ってさ。」

「はい?」

「佐伯が異動になることは知ってんの?」

皿に残ったきんぴらを箸で寄せながらさらりと聞かれ、それはまだ、と普通に答えかけて驚いてナベさんを見た。

「何で知ってるんですか、それ。」

「秘書課とか総務課とか、女の子ばっかだから噂回るの早いんだよな。知ってる奴は知ってるよ。名木ちゃんも、どこかで聞いて知ってたし。」

「まじすか…一応、まだ内密な話なんやけど。」

正式に内示が出るのは、早くても異動の一か月前だ。

「じゃあ言ってないんだ、三浦には。」

「はい、まあ…言わなあかんかな、と思ってはいたんですけど。」

もしかして、と思い当たる。名木ちゃんと昼休憩に行ってきてから三浦の様子がおかしいのは、この事を聞いたから?

「嘘だろ。」

「え?」

ナベさんを見る。

「何が…」

「いや、前もって言うつもりなんか無かっただろってこと。」

図星だった。

三浦に、わざわざ言うつもりなんか無かった。内示はフロアの掲示板に貼りだされるし、そうしたら嫌でも目にするだろう。

仕事の引継ぎは少しずつ行っているし、異動一ヶ月前に知ることになったって、業務に差し支えることは無いはずだ。

そう。仕事上は問題ない。

けれど。

「三浦、何て言うんだろな。」

言われて、心臓がつきんと痛む。

「寂しがるんじゃないの?」

「…まさか。」

「何で。あいつ結構素直だぞ?」

「知ってますよ…。」

知ってる。嫌というくらい、知っている。

いつも、言うこともやることも直球で。嘘が苦手でバカ正直で。一つの事にしか集中できなくて、食べながら話すことすら苦手で。

思い付きで行動して、後先考えてなくて。どんな時でも自分の気持ちに素直で、まっすぐで、優しくて―。

「…寂しいなんて、言うんやろか…。」

ぬるくなりかけたビールのグラスを手に取る。

「言われたらどうする?」

「…困るわ。そんなん…。」

寂しくない、と言われたら、悲しいと思う。

だけど…寂しい、って言われたら。

寂しい、なんて、言われてしまったら―。

「…ナベさん。」

グラスを持ったまま、額を手の甲に載せて俯く。

「俺、三浦が好きです…。」

語尾が掠れる。

喉の奥から絞り出した一言に、ナベさんは、うん、と頷いてくれた。

「やっと認めたな。」

「…だめですよね、こんな…あいつ年下やし、会社の後輩なんやし。俺がちゃんと面倒見てやらなあかんのに、変なところで気い遣わせてばっかりやし。しかもこんな、どうしようもない下心まで出来て…ほんまに、自分が嫌やわ…。」

「…うん。でも、好きなんだろ?」

はい、と答えたけれど、声が出ない。

「…好きです…どうしようもないのに、ほんまに苦しい…。」

ナベさんが、ゆっくり背中をさすってくれる。泣いてると思われたくなくて、顔を上げてぎこちなく笑った。

「ごめんなさい。大丈夫なんで、俺…」

「無理すんなよ。」

こつん、と額を小突かれる。

「大丈夫じゃないのに、大丈夫なふりするな。」

「…っ。」

視界が潤む。堪えきれずに、頬を涙が伝っていく。

「…いつも、こうなんです…」

「うん?」

「俺が好きな人は、絶対に、俺を好きやない…いつも一方的に、俺が好きなだけで…っ」

「何で決めつけるんだよ。」

俺の肩に置かれた手に力がこもる。俺は目元を拭ってかぶりを振った。

「ナベさん、今の話…誰にも言わんといて。酒の席の戯言ざれごとや思うて、忘れてください…」

「佐伯…。」

「好きやなんて、言えへん…絶対言えへんから…。」

ナベさんはそれ以上何も言わず、黙って背中をさすってくれた。

夜が更けていく。叶わない恋なんて数えきれないくらいしてきたつもりだけど、こんなに苦しい気持ちになったのは初めてだったかもしれない。

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