合宿4

 合宿二日目も一日目と同様にレシーブ練習を中心に行われた。

 疲れが抜けきっていないのか全員の動きが鈍い。それを見て不動さんは𠮟咤激励を飛ばす。

「大会の日程上、連続で試合することがあるんだ。一日目でへばってるようじゃ、上で通じないよ。体力つけな、体力」

 二日目の練習終わり、不動さんが全員を集めた。

「明日は練習試合をする。実戦経験少ないだろうからね。相手は東王大学一年。寄せ集めのチームだけど全国から集まってきてるから圧倒的格上だよ。とはいえ一回くらい勝てなきゃインハイにすら出場できないと思いな」

 不動さんは一方的に言いたいことだけ言って、体育館を後にした。

 不動さんがいなくなってから三年生含め全員がその場に座り込んだ。

「真希でもキツイんだね」

 私は肩で息をし、呻いた。

「最近まで週一でしか運動してなかったからね。キツイよ」

 真希もまた息を弾ませている。

 それ以降はしばらくだれも喋らず、動けずにいた。

 その後夕飯を終え、夜の体育館に向かうと北村さんが体育館の入り口から中を覗いていた。中ではすでに真希、良子、春日さんが三人で練習している。

「入らないの?」

 私が背後から声をかけると北村さんが驚き飛び跳ねた。

「そんなに驚かなくても」

「す、すみません。……あの、入ってもいいんですか」

 私は不思議に思いながら頷いた。遊びに来たわけではないのだから何の問題もない。

「練習熱心な人ならだれでも歓迎だよ」

 北村さんがほっとした表情を浮かべ、体育館に入ろうとした。

「北村さん、大丈夫? 疲れてるなら無理しなくても」

 北村さんが振り返り、笑顔を見せた。そこに疲れはあまり滲んでいない。

「大丈夫です。楽しいですから」

「楽しい?」

 意外な言葉が返ってきて面食らった。合宿の練習が大変で嫌になってたりしないか不安がよぎったが、そんなことはないらしい。

「はい。中学だと強くなろうとか、そういう雰囲気じゃなくて、ずっともどかしさを抱えていました。でも、高校で偶然だけど、王木先輩とバレーができることになって、自分が少しずつ強くなるのが分かるから、今は楽しいです」

 北村さんが少し恥ずかしそうに私の顔を見つめた。

「もっと強くなります。もっと強くなりたいです」

 北村さんはそう言って練習の輪に加わっていった。

 強くなりたいか……。最後にそんなことを思ったのはいつだっただろう。小学生のときは真希や莉菜に負けないように必死だった気がする。中学生になって二人との差がどんどん大きくなって、それから……。

「昨日から一人増えたねえ。一人足りないけど」

 私の思考は突然現れた不動さんによって遮られた。

「奈緒ちゃん、こんなところでサボってちゃ駄目だよ」

「サボってません。今来ました」

 私と不動さんも練習に加わることにした。

「さあて、奈緒ちゃん、陽菜ちゃん遊ぼうか」

 昨日と同様にアタックの練習をしていた春日さんとネットを挟み不動さんが対峙した。

「人数いるし私がサーブで、北村さんレシーブしようか」

 真希がそう告げると、二人はそれぞれ位置についた。

「サーブは軽く打つから、北村さんレシーブ頼んだよ」

「さあて、今日も全部止めちゃうよ」

 不動さんは手足を軽く振り、不敵な笑みを浮かべる。

 そんなことできるわけがないと思われることでも不動さんが言うと説得力があった。事実昨日はすべてのアタックをブロックしてしまった。

 真希は私たちのやり取りが一段落したのを見計らってサーブを打った。北村さんのレシーブは少し乱れたが、良子は反応して綺麗にトスを持っていく。

 私は昨日より力を入れ、助走をつけた。あまり力みすぎも良くないがと、力加減を調整しながら走り、ジャンプするときにさらに力を込めた。

 私のアタックはやはり不動さんのブロックに阻まれコートに垂直に落ちた。

 不動さんは少しだけよろめいて着地した。

「練習で疲れているとは思えないね。それに昨日よりキレが増してる。悪くはないねえ」

 不動さんが嬉しそうに私を見た。

「とはいえ、まだブロックできるけどね。さ、次は陽菜ちゃんだよ」

 その後も不動さんはブロックを跳び続け、すべてを止めていく。

 不動さんはアタックを一本止めるたび、私と春日さんに一言ずつ煽りを入れ、私の中に少しずつ苛立ちが募り始めていた。

「奈緒ちゃんも陽菜ちゃんも結構いいセンスしてるよ」

 私たちのアタックを余裕で止めるのに、よく言うよと、私は内心呆れてしまう。

「真希ちゃんは天才中の天才だから、霞むけどさ、二人ともこのまま練習続けていけば全国で戦えるようになると思うよ」

 不動さんは一度区切り、私たちの顔をじっと見つめ、ニタッと笑った。

「一年後には」

 これには私も苛立ちを隠せず、はあ? とあからさまに不機嫌な声を出してしまった。

「一年後に強くなったって意味ないでしょ」

 私は不動さんを強く睨みつけた。

「だったら一矢報いてみなよ」

 この人は何でこんなに煽る真似をするのか、私は意図を図りかねていた。

 私が考え事をしているうちに、不動さんのブロックが再び決まり、春日さんは歯軋りをしていた。

「陽菜ちゃん、センスはあるって。この前まで中学生だったからね、通じなくてもある程度は仕方がないけどさ。ほら次、奈緒ちゃん」

 またも私のアタックは潰される。

「奈緒ちゃんも悪くない。長年培ってきた経験値があるけどそれだけじゃ通じない。でも、そうも言ってられないでしょ。奈緒ちゃんの攻撃が通じなくて負けるよ」

 不動さんの負けるよ、の一言に先日の星和戦を思い出してしまった。

 攻撃が全く通じなかった。一試合で決めたアタックの本数なんて片手で足りる程度のものだ。高校入学から試合経験がなかったとはいえ自信はあった。十年以上バレーをやってきたのに、こんなに通じないとは思ってもいなかった。

 先日の星和戦、昨日今日の不動さんのブロックで私の中で少しずつ何かが崩れていく。

 私が呆然としている間にも練習は続く。

「あれ、真希ちゃん、なんか怒ってる?」

 真希は不動さんを一瞥し、いえ、と短く答えて顔を背けてしまった。

 私もまた、真希が怒っているように見えた。バレーをしながら真希があんな表情をするなんて初めて見た気がする。私が不穏な空気を感じているうちにサーブが打たれた。

 私のアタックはまた綺麗にブロックされ、私は膝に手を置いて俯きしばらく動けなくなってしまった。

「奈緒ちゃん、落ち込むのは分かるけど、そんな暇あったら練習しな」

 不動さんの煽りが上から降ってくる。

 私の両肩にだれかの手が触れ、私は我に返り顔を上げた。

「奈緒、少し落ち着いて。不動さんの言うことなんて……」

 真希が励まそうとしたところで、私は無意識のうちに真希の右手を払いのけ、苛立ちを爆発させていた。

「何でもできて才能がある真希には分からない、弱い人の気持ちなんて!」

 私の怒号で、空気が一瞬で固まった。真希も目を丸くし、肩に置いていた左手をそっとどかした。

 自分が今何をしてしまったのか理解し、私もその場で固まってしまった。いたたまれなくなり、ごめんと呟いてから走ってこの場から逃げ出した。


 真っ暗な校舎一階の水道で蛇口を全開にし、勢いよく出る水に頭を突っ込む。血が上った頭を冷たい水が冷ましてくれる。

 私はなんて酷いことを言ってしまったのか。自分が弱いのに、真希に八つ当たりをしてしまった。よりにもよって……。

「奈緒」

 突然真希に声をかけられ驚き、顔を上げようとしたところで蛇口に頭を強打し、うっと呻いた。

「ご、ごめん」

 私は慎重に頭を動かして顔を上げ、蛇口を閉めた。水が滴り私の涙と混ざる。

「あの、さっきは、ごめん。その……」

「奈緒、おいで」

 真希は私を手招きしてから歩き始めた。私は大人しく従い、後をついていく。真希は玄関を出て校庭に続く階段に座り、おいでと自分の右横に座るように促した。

 私は黙って座ってから、再び謝った。

「ごめん。八つ当たりしちゃって。私が」

「それは大丈夫だって。不動さんの言葉はいちいち頭にくるからね。取り合わなくていいんだよ」

 真希が水気を払うように激しく頭を撫でた。犬みたいだし、恥ずかしかったが真希の好きなようにさせた。

「八つ当たりもそうだけど、よりにもよって真希に、才能があって何でもできるなんて言っちゃいけないのに……」

 真希には才能がある、それは間違いない。でもそれだけの人間じゃない、練習して試合に勝って負けてを繰り返してきたからこその強さだ。私が一番それをよく知っている。それにその才能のせいで妬まれたりもしてきた。何より親友を一人失っている。私が才能どうこう言ってはいけないのに、とっさに口から出てしまった。

「それはいいって」

 真希が私の頭を撫でるのをやめ、優しく微笑んだ。

「それより、安心したよ」

「安心?」

「うん。奈緒にもちゃんと悔しさとかあるんだと思って。試合や不動さんに負け続けてるのに淡々としているから」

「……もちろん、あるよ」

 昨日、不動さんにも同じことを言われた。初対面の不動さんがそう思うなら、十数年の付き合いの真希には当然見透かされているか……。急に自分の矮小さが恥ずかしくなった。

「だったら大丈夫。負けて何も思わない人は強くならない。奈緒は強くなれる」

「でも、今の私じゃ……」

「だから練習する」

 真希がおもむろに私の両頬をつまみ弄び始めた。痛いと、声にならない声を上げるが取り合ってくれない。

「私だって最初から何でもできたわけじゃないの、奈緒が一番知っているでしょ」

 真希が手を離してくれたが、じんわりと熱を帯びている。

「中学入学後すぐの頃は体格差によく泣かされた」

「そういえばそうだったね」

 あのときから私たち三人は平均身長より高かったが、当時の三年生はさらに高かった。二年の差は大きかったが真希はすぐに克服した。

「高校に入ってから大学生と一緒にやってたけどやっぱり最初は体格差に泣かされた。今も不動さんに負け続けてるし」

 負け続けてるし、のところは尻すぼまりとなり、真希は悔しさを滲ませた。

 そんな真希を見て私は自然と笑ってしまった。

「真希がそんなふうに悔しさとか表に出すの久しぶりに見た」

「不動さんに乗せられてついね。あの人ちょっと言葉がきついでしょ」

 ちょっとかなあと私は首を捻った。「奈緒ちゃんもこのまま練習続けていけば全国で戦えるようになると思うよ、一年後には」「奈緒ちゃんの攻撃が通じなくて負けるよ」、唐突に不動さんのキツイ言葉がフラッシュバックし、頭に血が上っていく。

「そろそろ行こうか」

 私の怒りがピークに達する前に真希が立ち上がった。

「皆も心配しているだろうし」

 真希が体育館の方向を見つめ、少しだけ険しい目つきをしている。

「私は私のやるべきことをする」


 体育館に入ると、ちょうど不動さんが力強いアタックを決めたところだった。

「奈緒大丈夫?」

 良子が不安気に私の顔を覗いたので無理に笑顔を作った。

「うん、もう大丈夫。皆も心配かけてごめん」

「不動さん、さっきの続きをしましょう。今度は私がやります」

 不動さんはやはり笑みを浮かべながら答える。

「やろうか。あれ、怒ってるね、真希ちゃん。どうしたのさ」

 私からは真希の背中しか見えず表情が伺えないが、声にわずかに怒気が含まれている気がする。

真希は普段助走をつける位置まで移動し、不動さんはブロックの位置についた。

「可愛い後輩を馬鹿にされ、大事な人を泣かされて黙ってるほどお人よしじゃないんですよ」

 真希は右足を背中側に折り曲げ、シューズの裏と掌をこすり合わせ付着していた埃を取った。左足も同様に埃を拭い、床とシューズをこすり合わせ、滑らないことを確認する。

「今から、ぶち抜きます」

「真希ちゃん、怖いなあ。リラックス、リラックス」

 怒りをあらわにする真希に対しても不動さんは普段と変わらない様子で煽る。

 北村さんは心配そうに見守っていたが、私と目を合わせ、私が頷いたタイミングでサーブを打った。

 良子はレシーブで上がったボールを綺麗にトスし、真希は普段より少し長めの助走をつけブロック目掛けボールを強打した。

 ボールはブロックを超えず、山なりに自コートアタックライン上に上がった。真希はそれを自分でレシーブし、レフト側へ開く。

「良子、もう一回」

 良子はもう一度トスを上げ、真希が再びブロックに負けじとボールを打つ。今度のボールはネット際で床に向かって垂直に落ちていく。

「また私の……」

 不動さんが勝ち誇って勝利宣言をしようとしたところで、真希が素早く着地し、床ギリギリでボールを掬いあげた。

 アタックしたボールを自分で拾えるのか、真希の反射神経には脱帽する。そんな真希を見てか、不動さんは少しだけ真剣な表情になった。

 真希がまたも高く跳び上がる。

 真希が体をしならせ、全体重を乗せて打ったボールは遂に不動さんのブロックを越え、相手コートの外に真っすぐ落ちた。

 真希はボールの行方を追い、小さく拳を握りしめた。

「私の勝ちです」

「……たった一回でしょ」

 不動さんは不愉快そうな表情で悔しそうに呟いた。

「勝ちは勝ちです」

「もう一回。勝ち逃げは許さないよ」

「いつものお返しです」

「じゃあ私がやります」

 火花を散らす二人の間に割って入るのは勇気が要ったが、声を振り絞った。

「真希ありがとう。でもこれは私の問題」

 そう、私の問題だ。私が勝たないといけない、私が強くならないといけない。たった一人のブロッカーに負け続けるわけにはいかない。

「私もやります!」

 春日さんが右手を上げ、元気にアピールをする。後輩にも負けるにはいかない。

「奈緒ちゃん、陽菜ちゃん、私に勝つ気? 舐められたもんだね」

 不動さんは私と春日さんを交互に見やった。

「でもまあ、向かってくる子は嫌いじゃないよ」

 その言葉を皮切りに、私と春日さんは何度も挑んだが一度も勝てず、合宿二日目は終了した。

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