夜への信仰

 ミリセントは床に転がったまま少しも動けなかった。痛みより、恐怖と驚愕が勝った。

 呼吸をする度、胸部に痛みが走る。おそらく、壁に叩きつけられた時に骨折したのだろう。

 魔法を食らった背中にも疼痛を覚える。血の気がひくように、寒気と吐き気に襲われる。


 壁にぶつかったその衝撃で、クローゼットの様なものにかけられていた布がひらりとおちた。


 それはクローゼットなどではなく、真っ黒な夜を思わせる祭壇だった。


 ウーズレーは静かに杖を振り、ミリセントが取り落とした本を手元に引き寄せる。ミリセントを一瞥すると、鼻を鳴らした。


「さすがに、馬鹿でもわかるか。」


「な…んで…先生が…夜の魔法を…」


 途切れ途切れになりながら、無理やり言葉を絞り出す。思うように焦点が定まらない。

 彼は蔑んだ目をミリセントに向け、本を棚に差し込んだ。


「簡単なことだ。正しいのはアステラではなく、エヴァだった。それだけだ。」


「…?…エヴァは、夜は恐怖で人を支配するって…」


 ミリセントの言葉に、ウーズレーはさも当たり前のように答える。


「それこそが正しい。正の感情だけで統治するなど夢想することすら馬鹿馬鹿しい。恐怖や苦しみだけが、人を従わせる唯一の術だ。」


 理解できなかった。それ以上に、魔法学校で教師をしていた彼が夜の力に傾倒していたことがショックだった。


 再度反論しようと口を開きかけた時、体に電撃のような痛みが走る。


「きゃああああっ!」


 あまりの痛みに思わず悲鳴をあげ、床に臥した。小さくうずくまり、腕に爪を立て痛みを堪える。

 荒い呼吸をしたまま、何が起きたのか理解しようと視線を上げる。

 ウーズレーが持っている杖には、黒い霞のようなものが纏わりついていた。

 それが何なのか、ミリセントはすぐに理解した。


(エヴァが使っていた魔法と同じ…。)


___夜の魔法。



 夜の魔法は星の魔法使いにもっとも忌み嫌われている魔法であり、同時にノクスが最も多用する魔法でもある。

 毒のように夜の力が体を蝕み、最後は死に至る。


 しかし、普通夜の魔法を使えるのは夜の力を持って生まれた者だけ。ウーズレーは星の魔法も使えるはずだ。

 その疑問に答えるかのように、彼は口角を上げ語り出す。


「星の魔法を使うには、アステラを信仰しなければならない。…では、夜の魔法を使うには?…当然、エヴァを信仰する必要がある。しかし、それだけでは足りない。」


 ゆっくりと歩き、床に転がったままのミリセントの目の前で立ち止まる。

 ウーズレーを睨みつけるミリセントには目もくれず、その背後に鎮座する祭壇を愛おしそうに撫でた。


「供物だ。夜に捧げる負の感情…それが必要なのだ。」


 それだけ言うと、満足そうに頷き祭壇から離れる。

 ウーズレーは小さな机の方へ向かい、ごちゃごちゃと乱雑に置かれた箱の中に手を突っ込むと、中から真っ白なクレヨンのようなものを取り出す。

 ミリセントを見もせず、低い天井に外に描かれていたものと同じ魔星図を描き出した。再度この部屋の存在を隠すつもりだろう。


 ミリセントは上体を無理やり起こし、少しずつ杖の方へ体を引きずる。太ももが石畳に擦れ、血が滲む。

 杖は想像以上に後方へ弾かれていたようだ。


「…先生、いいんですか?私に全部喋っちゃって。」


 痛みを誤魔化そうと気丈に振る舞うが、その声は震えていた。


「構わん、すぐに忘れてもらう。」


 その口振りから、ミリセントに忘却の魔法をかけるつもりなのだとわかった。

 やはり彼は見向きもしない。相手が学年一の問題児だからだろうか。ウーズレーはやはり完全に油断しているように見えた。


 瞬間ミリセントは飛びかかるように床に転がった杖を取る。全身が激しく痛み歯を食いしばる。右手に硬い感触を確認し、ミリセントはほくそ笑む。それを素早くウーズレーへと向けた。

 彼がこちらを一瞥したのを最後に、室内はミリセントが放った光に包まれる。ミリセントはぎゅっと目を瞑り、瞼の裏が一瞬真っ白になる。


(少しだけ…隙ができれば…!)


「浅はかな。」


 その一言で完全に希望は打ち砕かれた。はっと目を開けると、ウーズレーは顔の高さまで杖を持ち上げている。怯んだ様子も、閃光を食らった様子もない。

 ただ確実に、先程とは比べ物にならないほど怒りを露わにしていた。


「…貴様の友人の方が、数段利口だったな。」


 心臓が止まるような感覚を覚える。

冷たい石畳に座り込んだまま、愕然とウーズレーを見つめる。わずかに手が震えていた。


「…今、なんて…」


「ウェンダーとか言ったか、奴の方が利口だったと言っている。」


「シャルル…?でも、何も…。」


 部屋に戻ってきてから、シャルルが何か悩んでいる様子は見なかった。

 その言葉に、ウーズレーはわざとらしく手を上げてみせた。


「だから言っているだろう…忘れてもらうから問題ないと。」

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