58日目 突然の安楽死

 安楽死が制度として認められてもう十年ほどが経つ。最初は皆恐れながら制度に向き合っていたのだが、最近では余裕を持ってこの制度に相対しているように思う。

 期間指定の安楽死プラン、というのも、今だからこそ出てきたサービスといえる。

 そのプランだと、まずは申し込みをして通常の安楽死よりも高額の金額を支払うことで、一ヶ月程度の期間の間のどこかで、安らかな死を与えてもらえる、という仕組みになっている。いつやるのかが分かっている状態だと、痛みがないと分かっていても恐怖を感じる人のニーズに応えたサービスで、急激にその実施数は増えているそうだ。

 今までの安楽死では、直前になって取りやめる人が多くいたのだが、このサービスにすることで、そういった人は少なくなってきたらしい。

 ただ、このサービスの場合は医者が立ち会うことが難しい。このサービスが出た当初に、申し込みした人を安楽死ではなく殺害していたケースがあったので、“見届け人”を必ず用意することになっている。見届け人は、その死の状況を説明されて、問題なかったことを証明する事になる。

 しかし、これは一部の人にはネックになる。自分の配偶者や子供がいる場合は良いし、真楽出来る友人がいる場合は良いが、身寄りがいない場合には“見届け人”がいなくなるからだ。そして、そういう人ほど早々に安楽死を選ぶケースが多い。

 私もそんなうちの一人だった。


 そんな私が選んだのは、身寄りがいない人同士でそれぞれの見届け人になる方法だった。

 見届け人代行サービスなどもあるのだが、それにはお金がかかる。私はお金にも余裕がないので、その方法は取りえなかったのだ。

 人を三人紹介されて、自分も含めて四人のグループになる。簡単に自分の情報を共有して、いざその中の誰かが死ぬと順番に見届け人となるわけだった。

 この仕組みだと、最後の一人には見届け人がいなくなる。そんなわけで、最後の一人はお金を返却されて、もういちどグループが組まれることになるのだった。

 私は、自分の自己紹介をしながら、今度こそ死にたい、と考えた。もう二回グループを作っていて、そのどちらでも自分が最後まで見届け人になってしまったのだ。いくらお金が返却されるとはいえ、もともと死ぬつもりということもあって貯金をしていないので、生活費として使わないといけない。

 三回目の今回は、わざわざ安楽死のために短期間働いて、またお金を工面したのだった。


 今日は死ねるだろうか、と毎日考えていたが、連絡があるのは他の人の訃報ばかりだった。安楽死仕様とする人は皆、会社を辞めて暇があるので、見届け人となること自体は問題無い。しかし、他の人の訃報が来るたびに、ハズレクジを掴んだような落胆が襲うのだった。

 そんな風に私は一ヶ月間を過ごし、なんと今度も一人生き残ってしまった。


 私は安楽死の会社にさすがにおかしいのではないかと訴えたのだが、会社からは「人も時期も完全にランダムで決めています」という回答しか来ない。

「固定プランであれば、申し込みいただければ必ず対象になりますよ」

 そう進められてのだが、私は死ぬかどうか分からない状態でないと、死への恐怖に立ち向かえない。そう説明するのだが、会社には受け入れてもらえなかった。

 私は怒りを覚えて、同じような人がいないかをネットで検索すると、同じように死ねなかった人がいて、困っていることが分かった。

 この状況をなんとかしたい、と考えた私は、ボランティアで見届け人をすることにした。それも、見届け人代行の足下を見た値段ではなく、無料でやることにした。

 意外と需要は高いようで、常時二十人くらいをみることになり、毎日慌ただしく連絡が来るようになった。中には無料だと言っているのに、お金を渡してくる人も居て、なんとか生活も成りたちだ。

 私が死ぬことができるのはまだまだ先になりそうである。

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