第29話 ロタリンギア軍前衛司令官アルフレッド



ロタリンギア軍は、西の国境を超え、山間の狭隘な湿地帯に布陣していた。

レメニー河を渡ったスパルタノス侵略軍は、シューヴェンを陥落させ、東進している。そのまま進めばロタリンギアの首都ローレンだ。彼らは、ローレンを落とそうとしている。


……そんなことはさせるものか。


ロタリンギア軍前衛司令官、アルフレッドは唇を噛んだ。

……軍事帝国スパルタノスなどに、わがロタリンギアを蹂躙させるなど、絶対、許すものか。


アルフレッドは、王の次男だった。訳あって、今は暫定の王太子でもある。にもかかわらず、最も危険な前衛軍の司令官を務めている。

これは、アルフレッド自らが志願したことだ。

彼は、勇敢な将校だった。軍務に就いていない自分なんて、考えたこともなかった。




その日、モランシーから、援軍が到着した。民間人による義勇軍だ。

戦闘の勝利は、数の勝利ともいわれている。ロタリンギア軍は、傭兵の集まりだった。ことに、騎兵の質は高い。しかし、歩兵の数は少なかった。

この際、外国の民兵だろうと、歩兵の数が増えるのは、ありがたい。


さっそく閲兵に赴いたアルフレッドは、馬に乗ったまま、モランシーの民兵の間を、ゆっくりと通り抜けていった。一人一人、兵士の顔を見つめ、目顔で頷く。すると、相手の兵士は、さっと敬礼を返してくる。


いい気分だった。

上機嫌で、アルフレッドは閲兵を続けた。


最後の隊列に差し掛かった時、長旅で埃にまみれた顔の中に、思いもよらぬ人物を見つけた。他の兵士達と同じように埃を被り、若干日に焼けてはいるが、隠しても隠し切れないその気品、じっとしているだけで溢れ出てくる天性の優雅さ……。


「兄上!」


それは、彼の兄、ジュリアンだった。カエルに姿を変えられ、姿を消していた、ロタリンギアの正統な王太子だ。


「アルフレッド! いいえ、司令官殿!」


薄汚れた軍服を身にまとったジュリアンは、かちっとブーツの踵を合わせ、敬礼した。他の兵士らと全く同じように。


「御冗談はおやめください、兄上!」

動揺し、アルフレッドは叫んだ。

「いつ、人間に戻られたのですか? それより、なんだってまた、モランシーの民兵の中に!」


「志願したのだよ。ちょうど、北東へ赴く部隊があったから」

少し痩せた顔を綻ばせ、ジュリアンが答えた。


今まで彼の正体を知らなかったのだろう。周りの民兵たちが驚いている。隊長に至っては、顔面蒼白だった。なにしろ今まで、タメ口を叩き、遠慮容赦なく命令を下していた兵士の一人が、ロタリンギアの王太子だったのだから。


にっこりとジュリアンは破顔した。弟であっても惚れ惚れするような麗しい笑顔だ。

「人間に戻ったのは、つい最近のことだよ。すぐに軍に入り、ここへ来た」


「しかし、なんだってまた、志願兵……それも、貧乏公国モランシーの……、ロタリンギアの王太子ともあろう方が!」


「ああ、君は知らなかったんだね、アルフレッド。僕は、モランシーにいたんだ」

うっとりと、夢見るような色を浮かべた。アルフレッドの脳裏に、危険信号が灯った。

「そこで僕は、真実の愛を見つけ……」


「しっ!」

皆まで言わせず、アルフレッドは兄を黙らせた。


……「真実の愛」だと?

……兄上はまだ、そのようなことを言っているのか。

困惑が、アルフレッドの身内に走った。


「真実の愛」は、兄の、最も困った性癖だった。いわば、宿痾のようなものだ。

ここには、配下の兵たちが大勢いる。整列している彼らの前で、「真実の愛」について口走るなど、そのような軟弱なことは、兄の権威の失墜に繋がると、アルフレッドは考えた。



アルフレッドは、カエルになってしまったジュリアンの姿を見ていない。当時彼は、東の駐屯地にいた。ことの経緯は、義母のデズデモーナ妃から聞かされていたのだが……。


「兄上が人間の姿に戻られて良かった。何はともあれ、司令部へおいで下さい。ロタリンギアの王太子にふさわしい部隊を、麾下に配しましょう」


ロタリンギアの威厳を保つために、騎兵隊をあてがわなければならないと、アルフレッドは思った。騎兵の馬は自前だ。つまり騎兵隊には、最低でも馬を飼える身分の者しか、所属することができない。

一定以上の貴族なら、騎兵であるべきだ。ましてや兄は、王族だ。

なのに、民間の歩兵隊……弱小公国モランシーの! ……に、しかも、一兵卒として参加しているなんて!



「それは困るよ」

握りしめた弟の手から、そっと、兄は手を抜いた。

「モランシーの義勇兵達は、僕の戦友なんだ。僕は、彼らと共に戦いたい」


「何ですって!」

アルフレッドは目を剥いた。


「な、みんな。僕が一緒にいてもいいよね?」

振り返って、ジュリアンは尋ねた。


一斉に雄叫びが上がった。軍楽隊が、賑やかに軍歌を奏で始めた。笛や太鼓が、賑やかに鳴り響き、民兵たちが歌い始める。

軍の後方では、煮炊き担当の兵士達までもが、鍋や釜を打ち鳴らしていた。











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