魔術的掌編集

葉山礼加

琥珀色の龍

「琥珀色の龍のあざなんて見たこともない」それがひじりの口から出た始まりの言葉だった。

 四歳の娘・由架ゆかが「背中が痛い!」と泣きわめくたび、聖は吹雪の夜でも町外れの小さな医院へ駆け込んだ。しかし診察台に上げた途端、龍のあざは霧のように消え、痛みも嘘のようにおさまる。カルテには「異常なし」と書かれ、看護師は気まずそうに視線をそらし、聖だけが狂人扱いだった。妻を病で亡くし、山で獲物を撃って暮らす聖は、銃を撃つ音だけが心の空白を埋めてくれると信じていた。けれど最近は引き金を引くたび由架の叫びが耳に残り、あたたかい血が雪を染めるたび胸が冷えた。家に戻れば木の壁にかかる猟具が闇で獣の骨のように浮かび、寝台のそばでは由架がすすり泣き、聖は枕元で何度も謝るしかなかった。


 そんな夜、聖は奇妙な夢を見る。凍った湖の氷が割れ、金色の龍が姿を現す。鱗は星のように光り、目は夕焼けの琥珀色。「むだな殺生をやめよ。さもなくばその罪は子に降りかかる」。竜の声は周辺の木々を震わせた。おびえと怒りに押され、聖は馴染んだ銃を構え、夢と知りつつ五発、六発、そして七発と引き金を引いた。雷のような轟音のあと、龍は水の闇へ静かに沈んだ。黒い波が閉じると空には雲ひとつなく、星だけが残った。


 夜明け前、汗でびしょぬれの聖は飛び起き、腕に残る反動の痛みを確かめた。由架はうなされながら眠っている。聖は上着をつかみ、月明かりの森を走り、竜神をまつる社で土に額をつけた。「もう命を奪わない」と三度誓い、泣きながら赦しを願う。やがて東の空が白み、杉のこずえを薄紅に染めた。

 朝が来ると由架は痛みを訴えず、背中のあざも消えていた。聖が安堵で肩を落とすと、娘は人形を抱えたままささやく。「ねえパパ、さっきママとお話ししたよ。ママは昔、湖の龍で、あたしの背中でパパを見守ってたんだって。でもね、もう痛くしないって」。聖は言葉をなくし仏壇を見た。遺影が水面のようにゆらぎ、夢で撃ち落とした竜の目と重なる。冬の光が差し、写真の頬を淡い金で照らした。聖はそっと手を合わせ、血に染まった古い銃を納屋の奥へしまい、重い錠をかけた。軋む音が、長い冬の終わりを知らせる鐘のように響いた。雪の匂いがする空気が家に満ち、遠い山に光が差した。聖は娘の手を握り、白い息をそろえて深く吸い込み、胸の奥に小さな陽のぬくもりが灯るのを感じた。頭上では、陽光の中に寄り添う金色の光が、父子を見守りながら揺れていた。

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