第37話 精霊の守護
スパルタノスとの戦争については、今は、語りたくない。未だにそれは、生き残った全ての人の心に、傷を残している。スパルタノスの皇帝を始め、あの戦争で、いったい、誰が得をしたのか。敵味方、全ての人々が、様々な形で戦争に関わり、そして、戦争の被害者となった。
終戦後すぐに同盟諸国が集まり、大掛かりな世界会議が開かれた。時計の針は巻き戻され、スパルタノスの侵略前の状態に、国境が引き直された。
嘘だ。
時計の針は、決して、巻き戻すことはできない。
だってジュリアンは、帰ってこない……。
わたしは、従軍兵士らが残していった子どもたちの世話を始めた。何もしないでいるよりはと、尼僧長が誘ってくれたのだ。フェーリアも賛成してくれた。彼女自身は、再び修道院に籠り、祈りの日々を送っている。
運営費は、義母のモランシー公妃が寄付金を集めてくれた。わたしには、お金を捻出するだけの社交術も、知恵もない。だから、尼僧たちと一緒になって、ただひたすら、赤子の襁褓を変え、ミルクを与えた。また、率先して、川で洗濯もした。時々、川上を眺め、切ない気持ちになる。
少し大きな子たちには、全力で、勉学を教えた。時々、間違ってるよ、コルデリア。と言われることもある。でも、わたしの教え方も、悪いわけではないと思う。間違いを見つけることも、勉強だから。
子ども達は、わたしのことを、コルデリアと呼ぶ。わたしがそう呼ぶように躾けたから。こうしゃくれいじょう、というのは、小さな子どもには言いにくい。まあ、魔術じゃないから、言い間違えたって、別にいいんだけど。
こう話すと、いかにも充実した生活を送っているようだけど、そんなことは全然ない。ただ、日々淡々と、生きているだけだ。
虚しい今日を昨日に繰り越し、単調な明日を迎える。
ジュリアンが手渡してくれた脱皮の皮は、今もわたしの部屋に、大切に飾っている。毎朝抱き締めてキスをするものだから、ところどころに、破れ目ができてしまった。綻びができるたびに、
最近では、従軍兵士が帰還してくることもなくなった。帰れる人は皆、故郷に帰りつき、戦死者の広報も、この頃は、滅多に流れない。
わたしは時々、レメニー河の河べりへ出かけるようになった。滅多に人の訪れない聖域で、ただぼんやりと時を過ごす。ミルク色の靄の流れる日は、特に、呼吸がしやすいように感じた。ここは、あの世とこの世の境目。そんな風に思う。
「コルデリア!」
幻聴が聞こえた。
「コルデリア!」
腕が伸びてきて、ぎゅっと抱きしめられた。懐かしい匂いがする。
「ジュリアン?」
とうとう幻覚が……。
「帰ってきたよ、コルデリア!」
わたしを抱きしめたまま、その人は言った。嫌に真に迫っている。匂いつきとは、幻にしては、手が込んでいる。
「しっかりしておくれ、コルデリア。僕だよ。ジュリアンだよ!」
「ジュリアン!」
それから、自分が何をしたか、何を口走ったか、全く覚えていない。気がついたら、ジュリアンの懐かしい胸に抱かれ、わたしは泣きじゃくっていた。
「死んだと……死んだと思ってた。もう会えないって!」
涙と鼻水と、涎まで出てしまって、わたしはもう、全然ダメだった。
それなのにしっかりとジュリアンにしがみつき、放そうとしない。
浅ましいわたしを、ジュリアンは嫌いになるかもしれないと思った。
でも、構わない。だって、ジュリアンは生きていてくれたんだもの!
「あなたは死んだって、知らせが来たわ」
言葉が言葉として機能するまでに時間がかかった。
つまり、今の状況が頭に沁みとおるまで。
ようやく意味のある言葉を紡ぐと、ジュリアンは微笑んだ。
「みんなそう、思ったようだよ。僕も思った」
あの日。
草原での戦闘が始まってすぐ、彼は狙撃された。
それも、背中を。
「背中を撃たれるなんてね。でも、信じてくれ、コルデリア。僕は決して、敵に背を向けていたわけではない」
「信じるわ。もちろんよ」
ジュリアンが勇敢なことは、わたしが誰よりもよく知っている。
戦場は混乱していた。ジュリアンは、味方の隊列の先頭にいた。
何が起きたのかは、わからない。
「あの時、自分は死んだと、僕は思った」
馬に乗っていたのが幸いしたという。
誰かが、銃を取り落としでもしたのだろうか、ごく低い位置から発射された銃弾は、背中から左肩にかけて貫通していた。
それで彼は、一命を取り留めた。
これがもし、前へ真っ直ぐに進んでいたら……。彼の心臓は粉々に砕かれてしまったに違いない。
今更、遅すぎる安堵がわたしを襲った。膝から崩れ落ちそうになったわたしを、ジュリアンが支えてくれた。
「だいじょうぶだよ。ほら、左手は支障なく動いている。君を抱きしめることだってできる」
言いながら、ぎゅっと抱きしめた。頭のてっぺんに、彼の顎が当たった。すごく尖って感じられる。モランシーを出た頃より、ジュリアンは、痩せてしまっていた。目を向けまいとしていたその事実に直面し、わたしは胸が痛んだ。同時に、彼が愛しくてたまらない。
そのままの姿勢で、彼の話に耳を澄ませた。
「気がつくと、僕は下着姿で、戦場に横たわっていた。死体の山のてっぺんにね! 危うく、穴に埋められるところだったよ!」
下着姿だったのは、泥棒のせいだ。戦死者の死体から、金目のものを剥ぎ取る、専門の泥棒がいるのだ。
疫病封じの為に、兵士の死体は、軍や、戦場となった国の役所が中心となって、穴を掘って埋められるのだと、ジュリアンは説明した。
恐ろしさに、わたしは身震いした。
そして改めて、彼の腕の温かさを感じた。
彼は生きている! 生きて帰ってきてくれた! それだけで充分だ。
「いやな話をしてごめんね、コルデリア」
「ううん。聞きたいの」
ジュリアンの経験してきた全てを知りたいと、わたしは思った。それがどんなに辛く悲しいことであろうと、わたしに吐き出して欲しい。
わたしには、何もできないだろう。わかってる。
ただ、ジュリアンの苦しみを吸い取ってあげたかった。少しでも、彼の心を軽くしてあげたい。
意識を取り戻したジュリアンを診てくれたのは、スパルタノス人の医師だった。戦場を特別仕様の馬車で走り回り、敵味方かまわず重傷者から処置するというのが、この医師のやり方だった。
「僕らはみんな、彼を尊敬していたんだ。スパルタノス人だけでなく、モランシーの兵士も、ロタリンギア軍も」
ところがこの医師は、ロタリンギアに拘束されてしまった。彼の患者達もまた。
「僕は、ロタリンギアの捕虜になっていたのさ。笑っちゃうね、全く」
「身分を名乗らなかったの? 自分はロタリンギアの王太子だと」
わたしが尋ねると、ジュリアンは微妙な顔になった。
「実は名乗った」
小さな声でジュリアンは告白した。
「でも、信じてもらえなかった。何しろ僕は、手柄も何もない、一兵卒に過ぎなかったからね。ロタリンギアの軍服も着ていなかったし」
「貴方が無事でよかった」
胸が詰まった。いったいどれだけの痛みと悲しみを、彼は背負ってきたのか。
「君のおかげさ。僕は絶対、君の所へ帰ると誓ったのだから」
不意に、ジュリアンの瞳に、光が宿った。
「捕虜だった時、ヤパーニュ人の兵士達と、同じ牢獄に入れられてたんだ」
ヤパーニュは、極東の島国だと、ジュリアンは教えてくれた。
「そのヤパーニュ人が言ったんだ。東の国々ではね。カエルは、家に戻るのを手助けしてくれる、精霊なんだって」
「まあ! かわいらしい精霊もあったものね!」
「君が僕を思っていてくれる限り、僕は、君の所へ帰れる。僕はそう、信じていたよ」
部屋に飾ってある、カエルの脱皮の皮を思い浮かべた。ジュリアンのくれたそれは、もうぼろぼろで、繕った糸の方が多くなってしまったけど、まだなんとか、カエルの姿を保っていた。
「カエル、大好き!」
ジュリアンの腕に抱かれ、わたしはつぶやいた。
「コルデリア?」
「貴方がカエルだったからよ、もちろん!」
微笑みながら、わたしは付け加えた。
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※最後までお読み下さってありがとうございました。
「完膚なきまでのざまぁ……」は、某サイトさんで、私の歴史小説を応援して下さった方々にお礼に書いた短編が元になっています。
カクヨムさんでもお楽しみ頂けたのなら嬉しいです。
完膚なきまでのざまぁ! を貴方に――わざとじゃございませんことよ? せりもも @serimomo
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