#03 多くはない

 何度ため息をついても事実は変わらない。どれだけ僕の気持ちが曇り空でも新年度の空は青く澄みきっている。


 浮かない顔の僕をせせら笑うようにモンシロチョウが舞っていった。


 やがて着いた古びた校門。春休みの間はまるで廃校のように寂れていたが今日は制服姿の生徒たちがちらほら見受けられそれなりに活気があった。


「な。あんたダレ?」


 顔見知りがほとんどと思われるこの集団に、教師だからといきなり「おはよう」と声を掛けるのもな、と躊躇しつつ歩いていると、向こうからそんな躊躇のない声を掛けられた。参ったな。敬語もなしか。


「春から来た先生だよ」


 僕の肩ほども背のない坊主頭の生徒だった。私服だったら小学生にも見えそうだが擦り切れたカバンやよれた制服から在校生、つまり二年生か三年生だと推察する。


「……は」

「……?」


 固まる理由がわからずとりあえずこちらも同じように固まった。その刹那、生徒の鼻の穴が僅かに拡がった。


「『だよ』やって! すげえ」


 なにが「すげえ」のかイマイチわからないがおそらく僕の話し方が珍しかったのだろう。


 訛りが強い地域だと聞いていた。田舎訛りの関西弁といった感じか。転任で世話になった教頭や天ぷら屋夫妻の話し方がそうだからすでに触れてはいたが、未だになかなか慣れない。


 僕自身も市内の出身ではあるが育った地域はここまで訛ってはいなかった。まずうちは両親がここらの出身者でないためほぼ訛っていないと言っていい。


 外国語じゃないにしても……その少しの違いは僕の沈んだ気持ちを更に沈めた。ぶくぶくぶく。もしかしたらここではもう二度と浮上できないかもしれない。



 さて。その中で『担任』などという大役を任されているわけだ。となれば言葉が多少違うくらいのことをいちいち気にしている場合じゃない。


 中学生という多感な時期。なにかひとつでも間違えば途端に舐められかねない。さっきの生徒がいい例だ。このじつに面倒くさい連中を相手にするのは僕でなくてもかなりのストレスになるだろう。はあ。


 職員室で準備を整える。教頭からは『いちばん多い学年』と聞いていたが確認したらたったの16名だった。ある程度の予想はしていたがそれでも驚いた。なんでも全校生徒を集めてもたったの42名しかいないのだという。これまで経験したことのない少なさだった。


 当然クラスなどはなく学年でひとクラス。体育館での始業式を終えて、校内に響く古めかしい鐘の音を聴きながら教室に入るとその16名の視線が一気にこちらに集まった。教卓の所まで進み、全体を眺め、一呼吸。


「おはようございます。さっき始業式で紹介があったけど、改めて。今年度の二年の担任をすることになりました。響木ひびき わたるです」


 ザワつく生徒達を背に、黒板に名前を書く。字に自信はない。『響』の画数が多いから全体的に自然とデカくなった。


「なあなあ先生、よその人? どっから来たんー?」


 自己紹介の続きをしようと振り向くと、ひとりの生徒が訊ねた。ああ、彼はさっき校門で会った坊主頭の生徒だ。世間は狭い。


「『よそ』って言うと変だけど、一応遠くから来ました」


 どこどこー? 何歳ー? 独身ー? 途端に自由な発言が飛び交い始めたのでひとつ咳払いをして少しばかり大きめの声で話す。


「担当教科は音楽。歳は27、独身です」


「音楽、ちことはミサキのあとやなー。あー、ミサキ元気かなあ? 離婚の話、聞いた?」


「聞いた聞いた。あの美人さんが負けたやってー!? ちて、おかあたち大騒ぎ」


「うちもうちも。けどま理由が理由じゃし、て」


 話がどんどん進んで置いてきぼりをくらった。推測すると『ミサキ』とは前任の音楽の先生のことだろう。たぶん、昨年度退職したという吹奏楽部の元顧問。離婚がどう、とかは聞いていないことにしたほうがたぶんいい。


 クラスをなんとか静かにさせて朝の連絡を終えると職員室へ戻った。



「だーかーら! なんで戻れないの!?」


 う。なんだ? 突然聴こえた金切り声に足を止めた。


「いやいや、無茶言うたらいかん」

「先月までいたのに、なんでダメなの!?」


「そりゃあ、年度が変わったし……」


 職員室出入口の所で唖然と立ち尽くしていると、同僚で三年生の担任である中村先生が横からぬっと現れた。


「……あれが美咲先生。教頭の、娘」

「えっ!?」


 親子、という事実に驚きつい大きめの声が出た。すると言い合っていた親子はこちらに気づき、美咲先生というその女性がこちらへ近づいてきた。危ない。脳内で警鐘が鳴る。


「ははーん。あんたが新しい音楽の先生ね!? ねえ、私の座、すぐ返しなさいよっ!」


 初対面にしては無礼すぎる第一声に返す言葉もない。鼻先に突きつけられた人差し指はその名の通り僕という『人』を差している。幸い爪は短く切られており怪我はせずに済んだ。


「ちょ、美咲先生。初対面でそりゃないわ」


 中村先生が割って入ってくれたので「たすけて」と目で訴える。


「なに、中村先生はこいつの味方なの!?」

「敵とか味方ちう話やないですよ」

「なによ、も〜っ! もういい! 帰る!」


 そう吐き捨てて、美咲先生は僕ら男二人を押しのけて職員室を出て行った。「あんた」はまだしも「こいつ」とまで言われた。……んん、苦手だ。できればもう二度と関わりたくない。


「……ひい。ありゃあまた、かなりやってきとるの」

 教頭がボソリと言う。


「ですね。美咲先生シラフならほんに美人さんやのに」


 二人の会話から察するに、美咲先生は酒に酔っているということのようだ。はあ、こんな昼間からか。


「あの、『戻りたい』って言ってたのは」

 遠慮めに訊いてみた。


「いやぁ、恥ずかしい話、美咲は……出戻りで」

「はあ」


「寿退職したんはええんやけんど、まあひと月、ちとこか。別れてしもて。ほで今はあんな調子に」


「先生として戻って来られないんですか?」


 すっかり苦手意識が芽生えた僕としてはこれから迎え入れるのは正直かなり抵抗はあるが。


「いやぁタイミングが悪ぅてな、うちにはほれ、もう日比野先生が来てしもてるし」


「あ……」

 なんとも申し訳ない気持ちになった。いや僕は悪くないのだが。


「他校は嫌やなんて、ワガママ言うからずーっとあんな調子や」


 いや、教師ってそんな自由な職業じゃないよな。などと考えているうちに話題は逸れて詳しくはわからずじまいだった。



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