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冬の初めにヒトミの中学校で三者面談があった。担任と子どもと親とが向かい合って卒業後の進路を相談するみたいだ。相談するっつうか、事実上その場で進路を決めちゃうらしい。俺はその三者面談が憂鬱で仕方なかった。学校嫌いだし、先生も嫌いだし。そのうえ、三者面談ってのはふつう事前にある程度合意が取れてて、その場ではそれを確認するだけの場だと思うんだが、俺とヒトミの場合はがっつり没交渉だった。俺は遠くの私立校に行けって言うし、ヒトミは地元の公立校に行くって言うし、その平行線でどうにも話が進まねえ。もうなんか腹立ってきて、金出すのは俺だ、っつってやったんだ。そんな偉そうな口、どこから出てきたんだって思うし、言いたくなかったけど。そしたらヒトミの奴、家計を管理してるのはわたしだ、って真っ正面から言い返してきて、それはマジだったから、俺にはもう返す言葉がなかった。
なんかこういう時、間に入ってくれる人がいたらいいのにな。一番近いのはシゲチーだろうけど、いくら相談に乗ってもらってるっつっても、会社の後輩なんかをそこまでプライベートに巻き込むのは気が引ける。頼んだら快く引き受けてくれる男だけど、それはちょっと違うんじゃねえか。ヒトミと俺とを繋ぐ決定的ななにかに欠けてるんだって、人生のシーンのたびに実感してきたし、そのたびに代わりのなにかで誤魔化してきた。その「なにか」って、ほんとはちゃんと分かってる。
愚にもつかんことを悶々と考えてたら、仕事が忙しかったのもあって、会社を出る時間が遅れちまった。三者面談に間に合わないかもなあと思った。間に合わないほうがいいかもなあと思った。俺なんかにできることはねえ、っつうか、俺がもし行かんかったら、ヒトミもちょっとは真面目に考えて、やっぱ私立校に行きますって自分から言い出すかもしんない。あいつも天邪鬼なところあるし、俺に意地張ってる面もあるんだろう。俺はいつもこうして自信がなくて、ちゃんとしてなくて、悲観的なくせ妙に楽観的という、ヒトミにとって最悪のおっさんなんだ。でも信号では止まんなかったし、十五年落ちのR1は珍しくエンジンの吹け上がりが良くて、俺はぎりぎり三者面談に間に合った。ヒトミと同い年のR1って車だけは、俺をヒトミから逃がしてはくれねえ。いっかいヒトミを保育所に預けたまま東京に逃げたときも、R1のリコールをガソスタで知らされ、ヒトミの元に戻る一因になったっけ。
「おっそいよ、ミキオ! もう順番次じゃん!」
進路指導室の前の廊下には椅子が並んでて、そこに座ってたヒトミが俺を見つけるなり立ち上がって叫んだ。おお、怒ってる、怒ってる。いつも通りのヒトミを見ると、やっぱ気持ちが和むな。中学校の校舎で、ちゃんと制服を着てるヒトミを見ると、なんか安心したんだ。当たり前だけど、ちゃんと当たり前をやってんだな、と思って。髪も染めてないし、スカートの丈もしっかり膝にかかってる。「靴下は白か黒の無地のものを」って校則に反してピンク色のくるぶしソックス履いてるけど、まあそんぐらいはいいだろ。化粧してなくて眉毛とかいじってなくても可愛いな、と思うのは、もちろん親の欲目なんかじゃねえ。
「お前、ほんとに中学生なんだなー」
俺はひょこひょこと右足を引きずりながら廊下を歩き、ヒトミについ笑いかけちまった。うわ、気持ち悪。こんな顔、したことねえのにな。
「はあ? なんなん? 当たり前じゃん?」
ヒトミは居住まいが悪そうに口を尖らせ、俺に椅子を差し出してきた。学校によくある簡素な学習椅子だった。座ると堅くて、冷んやりとしてた。木張りの廊下には暖房が無くて、東向きの窓からは陽が射さないんで、外より寒いかもしんない。薄っぺらい格子窓からは広い校庭が見渡せて、四角く区切られた部活の風景が箱庭のおもちゃみたいに見える。いや、向こうから見りゃ、学校の廊下にちんまり並んでる俺とヒトミのがよっぽどままごとに見えるんじゃねえか。身体がぶるっと震えた。ああそうか、だから俺は三者面談に来たくなかったんだな。学校に来ると、ヒトミといる俺は違和感だらけだってことが突き付けられちまう。だって三者面談は本来、母親か父親が行くもんじゃん。俺はそんなんじゃねえ。意地張ってるとか、そういうんじゃなくって、ただの事実だと思う。ヒトミだってそう思ってる。ヒトミの場合は、意地なのかなって、そう思うことはあるけど。
「ちゃんとやってよ、ミキオ」
ヒトミは俺の耳元でそう囁いた。そんなに口を近づけなくても、ちゃんと聞こえてるっつうの。分かってるっつうの。少なくとも今日のところは、ちゃんとやり通してやるよ、父親ごっこを。
「お前こそちゃんとやれよ、ヒトミ」
俺はヒトミの腰を肘で突いてやった。いつも通りちゃんとやれよ、娘ごっこを。そう伝えたつもりだった。言わなくても、ちゃんと分かる筈だ。俺たちはこれまで、ずっと同じように、下手糞なりになんとかやってきたんだから。
ガラガラと音を立てて進路指導室の引戸が開き、上品なダークスーツ姿のおばさんに伴われて、真面目そうな三つ編みの女の子が出てきた。彼女は俺に気づくと会釈をして、それからヒトミの方を向き直り、可愛らしくピースサインを送った。ヒトミもピースを返した。お、友だちなのかな。意外と学校でうまくやれてんじゃん。つうか、俺が学生んときとピースの形が違うんだな。
「ヒトミちゃーん、入っておいでー」
開いたままの引戸の奥から若い女の声がヒトミを呼んだ。担任の人だな、そうそう、授業参観で会ったことあるけど、ずいぶんフランクな先生で、国語の授業だったか、ぶっとんだ下ネタ俳句に俺も笑わされた記憶がある。「ドラえもん」ってお題で「ドラえもんのポコチン探して四次元ポケット」ってやったんだ。自由すぎんだろ。ポコチンはいつの季語だよ。俺にも一句詠ませてくれや。そんで、やっぱほかの親からはクレームが激しかったって、ヒトミに聴いてまた笑った。先生なんか嫌いだけど、その人はあんまり嫌な感じがしない。もしかしたら、ちゃんと分かってくれるかもしんない、と、少しだけ前向きになった。俺が立ち上がろうとすると、ヒトミが手を貸そうとした。普段はそんなことしねえくせに、変な気を遣ってんじゃねえよ、とムカついて、手を振り払っちまった。俺はヒトミと手を繋いだことがねえ。どうしても気が引けちまうんだな。ヒトミは俺の態度に傷ついた風でもなく、軽やかな足取りで進路指導室の中に入っていった。俺は奴に続いて進路指導室に入り、後ろ手で扉を閉めた。まったりと暖房が効いてて、古い本のたいくつな匂いが溢れていた。
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