Chapter12

―匠海―

会社の最寄り駅から15分くらい先の駅で乗り換え、次の駅で降りる。

記憶を頼りに住宅地の中を歩いて行くと、見覚えのある白いマンションが見えてきた。

右手にぶら下げた、雪の結晶柄のショッピングバッグを握りなおす。

さすがに部屋まで押し掛けなくても良かったか、と今更ながら躊躇する気持ちが鎌首をもたげる。

袋の中身は、ドーム型のガラスのケースに入ったキャンディだった。よく行く得意先の会社近くに店があり、ウインドウ越しによく見ていた物だ。

…お礼の菓子折りが、キャンディじゃ格好がつかないか?やっぱり、買いなおして…また会社で渡した方が…。

考え始めたら色々気になって、オートロックのインターホン前から動けない。

「あら、どうしたのお兄さん?」

「はい?」

急に声をかけられて振り返ると、母親と同い年くらいの女性が、買い物袋を提げてこちらを見ていた。

「あ、ごめんなさい。邪魔でしたね。」

慌てて自動ドア前からどく。女性は鍵を差し込みながら、「どなたかに、ご用事?」と聞いてきた。

「あーその…会社の先輩がここに住んでいて。」

「あら。もしかして佐伯君かしら。」

「え、そうです。お知り合いですか?」

驚いて聞くと、途端に女性は相好を崩した。

「知ってるよ、いい子よねえ。私、足が悪いんだけどね、この間なんかごみ捨てに行くのに手伝ってもらっちゃって。」

「はあ。」

「本当に優しい子よね、かっこいいし。」

「そうっすね…。」

どう反応したものか困っていると、自動ドアが開いた。何故か女性に背中を押される。

「え?なんですか。」

「まあまあ、一緒に入っちゃいなさいよ。佐伯君なら、もう帰ってるわよ。車あったから!」

「いいんすか?」

セキュリティ的に大丈夫なんだろうか、と内心首を傾げつつ、つい流されてエントランスに足を踏み入れてしまう。

女性と一緒にエレベーターに乗り込む。迷うことなく3階のボタンが押され、次いで5階のボタンが押される。

「よくご存じですね…。」

「朝、よく会うのよ~。いつもにこやかに挨拶してくれてね…」

女性はよっぽど佐伯さんの事を気に入っているのか、次から次へと誉め言葉ばかりが出てくる。聞きながら、段々微笑ましい気持ちになって来る。

やっぱり優しい人なんだな、佐伯さん。

確かに自分も、入社当初は”優しい”先輩だと思っていた。いくらミスしても決して声を荒げたりしないし、こちらが気にし過ぎないように、さりげなくフォローを入れてくれたり。何があっても、いつも微笑んでいる印象が強かった。

だけど最近は、本当に色んな表情を見せてくれる。

照れたり慌てたり、ちょっと意地悪な嫌味を言ってきたり。俺がお弁当を食べてる様子を、不安げな表情で見ていたり。美味しいって言うと、ちょっとだけ耳たぶを赤くして、嬉しそうに笑ってくれる。

―もっと、色んな佐伯さんが知りたい。

そんな風に思う自分に、最近少し戸惑いを感じている。

「着いたわよ、部屋は分かる?」

声をかけられてハッと我に返った。

「あっ、はい。ありがとうございます。」

「開」のボタンを押したままニコニコ手を振ってくれる女性に軽く会釈し、エレベーターを降りる。

角を曲がり視線を巡らせたところで、―足が止まった。

…佐伯さんだ。

部屋の前で誰かと話している。相手は背の高い男だった。

黒いライダースジャケットのポケットに手を突っ込み、ちょっと近過ぎるくらいの距離で佐伯さんに何やら話しかけている。

何となく、身を隠した。手に持った紙袋がガサっと音を立てたので、慌てて後ろ手に持ち替える。

そっと、顔を覗かせて様子を窺った。

佐伯さんは俺に背中を向けていて、表情は分からない。距離が遠くて会話の内容は聞こえないが、あまり雰囲気は穏やかではなかった。

揉め事なのか?

止めに入るべきなのか迷って見ていると、男が突然、佐伯さんを扉に押さえつけた。

「ちょっ…!」

慌てて足を踏み出しかけ―固まった。

男は佐伯さんの唇に、強引に自分のそれを押し付けていた。

何が起こっているのか分からず、呆然と見てしまう。佐伯さんは抵抗するつもりもないのか男にされるがままで、やがて諦めた様に男の背中に手を回すのが見て取れた。

ゆっくり、足音を立てないように後退る。エレベーターの前まで戻り、思い出したように跳ね上がった心臓の鼓動を抑えるように胸に手を置いた。

…今のは、一体。

乱れた呼吸を整えるため何度か深呼吸を繰り返し、恐る恐るもう一度、物陰から様子を窺う。

―いない。

握りしめていた紙袋の持ち手が、くしゃりと音を立てる。

部屋に上げたんだろうか。だとしたら、今のは…恋人?だけど、相手は男…。

混乱する頭の整理がつかないまま、さっき見た映像が脳裏に焼き付いたまま離れない。

同じ階の住人が俺の事を不審そうに見てくる視線に気が付くまで、俺はその場から動けなかった。

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